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Author:走れけに〜
まだ若かりし頃、世界を代表する公認会計士を目指して、1990年に単身NYへとやってきたのがつい昨日のことのようです。仕事(会計士)への情熱は在米17年の間にすっかりと醒めてしまい、余生をどうやって楽しく送るかが今の最高関心事であります。そこで出会ったのが、まさにフルマラソンの世界なのであります。誰に褒められる訳でもなく、貶される訳でもなく、怒られる訳でもなく、全て自己完結な世界なのであります。走って何が楽しいのか、とよく聞かれます。兎に角無条件に楽しいのです。楽しいものに理由・説明など必要ないのです。何はともあれ、走れけに〜!

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NYの夏は短い。昼間はまだ暑い日々が続くだろうけど、朝晩は結構涼しい非常に快適な気候だ。

8月に入って初めての週末。土曜日の突然の豪雨はトンでもないほどだった。雷が落ちたわけではないが隣の家の木が突然倒れ、道を遮断した。たまたまギリギリでうちには全く影響は無かったが(木が丁度隣家の目の前の道の電線を薙ぎ倒したのみで、何故かうちは停電も無かったし、車も普通に出せた)、木の倒れる向きがうちを向いていたら、間違いなくうちの家は倒壊していたと思われる。

今日日曜は快晴。朝から2時間ランを計画していた。実は、暫く右ひざの調子が思わしくなく(歩くとき、時々痛くなる)、走るのをストップしていたのだが、昨日辺りから痛みが余り出なくなってきたので、ゆっくりと2時間ぐらい試してみようと思ったのだ。31日には新メキシコ・マラソンを控えているので、いくらタイムは気にしないとはいえ、取りあえずの目標として4時間以内では走るようにはしておきたい。目標が全くないと人間はとことん怠慢になる動物である。だから達成できなくても目標だけは明示化しておくのがコツだ。

走り始めても取りあえずひざの調子は良かった。暫く走っていないこともあって、脚も非常に軽い。スピードを上げてみても呼吸もあがらない。2時間の予定を変更して、検尿ダムまでの往復をすることにした。ブロンクス河公園道は木陰の部分が多く、とても涼しかった(風が吹けば寧ろ寒さを時折感じるほど)。汗の量も大したことなく、スピードにも乗って、あっという間に検尿ダムに着いてしまった。

帰り際、アメリカ人の親子がいて自転車の練習をしていた。とても小さな女の子で、自転車の操作も怪しいものだった。お父さんが後ろを支えていたのだが、自分が横を通りすぎようとしたとき(歩道の端っこで見守った)、お父さんは手を離し、子供は歩道一杯に自転車をふらつかせながらも、お父さんの助けなしに一人で自転車を漕ぎ続けるようになった。そう、自転車に一人で乗れるようになったのである。その瞬間、お父さんと目が会ったが、とても嬉しそうだった。自分もつられてとても嬉しい気持ちになった。

ブロンクス河公園道の北コースは帰りの方がどちらかというと下り基調になっているためか楽に感じる。ハーツデール駅を過ぎて100号線(中央公園通り)まで出ればあと1マイルちょっとで家まで着く。ところがここからが大変なのである。家までずっとなだらかな上りなのだ(その上り方はNYCの女王様区橋に良く似ている)。多少重くなってきた脚を何とか前に踏み出し、最後まで走り続けた。人間はその気になりさえすれば、出来るものなのである。それを実感した今日の早朝ランであったのである。

普段2時間半以上も走れば汗だくだくで嫌になってしまうものだが、最後まで大した疲労感も無く、練習を終えることができた。8月と言えば日本は猛暑日が続くものだが、NYの夏は短い。昼間は暑くなっても日差しが真夏のそれとはちょっと異なってきたような気がする。ちょっと気が早いかもしれないけど、早くも短い夏の終わりを肌で感じてしまった今日この頃なのである(”あっちー”と感じた瞬間は一時もなかった。1-2ヶ月前の華氏100度近い最悪の気温、そして蒸し暑い日々が嘘のようだ)。

もう1週間が経ってしまったけども、振り返ることにした。走るのをサボっていたらいつの間にか1週間が経っていた。体重ばかりがどんどんと増えてしまい、肝心の走行距離は一向に増えない。体重が1キロ減るとフルマラソンで3分速くなるという言い伝えは本当である。実際、体重が全盛期に比べたら10キロ以上増えているので、フルマラソンではサブ4を切るのがとても困難な状況である。ハーフでも今や2時間を切るのは難しいだろうなぁと思っていた。実際とてもキツイレースとなった…。

Nike主催のNYCハーフマラソンは7月27日(日曜)に行われた。夏はレースが余り無い。2009年のNYCマラソンのGuaranteeエントリーの9回を満たす為に今から回数稼ぎをしておかないと間に合わないかもしれない。そして暑い夏に極端に弱い自分である。しかしながら、6月22日のサロマ湖100キロ以来、鈍りに鈍りきってしまった身体、脚に活を入れるために出場を決意した。

レースは、いつものセントラルパークを1周した後、ミッドタウンに飛び出し(この瞬間は全身に鳥肌が立つほどに感動ものである)、タイムズスクウェアを通り(ここがレースの唯一のハイライトである)、ウェストエンド(何もない)からグラウンドゼロ(悲しい思い出)の近くのバッテリーパークがゴールである。今や1万人を超える夏の大人気レースになってしまったが、Nikeには是非コースの変更を検討して欲しいと思う。タイムズスクウェアを通るのは大英断であることは間違いないが、ハイライトが短すぎだ。セントラルパーク1周ちょいの7マイルは普段のレースの延長に過ぎないし(正直、飽きたと思う人が大半ではないのか)、9マイル過ぎからのマンハッタンの西側のルートはフラットでとても走りやすいことは認めるけど、観衆も少なくてちょっと寂しい。勿論、5番街を走らせてくれ!とは言わないけど、もうちょっとマンハッタンの中心部を走れないものかなぁ…。それとも、レースの値段を下げて欲しいなぁ。NYCマラソンには日本から何百人というランナーがNYCを訪れるけど、今回のハーフマラソンでも某旅行代理店を通じたツアーでは日本からわざわざ、3人も来られたそうだ。その方たちがNYCを楽しんでくれたらよかったんだけど、折角海外からランナーを呼ぶようなレースにするのであれば、その期待にこたえるようなレースになればいいなと思う。

さて、今回のレースのタイム目標は2時間を切ることだった。数年前に1時間40分を切って以来、下降気味の自分だし、最近は1時間50分すらも切れていない。今の実力では2時間も危ないと正直思っていた。ラップを公開するのは恥ずかしいが、以下の通りである。

1. 7.47.39 (7.47)
2. 7.49.79 (15.37)
3. 8.17.75 (23.54)
4. 8.35.68 (32.30)
5. 9.27.20 (41.57)
6. 9.51.95 (51.49)
7. 9.34.41 (1.01.24)
8. 9.47.00 (1.11.11)
9. 10.19.93 (1.21.31)
10. 9.32.45 (1.31.03)
11. 9.00.54 (1.40.04)
12. 8.52.01 (1.48.56)
13. 9.01.18 (1.57.57)
+0.1. 1.00.86 (1.58.58)

反省としては、蒸し暑いのに始めが速過ぎである。半ばは歩きそうなスピードになってしまい、どんどん抜かされた。10マイルくらいから漸く反省気分になり、最後の3マイルはごぼう抜きであった(全然速くないのだが)。最後ちょっとでも粘れたのが唯一の収穫か。最後粘れたのは、唯一2時間を超えたくない、という気力と執念だけであった。9マイルでのペースで行ったら明らかに2時間を超えるペースだったから、流石に拙いと思ったからだ。次に繋げるレース運びをしなければ何の為に今まで走ってきたのかわからないではないか…。

100キロを1ヶ月前に走ったので、ハーフは短く感じると言われていたが、結果的にはYESでありNOでもあったと感じた。長いとは思わなかったけど、決して短くは無かったようだ。100キロ、フル、ハーフ、10キロ、5キロ、…。距離が異なると、スピードも全然異なってくる。でもキツサという点では、どれもそれなりにキツイ!正直、100キロの方が楽だったくらいである。翌日から2日間、激しい筋肉痛が弱体化した自分の肉体を襲った…。

フィニッシュしたら、ボランティアをしている人の中に暫くご無沙汰をしている女性を見つけた。昔の職場で秘書をされていて、その後クライアント先の秘書になられた女性である。過去に何回かレースで見かけていたのだが、声を掛けられないままになっていた。今回、実に7年ぶりぐらいでほんの少しであるが話が出来た。自分の方から声を掛けたら向こうもすぐにわかってくれた。その女性はもうかなりお年を取られているが(失礼)、実に健康である。ランニングもずっと楽しまれているとのこと。自分は、今日は遅かったし結構疲れました、と言ったら、タイムなんか関係ないわよ、走ったら楽しいし気持ちいいでしょ、と答えた。ランニングの原点をすっかり忘れて実に恥ずかしくなった今日この頃である…。




あれから早1ヶ月が過ぎた。蒸し暑いNYに戻ってから走るのを怠っていた。大きな目標を達成できた安堵なのか、一種の燃え尽き症候群にでもかかったか?どちらかというと時差ぼけでいつでも眠くて、走ることよりも眠りを優先したいというだけかもしれないけど。でもいつまで経っても、その余韻に浸り続けるわけには行かない。もう走るのはうんざりという気持ちも心のどこかにあったような気がしていた…。

今でも頭の中ではサロマでの13時間弱が鮮明に蘇ってくる。あの至福の時間は未だかつて味わったことのない幸せな時間だった。今となってもあの時の嬉しい楽しい気持ちの中にいる自分である。参加してよかった。少し長くなるけれども振り返ってみよう。そしてこれからのランニング人生への再出発を始めよう。

6月22日は予てからの夢の一つであったサロマ湖100キロウルトラマラソンに参加し、目標であった完走を達成することが出来た。タイムの目標もなく(12時間59分59秒というのはある意味狙っていたのではあるけれど)完走のみを目標にしたのは初めての経験である。人が未知の世界に足を踏み入れるとき、かなりの勇気を必要とする。怖いのだ。失敗したらどうしよう、完走できなかったらどうしよう…。でも人が挑戦するときに失敗というものはありえない。挑戦すること、それ自体が尊いことなのである。自分は何気なく、100キロを走れたら凄いなぁ、なんて単純な憧れから始まった。過去において10分のジョギングですらまともに出来ず、5キロのレースですら完走するのがやっと、フルマラソンでは6時間近くかかっていた落ちこぼれランナーが目指したのは100キロという自分には途轍もない長距離を完走することであった。人は夢を見る。そしてその夢を実現したいという欲望を持つ。多くの場合、それは夢のままで終わってしまうのだろうけれど、自分はどうしても実現したかった。夢は実現させるために見るものなんだ。そして実現できた。その嬉しい気持ちを伝えたいと思う。

サロマ湖は2007年も申し込みはしていた。でも様々な要因から昨年はドタキャン。そして、今年も最後の最後まで行けないかもしれなかった(実際、出発の朝まで心に葛藤があった)。でも自分は勇気を振り絞った。行かなければ何も始まらないのだ…。サロマは逃げるわけじゃない。毎年大会は行われる。今年行けなくても、来年いけばいいじゃないか、という人もいる。でも今年のサロマは今回限りなのである。来年行って完走できる保証なんかどこにあるのか。そもそも来年だったら確実に行けるというのか。行くな、という周囲の猛反対を振り切っていくことにした。大げさかもしれないが、NYを発つ朝の決断は、自分の人生を変えるものになったかもしれない。人生の評価は自分が死ぬときにしかされないだろうけど、自分には大きな行動になった。考える前に行動せよ、昔から言われているけど、時にはその無鉄砲さが裏目にでることもあるだろうけど、気にしない。人生は一度っきりなのである。今を楽しまなくていつを楽しむというのだろうか。

結構高額なツアーの中の一番安い民宿コースを選んだ自分だった。6名の相部屋になるとのことだった。アメリカに長く住むと、個人のプライバシーがどうしても気になる。当初は嫌だった(結果的には最高でした!)。しかも、旅行代理店から指定されたのは民宿というよりユースホステルだった(以下、YH)。相部屋って…。しかも食事とかちゃんと出るのかなぁとか、変な人と同部屋になったらどうしようとか、余計な心配ばかりしていたのだ。郷に入れば郷に従え。意外と楽しいものである。

6月21日土曜日の朝8時前の羽田発のJALで女満別空港まで飛ぶ。飛行機の中はサロマに参加するランナーで一杯。嫌でも気持ちが高ぶる。自分は朝から得意のカツサンドを食べた(朝から何故か売っていた。昔から何かあると前日には“カツ(勝つ)”を食べるのが自分のしきたり…)。流石に、朝からそんな脂っこいものを食べている人はいないなぁ。もしかして、しくじった?でも自分を信じないと…。ところで日本は狭い国だ。羽田から北海道の果てまで2時間もかからないで行けてしまうのだから。何故、人は自分の力でしかも13時間も走り続けようとするのか?非日常なことをして本当に楽しいの?と自分に問いかけながらもあっという間に到着してしまった。女満別空港は何も無いところだ。しかも外に出ると、滅茶苦茶寒い(10度くらい)。NYで寒さには慣れているし(マイナス18度で走ったことを考えれば天国かな?)、マラソンにはこれくらいがベストコンディションだ。まさに走るに相応しい環境といえば環境だ。サロマ湖、オホーツク海、といった大自然と共に走れる。なんて幸せなのだろう。バスに乗り、ナンバーを受け取るべく会場に向かう。バスの中では皆明日のレースに向けて一人で耽っている人が多かった(出発が早かったから眠いだけか?)。バスからのサロマ湖周辺の風景は素晴らしい(でも実は自分の住むNYの郊外に似てなくも無いんだけど…)。都会住まいだった昔だったら、どの風景にも感動してしっかりと見ていたかっただろうけど、自分も途中ウトウトとしてもいた。そう、自分は風景だけを楽しみに来たのではなかった。100キロを走りに来たんだった。1時間半も経つと受け付け会場に到着した(逆にいうとそんなに遠くからスタートするのだ…)。NYCマラソンのような華やかなEXPOとは偉い違いのかなり質素な会場だ。何も無いので、ナンバーをもらって、申し込んでた弁当を食べて(これ不要だったかな)、カニ汁を食べて、ビールを飲んで(地元の漁師が提供してくださったホタテを食べる時間が無かった…)、30分後にはバスに揺られてしYHへ。バスツアーの都合で、すぐにYHに行くか、開会式の始まる夕方までその場で待ち続けるか(4時間近くどうやって時間を潰せというのか)、のいずれかの選択を迫られた。自分は当然前者を選んだので、さっさとバスに乗り込んだ。実はこのカニ汁は最高だった。時間さえ許されればもう一杯頂きたかったのに…。さて、バスに乗ってそれぞれの民宿にランナーをおろしていく。YHに行くのは誰だろう…。途中3ヶ所くらいの民宿でどんどんランナーが降りていく。町中の民宿もあれば(これは便利そうだ!)、物凄く寂れたサロマ湖沿いの民宿もあった。意外とこういう雰囲気が嫌いではない自分なのだが、いざこういうところに2泊しろと言われると辛いかもしれない。そうこうするうちに目的地のYHに到着(残ったのは3人だけだった。寂しい)。サロマ湖の目の前で丁度65キロ地点(魔女の森とか呼ばれる箇所だと思う)にある(果たしてここまで辿り着けるかな?)。部屋は矢張り相部屋。風呂はいきなり入れるとのことだったので一番風呂を楽しむ。とても快適。戻って、レースの荷物の準備をしていたら、同部屋の方が現れた。その方から非常に有益なアドバイスをもらった。その方は5回目のサロマで完走率は半分。でもこのサロマが1年に一度の楽しみで毎年戻ってくるリピーターであった。制限時間が13時間というのが普通のランナーだと丁度関門に引っかかる微妙な時間なのだそうだ。14時間ならもっと楽なのに、13時間ということで多くのランナーが涙を飲む結果となる。でもだからいいのかもしれない(そこがかえってサロマを魅力的なレースならしめていると思う)。壁が少しでも高いほうがやりがいがあるというものなのかもしれない。さてその方曰く、サロマ完走のコツは80キロ関門突破を目指せというものだった。サロマに慣れている人なら、ほぼ全員が知っている事実だったのだが、それを聞くまでは正直自分は知らなかった。70キロ関門さえ突破すればあとは10キロを1時間15分ペースでも行ける(終盤になってこのペースを維持することは実はかなり困難なのである)とは知っていたが、彼のアドバイスは80キロさえ突破すれば、残り20キロを1時間30分ずつのペースでよいので、完走はほぼ約束されるというものだった。レースを100キロと考えずに80キロだと思いなさい。60キロまでいけたら残りは40キロではなく、80キロまでの20キロと思えばいいんだよ、というものだった。これは100キロという距離に正直恐怖さえ覚えていた自分には気分的に楽になるとても有難きアドバイスだった。そうか、80キロまで頑張れればいいんだ。でも、70キロや80キロの関門を突破することが自分にとってはとても難しいことだとはその時点では知る由も無かった…。

同じYHにアサインされていた中毒患者のニャーママさんもその後無事に到着。一緒に再び会場へ。時間が最後の方だったので、食べ物などは何も残っていなかったけれど、そこでは矢張り中毒患者のTomokoさんにも出会え(素顔を拝謁するのは実に始めてであった。先日のJapan Dayでの仮装しか知らなかったのである)、ますますテンションは上がる。明日、完走できたら最高だな…。
スタートは朝5時である。3時ちょいにはYHを出る予定なので、2時には朝食。1時起床(これは朝とは呼べない。夜中である。皆まだ寝ているようだったけど、どうせ時差ぼけの自分には全く辛くない起床時間である。でもレース中に眠気が襲ってくるのではないか、というのが最大の心配だった)。フルマラソンのときも、お雪師匠のアドバイスに従って、3時間半前までに朝食を済ますように心がけているが、ウルトラでもほぼ同じ。でも唯一異なるのは、ウルトラはフル以上にエネルギー・体力の消耗が激しいし、どうせレース中にお腹がすくに決まっているので、どんどん食べれるだけ食べておいた。YHの食事は予想以上に素晴らしい。食べ放題だし、全てが美味しい。夜中に食べる朝食は格別だ。満足。食べ終わる頃には吐きそうになるほどだった。食べすぎだったかな。食べ過ぎは愛敬として唯一の失敗はコーヒーを飲んだことである(と思う)。途中何度もトイレに行きたくなった。フルだと4時間弱の旅なのでガマンできてしまうのだけど、ウルトラではそういうわけには行かない。尿意を催す度にトイレ休憩を取った(特に余裕のあった前半)。実に5キロに1−2回行ってしまった(間違いなく前半だけで10回以上行っている)。男なので自然のトイレを使うので並ぶ必要はないけれど、それだけでも1度に1−2分のロスは普通に発生する。これだけで10-15分以上のロスは痛い…。さて、バスに乗る直前になって、いつものバフがバッグに見つからない。確か前日にきちんといれたのに。バフって自分にとっては欠かすことの出来ないランニンググッズである。汗が下に落ちてきにくいのだ。顔が汗まみれになるのが極度に嫌いな自分にとっては、これがないと不安材料が増えてしまうのだ。困ったなぁ。皆バスで待っているので、無かったら無いでいいや、と開き直りの気分になってバスに乗り込んだ(どうにかなるさ、と気分を落ち着けるのがウルトラでは肝要のようだ。慌てるのが一番悪い。因みに、お気に入りのバフは落ち着いてバスの中で探したらちゃんと見つかった…)。半日以上かけて走るウルトラでは焦りは禁物。もっとリラックスしないと。

4時前には会場につく。ここでまたTomokoさんにも会えた。仲間にスタート前に会えたのは良かった。必要以上に気分が高揚しないように気をつける。お雪さんへの連絡も忘れないように。最近は海外にも簡単に電話・メールが出来るのが本当に有難い。全く離れているような気がしない。師匠がそばで常に応援していてくれる。自分は一人じゃない。そう思うと、きっと完走できるという勇気が与えられたと感じた。

サロマの唯一の弱点はトイレである(トイレの話ばかりだが、ほぼ完璧なサロマの運営でトイレだけはどうしても気になるのだ。自分の敬愛するNYCマラソンも嘗ては酷い状態だった。男性はもちろん、女性も人前でせざるを得ない状態だった。それが数々の批判を受けて今では完璧といえるほどにまで改善している)。男はまだいい(その気になればどこでも出来る)。女性にとっては辛いと思う。サロマを絶賛する人は多いが、トイレの改善を求めるランナーが少ないのはちょっと残念だ。厳しい関門もあって、僅か1分でも重要なのにトイレに並ぶだけで5−10分のロスが簡単に発生する。そのせいで関門に引っかかってしまった人も実は多いのではないか。勿論、関門に引っかからない、トイレの時間も考慮したペースで走ればいいと言われたらそれまでだけど…。さて、スタート前の会場はこれから始まる100キロという長丁場の楽しみを控えて皆リラックスして楽しそうだ。アップしている人さえ居るが(必要か?)自分には出来ない。ちょっとでも体力温存しておかないといけない。

いよいよスタート。ニャーママさんと適当なところに潜り込んだ。皆これから100キロも走るんだな。ちょっとだけ緊張。とにかく、始めからゆっくり行くこと。きっと完走できるさ、そう信じて…。目標は前半1キロ6分30秒。フルと比べるとかなり遅いペースで行く。でも100キロという距離を走ったことがない以上、抑えに抑えていかないと、完走できるかどうか全くわからないし。真ん中あたりに並んだつもりだったが、僅か1分のロス。でもこの1分が後でとても重要な意味合いを持つことになるとは思ってもいなかった。とはいえ、周りはゆっくりペースが多い。皆意識的に抑えているのがわかる。ベテランと思しきランナーが、これでも速いなと言いながら走っていたので、自分も気分を落ち着けてゆっくりと走ることに専念することにした。意外と快調だ。このペースなら意外と結構いけるのかなという気にもなっていた。ところが、一度後ろを振り返ると、人が余りいないのだ。そうなのである。自分はいつの間にか後方につけていたのである(いつの間にか後ろはパラパラしかいないのだ)。完走率が70%程度とすると明らかにそれよりも後ろである。あれ、これって拙いのかなぁと思いつつも、ゆっくりと走り出してしまったのだ、歩きさえしなければダイジョウブなはずと自分を信じた。ちなみに、自分と同じくらいゆっくりと走り始めたランナーは同じように12時間台でゴールしていたように思う(最後のほうでも見かけたから)。制限時間ギリギリとなってハラハラするけれど、とても堅実なんだと思う。自分を信じること。今までの人生でこれほど自分を信じきったことはなかった。信じるものは救われると言われるが、まさにそのとおりだった。因みに、ゆっくりランナーの中に、サロマンブルーがチラホラ混じっていたことも精神的には大きな支えだった。彼らは既に10回以上サロマを熟知している完走のベテランであり、彼らが周りにいることは初めてのウルトラランナーには非常に安心な存在だった。サロマンブルーについていれば、ゴールに間違いなく近づける。そう信じた。なお、当初の目標は12時間59分59秒の最遅完走ランナーになることだったが(これは関門の存在を考えると実はとても難しいのであった)、結果的には狙わなくても現実にそれに近くなってしまった。決して、予定通りではなかったのである。

サロマは、スタートの湧別市こそ立派な町であるが、瞬く間に田舎の風景に変わる。その風景は如何にも北海道であり、とてもリラックスして走ることが出来た。自分の住むNYも田舎である。NYの象徴とされるマンハッタンこそ大都会であるが、一度郊外に行けば大自然に囲まれている。亡き父は北海道出身(夕張)である。小さな頃一度だけ父と二人だけで北海道に遊びに行ったことがある(しかも東京から車でだ)。4人兄弟のなかで何故自分とだけ行ったのか、その真相はもう知る由もないのだけれど、2人で行った北海道の大自然だけはしっかりと覚えている。その後も何度か北海道へは旅行に出かけているけれど、そのときの思い出は一生ものである。マラソン好きだった父に報いるためにも、初めてのウルトラマラソンは北海道にしたかったし、是非完走したかった。今回、サロマに行くことに拘ったのはそういう一面もあった。レース後、無事父に完走の報告が出来たことは大変嬉しかった。

さて、サロマのコースは非常に走りやすい。後半アップダウンがあるとは知っていたが、前半はフラットそのものだ。ここでどれだけ貯金ができるかが後半に大きく影響してくる。貯金しすぎても後半バテるだろうし、かといって貯金がないと後半の10キロ毎の関門突破が難しくなってくる。自分はどちらかというと、可能な限りイーブンペースで行って12時間台のフィニッシュを目指していたわけであるが、前半で30分しか貯金がないと完走はかなり難しいことを途中で知ってしまった。前述のとおり80キロさえクリア出来れば残りの20キロを1時間30分x2=3時間で行けるということは、裏返せば80キロまでの関門を突破するためには、80キロまでを10時間のペースで行く必要があるということだ。つまり、80キロまでは最悪でも10キロあたり1時間15分ペースで行かなければ行けないことになる。当たり前のことだったのだけど、そのことをすっかり忘れていた。100キロを13時間でいくイーブンペースでは関門を突破できないし、完走できないのだ!。そのことに気づいたのは60キロの関門でであった。60キロの関門までは確かにまだ余裕があった。でもその余裕は本当の意味の余裕ではなくて、ほんの気持ち程度の余裕に過ぎなかったことに気づいてしまったのである。それまで30分貯金があったはずなのに、60キロの関門が閉められた時刻のとき自分はまだ60数キロの地点にいたのである。もしかして、関門突破ギリギリなのか…。ペース配分のミス!そう、ちょっとでも歩いたりトイレに行き過ぎると忽ち関門ギリギリになってしまうことを意味していた。ピンチ!

ゆっくり走っていたためか、フルマラソンの距離まではまだ余裕であった。当たり前だ。このくらいの距離でへこたれていたら、その倍以上の100キロを完走できるはずないのである。途中、フルの距離まで行かぬうちに歩く人も時折目にし、ダイジョウブなのかぁと心配だったが、ある若いランナーが隣の知り合いに、“もう心が折れちゃったよ”と弱音を吐いていた。“まだ今からでも挽回できるよ”ともう一人は声を掛けていたが、ランナーは一度戦意喪失になって歩き出すと復活することはかなり困難を極める。彼らはもう歩き出しそうだったので自分は彼らのその後を知らないのであるが…。自分は“頑張りましょう!”とでも声を掛けたいが、そこまでの余裕はない。“まだまだこれから”と自分の心を引き締め、前に只管進むしかなかった…。そもそも、頑張れという言葉ほど説得力のない言葉はない。皆、頑張っているのである。これ以上どうしろというのか。

自分には一つ楽しみがあった。フルの距離を過ぎるとき、42.195キロ地点の標識があり、そこで記念撮影をしたかったのである。フルまでは余裕で行けて当たり前。だって、その地点ですらまだ半分も走っていないのである。あと60キロ弱…。今までフル以上の距離をレースで走ったことはない。未知の世界である。ここからが本当のウルトラマラソンの“始まり”なのである。フルだったら、ここで渾身の力を込めて、フィニッシュしているところであるが、まだまだレースは始まったばかり。これからが“スタート”だ。そう気持ちを持ち直して、次の50キロ地点に向かう自分であった。でも何故か余分な力はない。フルの距離を越えたところで、気持ちが異常に高ぶるわけでもなく、冷めている訳でもない。フルの距離を今通過したというだけのこと。左に見えるサロマ湖は悠然とウルトラランナーを迎えてくれている。自分もそれに応えるべく、自然体の走りをしたかったのである。雄大なサロマは、人生そんなに焦ってどうする。ゆっくりと自然に任せて生きなさい、と教えてくれているようだった。

42.195キロで記念撮影をする余裕のあった自分だけれど、実はそれ以降は殆ど写真を撮っていない。制限時間が厳しく、残念ながらその余裕がなかった。淡々と走る自分。自分のランニング人生における唯一の自慢は、一度もリタイアをしたことのないことである。どんなに遅くても辛くても笑顔でフィニッシュする。これが自分の信条である。日本のマラソン大会には“関門”なるものが存在し、ランナーの“完走”の喜びを奪うことがある。幸いにも自分が本拠とするアメリカでは関門というのは余りお目にかかれないし制限時間も大抵かなり緩いものであるから、こんな鈍足ランナーでも常に完走の喜びを味あわせてもらってきた。ところが、サロマの制限時間は上述のように13時間。厳しいなぁ。でもこの厳しさが緊張感を生み、大会の価値を上げているようにも思える。42.195キロを過ぎると、”未知との遭遇“状態になるランナーも多いのか、疲れているような人も多くなってきた。自分は前半をかなり抑えて走ってきたせいか、特にペースがガクンと落ちるようなこともなかったし(気持ちの上では)、このペースなら行けるかもしれないと見知らぬ残りの60キロ弱が楽しみとなった。目標ではフルの地点で4時間30分は切っておきたい所であるが、途中の度重なるトイレ休憩がいけなかったのか、4時間50分を超えていた。が、前半の貯金は確実に積み重なっているし(もし、イーブンペースで走りぬくのであれば、5キロ当たりで39分(7分48秒/キロ)でダイジョウブと思っていたのであるが、上述のようにそのペースでは完走できないのである。うっかりだった…)、順調と勘違いしていた。60キロを過ぎてからその勘違いに気が付いたわけだが、でもそこまでその勘違いがあったからこそ、気持ちは平穏・冷静でいられたわけだし、無理にペースを上げて走りのリズムが乱れるということもなかったのである。結果オーライである。

ウルトラの興味としてフルマラソンの時のような35キロの“壁”みたいなものが存するのかどうかを知りたかった。フルマラソンで恐らくは多くの男性ランナーが経験する(何故か女性ランナーは壁の経験をしない人が相対的にしかし圧倒的に多いように感じる。持久力のない男性にとってはこの壁を乗り越えるというのもフルマラソンの醍醐味・面白さの一つなのかもしれないけど…)のであるが(自分自身、上手く調整できたときには壁を余り感じることも無く完走できるのだが、そうでない場合には本当に辛い時である。自分は走りたいのに、脚が止まってしまい、気力だけで前に進んでいるのである。でもフルマラソンの場合にはせいぜい最後の1時間だけなので、何とかなるというのも事実である。でもウルトラでは…)、ウルトラでもそうなのだろうか。結論を先に申し上げると、NOであった(今回だけかも)。確かに、後半はペースが落ちていったが、フルマラソンの時のように、壁にぶち当たることによって、脚が完全に止まる途端に歩くようなスピードになり(実際、歩いている人と同じようなスピードとなる。でも歩くことは出来ない。そこで歩き出すと、フィニッシュするまでもう2度と走る事はできないのだ。精神的にも肉体的にも…)、どんどん抜かされたり、下手すると戦意喪失状態になる。今回のサロマではそういうことはなかった。大自然に任せてゆっくりと走っていること、そして完走したいという大人としてのの気力・執念がそうさせたのだろうか…。

そろそろタイムを振り返ってみよう。完走するということだけが目標だった自分にとっては余り意味のないものなのだけれど。(5キロ毎。カッコ内はそこまでのトータル)
5K: 33.43.52
10K: 34.08.00(1.07.51)
15K: 34.08.79(1.42.00)
25K: 68.07.07(2.50.08)(20キロ計測漏れ)
30K: 34.32.36(3.24.40)
35K: 34.17.62(3.58.57)
40K: 35.58.60(4.34.56)
45K: 34.06.27(5.09.02)(42.195K通過は4時間50分くらい。予定よりちょっと遅れ気味だが、関門の5時間30分は楽々クリア。ここでくたばっていては話にならない)
50K: 37.09.67(5.46.12)(関門は6時間30分。これも全く問題なし)
55K: 53.07.92(6.39.20)(レストステーションで15分も休んでしまった…)
60K: 35.11.73(7.14.32)(関門は7時間35分。この辺で、もしかしてこの後の関門がクリアできるかどうか心配になる)
65K: 39.52.71(7.54.24)
70K: 40.32.56(8.34.56)(関門は8時間45分。ヤバイ…)
75K: 43.13.84(9.18.10)
80K: 37.41.24(9.55.52)(関門は10時間。スタートでの1分ロスがあるから実に3分前での関門クリア)
85K: 44.03.80(10.39.55)
90K: 42.42.78(11.22.38)(関門は11時間30分。ここで漸く完走が見えてきた。歩きさえしなければダイジョウブだと…)
95K: 46.10.60(12.08.49)
100K: 45.17.00(12.54.06)(制限5分前での完走!やった〜!)

自分にとっての失敗はいくつかある。今後そうならないようであればいい。
(1) 最近は膝の調子が良かったので、CW-Xを穿いていただけで特にテーピングとかしていかなかった。フルの距離を越えたあたりから右ひざに違和感を覚えた。そこからは膝に負担を与えないようにスピードの自重を更に余儀なくされたし(そもそも速くないから関係ない?)、最後まで持ってくれと祈るような気持ちだった。55キロのレストステーションで15分休んだのは、着替えをするだけでなく(これも結果的にはもしかしたら必要ないようだ。どうせすぐに汗で濡れる)何を隠そう膝にテーピングをするためであった。始めからやっておけばよかったのに、途中からでは効果は半減である。お陰でその後は、給水所ごとに冷水を膝にかけながら痛みをごまかすことになってしまった。特に、ワッカでのアップダウンは痛い膝に大変堪えた。でも痛みよりも気力が優った。だから完走できたのだけど。
(2) レストステーションでの休憩は5分にすべきだった。15分なんてあっという間である。僅か数分の違いが関門突破に響くとは思いもしなかった。ウルトラは13時間もあるけど、1分1秒を大切にすることが大切なのかもしれない。
(3) 何といってもペース配分のミス。前半を抑えすぎたようだ。お陰で関門ギリギリとなってしまった。でも今の自分では前半を思いっきり抑えたからこそ後半も脚がもったのかもしれない。もしかしたら、抑えたペースがベストだったのかもしれない。難しいところだ。でも次回はもうちょっと余裕のあるレース運びをしてみたい。
(4) フィニッシュ時点で走ってしまった。ゆっくりとゴールしたかったのだけど、後ろから思いっきり走ってくるランナーがいたのでついつい釣られてしまった(だからサイトで見れるゴールシーンはゴールを駆け抜けた一瞬しか映っていないのだ…)。次回は余裕のフィニッシュをする!

70キロ以降は余裕がなかった。かろうじて70キロの関門を越えられたけど、60キロ過ぎに自分がギリギリのポジションにいることに気づいてからは、余裕を持とうとしてもなかなか出来なかった。こんな場面でも余裕を持てないのは、人間的にまだ未熟なのだろうと思う。未知の世界ではあったけど、自分をとことん信じていればダイジョウブなのだ。自分は頑張ってきたじゃないか…。でもそうではなかったような気がする。傍から見れば80キロまでは死に物狂いだっただろう。現に80キロの関門は見事に3分前である。80キロの関門突破は、相部屋の方にアドバイスしてもらっていたから、ここで一つの達成感があった。たまたま隣で走っていたおじさんも、これで余程のことがない限り完走できるよ、と言ってくれた。後で気づいたが(必死だった証拠だ)、75キロあたりでのおしるこを自分は食べれていない(看板すらも取り外されていた、と思う)。これを目標にと思っていたがもう既になかったのだ(多分)。でも仮にあったとしてもとてもじゃないけど食べれる精神状況ではなかっただろう。これは次回での楽しみにするつもりだ。80キロを過ぎてからは、後は走るだけなのだけど(1時間30分のペースでよいのだから、本来であれば簡単な話なんだろうけど)、既に痛みの極限にまで来ている右ひざが始終気になっていた。右にオホーツク海、左にサロマ湖という大自然の中を走りぬける。そんな大自然と比べたら人間なんてほんのちっぽけな存在なのだ。日常の悩みや苦しみや怒りや悲しみは一体何のため?毎日楽しく生きればいいじゃないか、そして今走っている自然に身を任せ、決して気負うことも要らないし、のほほんと生きていこう。右ひざの痛みはあるものの、それに打ち勝つ精神力があった。完走も大切なことだ。でも自分はこの大会に参加した。確かにいたのである。それだけでも来た甲斐があったというものだ。人間は無二の境地に入ったときが一番強くなれる。走りのスピードは遅くとても弱弱しいものだったけれど、自分は今人生の中で一番強い自分になれたような気がした。

無事90キロの関門に辿り着いてからは、後は歩きさえしなければ完走できることがわかりきっていた(歩きさえしなければ、1キロ9分はかからないのだ。ただ膝に爆弾を抱え、全ての給水所で冷水を浴びる1-2分がとても痛い)。膝の痛みは消えることはないだろう。痛みと付き合いながら、黙々と淡々と走る自分。大自然に感謝しながら、ここまで自分を走らせてくれた自分の体に感謝し続けた。ただで寒い天候になったが、90キロを越えてからはオホーツク海からの海風がとても冷たくなった。思えば朝5時にスタートしたサロマは、既に夕方を迎えようとしていた。よく走ったなぁ。初めて走ったフルマラソンも長かった。NYCマラソンでまだスタートしたばかりのブルックリンで歩き始めた自分を思い出す。あの時はまさか将来100キロを走る自分など想像も出来なかった。フルマラソンで初めて4時間を切った時も嬉しかった。自分も一端のランナーになれたようだったから。そして今回のウルトラ。フルマラソンの2.4倍の距離は、長いといわれればそれだけの世界なのだけど、大人のそして贅沢な時間だった。フルマラソンまではどうしてもタイムを意識するのだけど、ウルトラではスピードやタイムだけではないというのは本当だった。ゆっくりと自分と向き合いながら、只管ゴールを目指す。フルではなかなかゆっくりと色々なことを考える余裕なんてないけれど、ウルトラは全てゆっくりと時間が過ぎていく。大切なものを教えてくれたサロマに感謝している。

ワッカを抜ければ、ゴールはもう直前だ。ボランティアの高校生や地元の人たちの暖かい”おかえりなさい”という言葉が心に響いた。こんな自分が完走できるという現実にほっとすると同時に、自然と涙がこぼれ始めた。一度サロマの魅力にとりつかれたら、毎年戻ってきたくなるのがよくわかった。サロマンブルーを目指す理由がよくわかった。自分は毎年戻ってこれるかわからないけれど、またサロマに戻ってきたい、完走したい、そう心から思った。
今日からNYは猛暑(今日は結局何度までなったか知らないけど、地元の予報では華氏92度で、体感温度は97度だった。摂氏で36度…)が始まった。漸く夏が始まったと思ったら直ぐに終わってしまうのかもしれないけど、兎に角暑い…。サロマ湖100キロに備えて、炎天下の中で走ってみようじゃないか、という暴挙が頭に浮かんだ。まだ涼しかった早朝ではなく、真昼間に。ただ恐らく死んでしまうだろうと思って、比較的日陰の多いブロンクス河公園道なら何とかダイジョウブと思って。ペースは1マイル12分弱ぐらいかな。ウルトラマラソン用だ。ウルトラにはスピードは要らないからゆっくりとそしていざとなったら歩くこととした。暑いときに走りたくなったのは、サロマでは気候がどうなるかわからないからだ。小雨や涼しい日になれば走りやすいだろうけど、暑くなったら最悪だ(暑いときの完走率は実に低い。50%を切った年もあるほどだ…)。自分は兎に角、暑さにとても弱い。日本に居たときからそうなのだけど、NYで走りに目覚めたときも、暑いときだけは只管遅くしか走れない。汗が滝のように滴ってくる。びしょびしょになるウェア。顔の汗がうざくてしょうがない。暑いのは嫌だなぁ…。そんな苦手意識を払拭したいという気持ちもあって、ちょっと無謀とは思いつつも走り続けた。家からいつもの検尿ダムまでは快調。暑さも余り気にならなかった。スピードが遅いからか。殆どのランナーは上半身裸で走っていた(こんなに暑くても走るなんて自分と同じ中毒患者か?)。アメリカ人はすぐ裸で走りたがるが、それは誤りである。日光を直接的に浴びてしまうので、余計体温が上がりやすいのだ。まあ、それでもウェアがびしょびしょにならない分良いのかな…。さて、問題は帰りである。2時間を超え、これは何とか帰れそうだ、と思っていたが途端に力が入らなくなった。頭が痛くなる。やはりこんな暑い日に3時間走ろうというのが馬鹿だったようだ。暑さに負け、歩いてしまった。そこからは一歩たりとも走れない。戦意喪失状態…。足取りも重く、歩いてたどり着くのが精一杯だった。サロマの当日がこんな暑さになるとは思わないけれど、暑さに不安を残す最後のロングランとなってしまった…。地獄の大特訓は失敗に終わった。残念無念。

さて、地獄の大特訓といえば、今は昔、会計士の専門学校であるTACに通い始めたときのクラスのネーミングである。1年本科生(1年後に公認会計士試験に受かろうとする無謀なクラス。その当時は平均すると4−5年はかかる試験であったから、1年で受かるというのはほんの微々たる超天才か運が良くてマグレで受かっちゃった人のみである)として大学2年生の夏に通い始めたため、春から既に勉強を始めている1年本科に追いつくために、炎天下の夏休みを朝から晩までほぼ毎日授業を受けるという恐ろしいクラスであった。だって、簿記3級レベルの人間をひと夏だけで、1級レベル以上に持っていき、更には簿記以外の受験科目である財務諸表論、原価計算、監査論、経営学、経済学、商法の基礎作りをしなくてはならない。恐ろしい。受験学校としては、これを地獄の大特訓と名づけ、今まで遊びまくっていた大学生が夏を越えた時点であっという間に一端の会計士受験生に変えてしまう。でも会計士の勉強はそこからが大変だったんだけど…。

明日は、NYマラソン中毒患者たちが集って熊山から新ロッシェルまでの50マイルリレーの日だ。今日と同じように暑くなりそうな予感。今日走ったブロンクス河公園道の北ルートはこのリレーのルートになっていることに気づいた。ルートに沿ってそこらじゅう矢印が出ていたからきっと迷うことはないだろう(1箇所だけ、二手に分かれているのに矢印がなかった部分ありー白平原駅のちょっと後のところ。真っ直ぐ行かないとどこかに行ってしまうかも…)。それより、この暑さが問題だ。自分が出ていたら、皆に迷惑を掛けてしまっただろうな。本心としては、出てみたかったけどじっとガマン。自分は応援に回らせてもらう。ランニングは得てして、孤独のスポーツと言われるけれど、リレーはまさにチームスポーツに他ならない。一本の襷を皆でスタートからゴールまで繋いでいく。自分はリレーに参加できないけれど、気持ちでは参加させてもらう。皆さん、頑張ってください!
最近食べすぎなのか、明らかに体重が増えている。朝は相変わらずご飯小盛に納豆だけだし、昼はサラダ中心。夜は普通に食べているけれど以前のような人の3倍とか5倍食べるような食欲があるわけでもない。ランニングするにしても体が重いので、速く走れないし、ゆっくりと長い距離を走るばっかりだ(これって意外と楽です)。とはいえ、先日日曜日の日本走レース以来、脚が悲鳴をあげていたので(その前の5時間走と6時間走が完全に効いてる)、完全休養を3日も自分に与え、脚を休ませていた。4日走らないとさすがに拙いだろうと重い、今朝は30分だけど普通ペースでのジョギングを久々に行った。体が重いから、30分でもきついかなと思いきや、意外にもあっさりと走れた(いつも決まったコースなので比較が出来るのだけど、普段よりも寧ろ速く帰ってこれたほどだ)。もしかして、いい感じで仕上がり始めてるということ?という勘違いをしておこうと思った今日この頃である。
さて、未だにサロマ湖当日のウェアが決められない。勿論、天候が暑かったり寒かったり、その日に近づかないとわからないだろうから(その当日ですら天候が目まぐるしく変わることも考慮しておかないと)、焦って決める必要はないんだけど。マラソンを始めた当初は袖の付いたTシャツの袖部分が走っていて邪魔になるのが嫌で袖なしの格好が普通だった。今では何故か、袖が全く気にならなくなって、更には肩が冷えるのが嫌で、袖付きが当たり前になった。人間の趣向なんて時とともに変わるものですね…。今は例え暑くても平気で長袖で走るのも時々する。サロマ湖のような後半寒くなる(オホーツク海からの風が結構きついということもある)らしいので、夏でも長袖かな?これだと日焼けもかなり防止できるし。下も悩んでいる。CW-Xを着るということは決めているけど、問題は長さ。最近は、ふくらはぎが張ることも多くて長い距離だとちょっと心配なので、長いのにしようかなというのが今の計画。暑くなっちゃうかな?頭はどうしよう。帽子は汗が垂れてくるのが嫌なので、多分Buffかな。それに、日焼け防止のためにタオルをすることも忘れないようにしないとね。こんなとき、日本の手ぬぐいが活躍する。ああいった手ごろな長さはアメリカにはないからね。しかも日本の○×商店って書いてあるようなちょっとチンケなものが軽くていいのだ。…なんてことを毎日考えている自分が楽しい。
さて、昨日は今年のNYCマラソンの抽選発表日だった。自分は毎年9回のミニレースを走っているから(09年度からは更に1回のボランティアが必要)、有難い事にGuaranteed Entryが出来ているけど、そうでない人はLotteryになってしまうので、当選するかどうかは秋のレースプランにも大きく影響するので悲喜こもごもだったと思う。残念ながら、Lotteryで申し込んだ人で当選した人を知らないというくらい、周りは皆落選している。今年は競争率は何倍だったのだろう。確かに、NYCマラソンは世界で一番の大会だと思うし、特に自分にとっては特別な大会である。自分の命がある限りは、毎年出たいと思える大会である。同時に、いつ終わるかわからない人生を考えれば、毎年毎年を大切に出たいとも思う。いつもこれが最後かもしれないというある一種の覚悟を決めて出ているというのも事実なのだ。今年は、ランニング以外で色んなことも起きているし、この先どうなるかわからないことを考えれば(日本に強制送還されるリスクも抱えることになっちゃったし)、必然的に1回1回を大切に思いっきり楽しみたいものだと思う。

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