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走れけに~

Author:走れけに~
まだ若かりし頃、世界を代表する公認会計士を目指して、1990年に単身NYへとやってきたのがつい昨日のことのようです。仕事(会計士)への情熱は在米17年の間にすっかりと醒めてしまい、余生をどうやって楽しく送るかが今の最高関心事であります。そこで出会ったのが、まさにフルマラソンの世界なのであります。誰に褒められる訳でもなく、貶される訳でもなく、怒られる訳でもなく、全て自己完結な世界なのであります。走って何が楽しいのか、とよく聞かれます。兎に角無条件に楽しいのです。楽しいものに理由・説明など必要ないのです。何はともあれ、走れけに~!

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さて、またまた1週間の怠慢を経て、漸くその2を書く気になった。その間も色々とあったが、金曜日には中毒患者の飲み会にて(詳細は他の人の練習日記やブログに書かれているので割愛)、モツ鍋・うどん・カツカレー・ビール・焼酎・ワインを夜遅く腹に入れ(体重が更に1キロ増えていた)、翌日にはNY中央公園にてNYRR8000のレースへ。1マイル8分ペースにならないといいな、と思っていたが危なかった…(実際にはギリギリ7分47秒ペース)。ピンチである。まあ、東京マラソン1週間前だし、タイムに拘るほどの練習もしていないし体重管理もしていないのだから、別に気にしてはいけないのだが…。

ところで、NYは本当にランニングブームを迎えている。自分にとっては実に土曜がNYRRでの今年の初レースであった。このレースは昨年はボランティアとして参加したので良く覚えているが、朝から雨が降っていたこともあって、ガラガラだった。ところが今年はどうしたものか、5000人のキャップ一杯で売り切れである。NYRRのレースでは今年からキャップ制度を導入した。基本的に5000人でレース参加を締め切ってしまう。昔は、何気なく気が向いたら出ようかな、なんて呑気に参加していたものが、今年からはそんなことは一切出来ない。余程のことがない限り、どのレースも早々と締め切ってしまって当日申し込みが出来ないのである。ランニングがブームになって、走る人が増えるのは歓迎すべきことである。しかしながら、NYCMギャランティーを得る為に9回走ることが結構難しくなっている今日この頃なのだ。早め早めにレースなんか選ばず、ちょっとでも早く9回参加を達成すると同時に、ボランティアも1回さっさとやらねばなるまい。大変な世の中になったものである(って大したこと無いけど…)。

さてさて、漸く先週のマラソンの続き。まずは、恥ずかしいラップタイムでも書いておこうかな。
1&2 19.23
3 9.21
4 9.20
5 9.06
6 9.17
7 9.17
8 9.14
9 9.29
10 9.17
11 9.35
12 10.12
13 10.14
14 10.43
15 11.24
16 12.00
17 14.12
18 11.38
19 15.18
20 13.08
21 13.26
22 13.17
23 12.56
24 13.58
25 14.41
26 14.55
+0.2 ?
Total: 4:58:27 (順位は後ろの方)

12マイル辺りにはもう苦手の上りが始まっていた。眠いし、きついし、歩いちゃいけないと思いながらも、もうダメと途中から完全に戦意喪失状態であった。どうせ道は真っ直ぐだし、誰もいないし、と目を瞑りなから、途中歩いてしまった(結局最後までダメで後半は殆ど歩いたといっても過言ではない…)。疲れていながらフルマラソンを走るのは本当に自殺行為に近い。これほど辛いものはない。本当は道端で休んでいれば良いのだろうけど、あるいは途中棄権という手もあるんだろうけど、それは流石に出来なかったししなかった。兎に角、歩いてでもフィニッシュする。途中棄権だけはしない。これがダメランナーの小さいけれど唯一の自慢だし誇りなのである。それだけが自分の50州達成への道、証なのであるから…。

少ないけれど、途中ボランティアの方々や沿道の声援がこれ程暖かかったマラソン大会は滅多に無いかもしれない。本当に心の底から応援してくれるのだ。ランナーも少ないから、一人一人に声を掛けてくれる。24マイル辺りであったか、給水所で10人程のボランティアがこんなダメランナーに全員で大拍手をしてくれた。もうすぐだよ、よく頑張ったねと…。自分の脚はこの時点ではもう走る態勢には全くない。20マイルを過ぎてからはなだらかな下りが続いていた。走れ!と自分に叱咤激励するのだけれど、一度歩いてしまった脚はなかなか言うことを聞いてくれないのだ。思い出したかのように、ちょっと走ってみるものの長続きしない。眠くて朦朧としていることもあって、全くダメというのは今回のことを言う。脚や身体のどこかが痛いのではない。いつも痛くなりがちな足底、脛、膝には悪いところは全くない。いつものジョギングのペースよりも遥かに遅いまるで散歩人のような自分に声援をしてもらって大変バツが悪い思いをした。声援に応えられない情け無い自分。でも心では常にありがとうと言っていたつもりではある…。

25マイルを過ぎて、流石に5時間が見えてきても焦りはなかった。焦ってもしょうがないのだ。人生のも焦りは禁物だし…。ここまできたらトコトン(チョコトンではない…。チョコトンは、W大の西門のそばのトンカツや)いっちゃうのだけど、でも最後まで沿道の声援に少しでも応えたいという自分もまだ残っていたのだ(勿論、脚が前に進まないけれど)。だから、4:59:59も狙えたのだけれど、大人しく最後はタイムを全く気にすることなくフィニッシュラインへ。漸く着いた。何故か嬉しいフィニッシュだった。決して褒められるレース展開でもないし、途中歩いてしまったのは折角最近歩かずにフィニッシュしていたのに不覚ではある。でも、はるばるNYから6時間かけて甲斐・価値があった。今回は無理しすぎたことは素直に反省する。睡眠不足になってしまったのは、全て自分の責任である。レース自体はこんなに心温まるものはない素晴らしいスモール・マラソンだった。何故か、感謝という一言だけが自分に残った。フィニッシュする時には最近忘れかけていた涙が溢れてきた。自分はサングラスをかけた。涙を隠すために…。

何か人として忘れてはいけないもの、見失ってはいけないもの、それが何なのかは漠然としすぎているかもしれない。NYにいると得てして忘れてしまう何かがある。時にはアメリカの田舎に行くのがいい。言葉では上手く言い表せない何かを心の底から感じることができるだろう。そういう意味でも22州目としてメリーランド州の何もないこの地・この大会を選んで良かった。無理してでも行って良かった。これからもどんどん50州を続けていけそうな気がした…。


さる日曜日、3月8日に22州目のフルマラソン大会としてメリーランド州のポトマック河下流マラソンに参加した。参加者200名という極めて小規模な大会ではあるものの、オーガニゼーションやボランティアに対する評価が大変高い大会であったので、楽しみにしていたが、実際その通りであった。遠藤の応援がなくても前後にランナーがいなくても、一人の時間を楽しみたいというランナーには超お勧めである。

既に書いているが、この大会に出ることは楽しみだったものの、その参加には多少の葛藤(という格好のいいものでもないのだが…)があった。日曜の7時15分からの早朝スタート(しかもホテルからスタート地点まで車でも20分かかる、しかも夏時間への移行初日、…)にも拘らず、前日の土曜日の夕方まで家を出れない、しかも5時間半のドライブ(300マイル…。しかも途中からスピードを出せないローカル道路)、などの悪条件が揃っているのが始めからわかっていたからだ。それでも自分で行くと決めたのだから、しかも一生行かないかもしれない辺鄙な場所でもあるから、と多少なりとも冒険心のある自分にとっては、行くことの魅力の方が面倒さを上回ったのである。

実際には午後6時(予定では5時までには出たかった)に家を出たし、途中からは誰もいない真っ暗な道路を只管運転しなくてはならなかった。結構心細かった。ボルチモア辺りであれば、何度も行ったことがあるから、何とでもないけれども、アメリカの田舎の道路で夜遅く一人ぼっちで運転することほど寂しいものは無い。というか怖い!自分はナビを持っていたから、何とかなると思ったけど、しかし今回ほどナビに助けられたことはない。こんなに役立つものとは!実は1ヵ所、迷ってしまったのだ。ナビに従ったつもりだったのだが、自分で間違ってローカルにいきなり出てしまい、戻れなくなってしまった。それでもそこからのリカバリーはもうナビを信じるしかなかった。10分も彷徨っていたら(本当にこっちでいいのかと不安を抱えながら)、何とハイウェイに帰れた!でもそのあとローカルまた出ろという指示に従うと、その後は延々とローカルを2時間弱走ることになるのだが、迷ったらもうマラソンへの参加は諦める覚悟もしていた。教訓その1、大会の場所へはなるべく早めに余裕をもって行きましょう。運転する際には、ナビが必須です(アメリカの道路は不親切すぎ!)。

それでも何とか無事到着できた。ところが、もう12時近くだったせいもあって、予約を入れていた安ホテルのチェックインカウンターが何とクローズされていた…。それでもずっと待っていたら漸く係りの人が来てくれて、鍵をくれた。眠い身体を引きずって部屋に行くと何と掃除されていない部屋…。ただちに、カウンターにもう一度向かって文句を言ったら、違う部屋の鍵渡しちゃった、ゴメン!だって。いい加減にしなさい!いきなりベッドに直行すると、時計は午前1時半を回っていた(1時間ずらして)。おいおい、スタートが7時15分で、ナンバーとかも朝もらわなきゃいけないし、場所も定かではない、しかもフルマラソンだから朝のごはんが重要だ。でも眠い。そこで、本当だったら4時半には起床しなくてはいけないんだろうけど、5時に目覚ましをセット。3時間ちょっとしか眠れない。寝不足はマラソンには大敵である。というか眠いと走れない。大丈夫かなぁ…。相変わらず不安だけが自分を襲っていた。でもそんな不安をよそに、一瞬にして深い眠りにつけたのは幸いであったようだ。3時間ちょっとしか眠っていない割には余り眠くは無かった(でもそれはレースの後半、単なる妄想だったことに気づくのだが…)。朝無事起きれたのは良かったけれど、実はもう一段トラブル。安全を見て、6時15分にはホテルの部屋を出たのだが、カウンターにまた人がいないよ…。夜は電気が点いていたから人が来てくれたけど、真っ暗…。諦めて、鍵をカウンターのシャッターの下に入れといた。文句が来ていないから、きっと大丈夫だったのだろう(と信じる)。教訓その2、ホテルはケチらないこと!3流ホテルにはもう2度と泊まらない!

さて、そろそろレースの話にしたいのだが、まだまだ続きが。ホテルからスタート地点までの行き方が今一わからない…。住所も完璧にはわからないし、どうしよう…。インストラクションには20分で簡単に行けますよ!の一言が…。これ無理だって!何回か道を間違えたものの(道路の名前が途中無いところがあって、勘で行きました)、でも無事着いて良かった!こんな田舎で真っ暗道でスタートに辿り着けるなんて奇跡!もしかして今日はマイ・デーなのか?(それは大きな勘違いだった…)

さてさて、今回の大会は自分以外もトラブル続きだったようだ。マラソンガイド・ドットコムによれば、こんな恐ろしいことが起きていたんです!余りにも嘘の様な、でも本当の凄いことなのでそのまま引用させて頂きます(お許しを)。

The 2009 Lower Potomac River Marathon race did not go as planned for some of the featured runners. Three time champion (2005,2006,2007), John Piggott, had car trouble and didn't make it from the hotel to the starting line. Defending champion Michael Wardian overslept with the time change, had to stop enroute for gas and then missed the turn to the start line. Wardian almost gave up on starting the race at all, but on the return found the turnoff and made it to the start line 15 minutes after the race had already begun. Chuck Engle, who was second to Piggott in 2006 and running his 12h marathon of the year, led from the start and notched his sixth win in 2:38:58. Joseph Moore, 25 of Raleigh NC, running his first marathon, finished second in 2:46:22. Michael Wardian, also running with a backpack as training for his upcoming Marathon des Sables race - chased down all but Engle and Moore to finish in third place in 2:51:22 even with his 15 minute handicap.

車の故障でスタートに辿り着けなかったとか、夏時間に変わったせいで寝坊して更にはガソリンを入れてて道間違えてスタートミスりそうになったとか、何やってんでしょう。因みに、15分遅れなのに、きちんと3位に入ってしまったツワモノランナーには、自分は3マイルくらいで簡単に抜かされております。何と速いランナーなんだろう(しかも本当に重そうなバックパックを背負ったまま。何でだろうと思ったものです)と感嘆しておりましたが、まさか3位だとは。凄すぎです。因みに、彼はマラソンガイド・ドットコムの走る広告塔としてそのランニング・ユニフォームはきちんと着ていました(これだけは、何が起きても着用が義務付けられていたんでしょうね。しかし、朝慌てていただろうに。アメリカ人律儀なり!しかし、現地まで行ってホテルからスタートまで辿り着けなかった彼もお疲れ様でした)。やあ、本当に速かったなぁ…。感動!教訓その3、遅刻に気をつけましょう!でもこんなに小さな大会でも色んなドラマが生まれるのですね…。

てなわけで、その2に続く。



今週末は、メリーランド州のポトマック河下流マラソンに行く決意を固めた。練習不足だし、東京マラソンまで2週間しかないし、車で5時間以上もかかるし(300マイル=約480キロ)、疲れているし、ってドタキャンする言い訳ばかり考えていたけれど、走りたくても走れない人が沢山いるのに俺は何を贅沢言ってるんだと思ったら、自分が果てしなく情けない人間に思えてきたし、折角なので楽しんでこようと心を入れ替えた。

200人が定員という超ローカルな小規模マラソンなのに、何故だか評価が頗る高いのだ。オーガニゼーションの評価が満点なのである。だから場所の事なんか全く考えずにこのマラソン大会を選んでしまった。家から5時間以上も運転しなくてはいけないというのを知ったのはつい最近だ。メリーランド州というとDCの手前のボルティモア(何故だか、巨人から上原がここにやってくる。何も無い場所です、はい)のイメージから、近いだろう(せいぜい車で3時間だと思ってた)と勘違いをしていたのだ。そこから更に何と2時間もかかる。それでも一人でなければ、メリーランド名物であるクラブ(夜飲みに行ったり、踊りに行くところではない。かにである)を鱈腹食べてしまうのだろうけど(しかもマイ・ポン酢持参で)、残念ながら全くそれは考えていない。大西洋のところを走るから眺めは抜群らしい。今回はカメラがMustかもしれない。肝心のタイムは制限が5時間45分なので、それを超えないように…。本当は東京マラソンに向けて弾みをつけたかったんだけどなぁ…。まあ少なくとも東京マラソンに向けての最終ロングランということになるだろうか。

先日、大雪が降ったNYであるが(気温もマイナス10度まで楽々なったし)、今週末はまるで初夏のような気候となる。南に位置するメリーランドでは更に暖かい。レース当日は70度(摂氏21度)という気温予想だ。これだけ激しく気温の変化があると、またまた体調を崩してしまいそうだ。でも折角だから、今回のマラソンは思いっきり楽しみたいなぁ。何も考えず、無心で、と思う今日この頃である。もしかして、春はそこまでやってきているのかもしれない。

今日のNYは3月なのに季節はずれの大雪だった。オフィスに行こうとしても、車が雪に埋まってしまっていて、早々と通勤を断念。家で仕事をすることとした。最近は便利になった。家にいても、はっきり言って仕事の質は余り変わらないとも言える。Emailも出来るし、サーバーも見る事だって可能だ。勿論、それを仕事と呼ぶならばなのだが…。自分は仕事というのは人と接し、話をし、色々な話題を提供・交換し合いながら、お互いの見聞を深め、自分を高めていくプロセスだと思っている。特に会計士の仕事というのはフェイス・トゥー・フェイスのコミュニケーションが必要だし、それがないならば仕事と呼んではいけないと思っているほどだ。朝から晩までクライアントと向かい合って話し合ってという仕事に慣れていた自分にとっては、朝から晩までコンピューターに向かい合い、Emailを通じてコミュニケーションを取る多くの仕事のやり方がどうにもこうにもモドカシイと感じてしまう。自分はきっと古い考え方なのかもしれないけれど、何か人間が人間らしくなくてまるでロボットみたいだ。そこには自分というものが本当にあるのだろうか…。まあ、自分はそんな世の中のやり方が好きではないし、だからこそ”仕事”というものを捨てて今日に至っているわけなのだ。だから、必要の無い残業なんてクソ食らえの世界である。自分の時間を犠牲にしてまで何が残るというのだろうか…。

まあ、そんなこんなで何とか言い訳をしながら、走るのも断念した。無理だ。道が凍っている…。流石に凍った道で転んでケガをしたり、最悪タイミングが悪ければ、車に轢かれて死ぬリスクもふんだんにある。数年前にはこんな状況でも走りに出たものだが、最近はそこまでの根性はなくなってしまった。ある意味、怖さ知らずの自分であった。転んだら避ければいいじゃん、大体転ばなきゃいいじゃん、という何という安易な発想。でもそういうある意味、中毒患者的な行動をしなければ、きっと速くならないに違いない。と今の体たらくな走り方にまたまた言い訳をしてしまったようだ。

家にいることの最大の欠点は、食べてしまうことだ。色んな食べ物を貯蔵しているから、手当たり次第に食べてしまうのだ。今日1日で何千カロリーを摂取し、果てまた何キロ太ってしまっただろうか。体重計が怖い…。一応、雪かき(数時間かかってしまう。何せ、機械を使わないからー買えない…)は数時間かかったし、それなりのカロリー消費はあったかもしれない。でもその分(その何倍もが適切な表現か?)食べてしまっているので殆ど意味はなかっただろう。寧ろ、筋肉痛と余分な脂肪分だけが残ってしまったと言えるだろう…。あ~あ、情けない…。

今週末は、メリーランド州の南まで行って(実に車で5時間以上かかるようだ)、ポトマック河下流マラソンを走る予定にしている(22州目)。200人しか参加者がいないものだから、迷子になりやしないか、それだけが不安である。タイムは狙っていないから(狙うならば東京マラソンで狙いたい)、5時間でも何でもよい。ただ完走したいだけである。自分は入浴してぇ~マラソンや4か5マラソンのような超大規模マラソンも好きであるが、今回のような超小規模マラソン大会も決して嫌いではない。オーガニゼーションがある程度しっかりしているならば、途中の沿道で応援があろうが無かろうが、全く気にならない。マラソンは決して一人では走れない(周りに支えられている)と言われるが、ある意味自分自身との闘いのプロセスであることも事実である。大規模マラソンではどちらかというと周りに支えられていることをより強く意識・自覚出来るものだが、小規模マラソンでも少ないながらもボランティアの方々の支えを強く感じると同時に、自分自身と向き合いそして弱い自分に勝つ醍醐味を味わうことが可能だ。途中、誰にも邪魔されないひと時を過ごすことが出来るのだ(実はこんな贅沢なことはない。普段自分ひとりになれないことが多い人間にとっては…)。

もっとも問題は、ある事情で土曜日は夕方まで家にいなくてはならなくなってしまったことだ。すっかりと用事があるのを忘れていたのだ。飛行機で行かなくて良かった。時間に融通が利くというものだ。小規模マラソンの良い所は、パケットのピックアップがマラソン当日でも出来ることだ。今回も日曜の朝にピックしてもいいとインストラクションが来たから良かった。しかし、最大の問題は、今週末をもっていつの間にかDLS(簡単にいうと夏時間)が始まってしまう。つまり、日曜の朝は1時間短くなってしまうことだ。家の雪かきは終わっても、そこら中が真っ白なままである。雪が残ったままの夏時間って一体…。
今日で2月も終わる。あっという間だった。勿論、2月は28日までしかないから元々短いのだけれど、仕事はバタバタし続けて余裕が全く無かった。1日1日が短くて、走る余裕が全く無かった。そういう意味では15日にアラバマの高級車便通マラソンに参加できたことは、マラソン中毒患者として最低のノルマ(?)がこなせたと言うものだ。あの楽しい日々から早2週間が経っていた。脚の筋肉痛はとっくに癒えていた。でも仕事の忙しさや余りの寒さに自分が負けてしまって、全く走ることができなかった。1ヶ月の走行距離が100キロすらもいかなかったのは、実にどれくらいぶりになるのだろうか…。別に100キロを超えたから、200キロを超えたからと、走行距離に拘っている訳ではない。ただ、普段走っていないのに、ランナーとか中毒患者とか呼ばれる資格は全くない。明日からは3月になる。東京マラソンまであと3週間。残り僅かになってしまったけれど、せめて今できる最低限の準備だけはしていきたいと思う。
今日は久しぶりに100分のスロージョグを行った。夕方近くなってから、漸く重い腰を上げ外に出たのである。防寒していったつもりだったが、結構寒い。走り始めていきなり後悔しちゃったのだけれど、取り合えず4時過ぎに走り出し、ブロンクス河公園道を初出るから北に向かった。寒いからなのか、殆ど誰にもすれ違わない。それでも途中3人のランナーとはすれ違った。自分だけではないのだ。頑張らねば。時間の関係で検尿ダムまで辿り着けず、北白平原駅で折り返して帰ってきたけれど(ブロンクス河公園道の走る所には電灯がないから、検尿ダムまでいくと下が見えないから帰りが大変危険)、非常に満足だ。3月から是非とも復活したいなぁ…。と折角やる気になってきたのに、暫く又寒くなるらしい(月曜は雪?)。ぎぇっ~~~。まだまだ春は遠いようである…。

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