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Author:走れけに〜
まだ若かりし頃、世界を代表する公認会計士を目指して、1990年に単身NYへとやってきたのがつい昨日のことのようです。仕事(会計士)への情熱は在米17年の間にすっかりと醒めてしまい、余生をどうやって楽しく送るかが今の最高関心事であります。そこで出会ったのが、まさにフルマラソンの世界なのであります。誰に褒められる訳でもなく、貶される訳でもなく、怒られる訳でもなく、全て自己完結な世界なのであります。走って何が楽しいのか、とよく聞かれます。兎に角無条件に楽しいのです。楽しいものに理由・説明など必要ないのです。何はともあれ、走れけに〜!

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最近、色々なことが起きていた。精神的にも肉体的にもなかなかロングランをすることが出来なかった。今日のNYは真夏のような暑さという予報だった。今日は走る気になっていた。暑さに弱い自分である。迷わず、ロッキーズに行くことにした。目標は2時間LSD。

今日は、上に行くことにした。只管上りが続くが難易度は低いので、上りが苦手な自分にはうってつけである。一部、日光を直接浴びる部分もあるけれど、殆どが木陰の中で走れるので大変涼しい。快適だ。この季節にもなると、ロッキーズで走るランナーも多く、それぞれが自分のレベルに合わせたトレーニングをしていて、気持ち良さそうだ。自分はLSDのペースを基本とし、時折頑張って上りに耐えることをしてみた。とはいっても如何せん遅いペース。本当のLSDというのは、下手すると早歩きのペースよりも遅いくらいが正しいのである。何人かのランナーに簡単に抜かされてしまった。といっても、抜き返す必要もないし、自分は自分である。そういえば、昔LSDをやっていて、普通に歩いていたおばちゃんに抜かされたことがあったなぁ(5時間走っていた時)。思わず、一人で笑ってしまった…。

折角なので、久しぶりに一番奥まで行ってみた。ここまで足を伸ばす人は少ないらしく、草木がボウボウで、一部進路が遠くからではわからず、走りながらコースを確めなくてはならないところも多かった。恐らく、ここで何か起きても直ぐには誰も助けてくれないだろうなぁ、とちょっと心配になりながらも久しぶりに訪れた奥地でのLSDを堪能させてもらった。幸いにも、無事にしかも予定通りに(5分オーバー)帰ってこれた。6月27日のDo you know?マラソンにはとても間に合わないけれど、10月3日の性情事マラソン辺りにはちょっと頑張ってみたいなと思えた今日この頃なのである。
今日、久しぶりにジョギングをした。僅か20分でしかなかったけど、自分にとっては大きな出来事であった。先週の木曜日にギックリ腰になってしまったことは既述したとおりである。お陰で、立てない、歩けない、動けない、で日常生活に大きな影響があった。どうすることも出来なかった。そして、NYRRのレースでも、とびきり楽しみにしていたブルックリン半分マラソンと日本日4マイルランに参加することができなかった。週末は最高の天気だったようだ。”ようだ”というのは殆ど外に出ていないのでわからないのである。肉体的にも精神的にも辛い週末だった。走りたい、それだけだった。走り出したら、サボりたくなるのが人間の常であるが(自分だけかもしれないけど)、今回は無性に走りたかったのだ。この1週間は兎に角じっとしていた。そして、何とか歩くのも問題がなくなり、余程のことがない限り、腰に酷い痛みを感じることがいつの間にかなくなっていたのだ。今朝は4時くらいから目が覚め、ちょっとでもいいから走ってみようかなとワクワクしていた。いざ外へ。無理してまた痛みが出たら嫌なので、10分走って、また10分戻ることを自分自身に対する条件にした。しかもスピードは度外視。ゆっくりと。NYの郊外の朝は極めてヒンヤリとしている。普段は車で一杯になる道路には車は殆ど走っていない。草木は小雨に濡れているが、同時に青々としている。そして、所々綺麗な花も咲いている。何人かのランナーや自転車に乗っている人とすれ違った。気持ちよくお互いに挨拶を交わした。全てが新鮮に見えた。再び走れたことが嬉しかった。脚を暫く休めていたから筋肉痛にでもなるかなと思っていたが、全く問題なし。普段辛さを感じることのある近所の上り坂ですら走れる喜びの方が勝っていた。全く辛さを感じない。あっという間に上りきってしまった。まるで自分が生まれ変わったかのように、そして好きな人とのデートのように、心がウキウキし楽しい気持ちで溢れた20分だった。きっと明日になったら、この気持ちは忘れ去ってしまうかもしれない。しかし、今のこの気持ちを大切にして、度々思い出していきたいと思った。ランニングが継続できる人というのは、走ることを楽しいと感じられる人だそうである。今日は少しでもその気持ちが持てた。こんなに楽しかったっけ…。暫くは走ることが続けられそうである。

今日は、偶然にもNational Running Dayである。走ることを皆で楽しみましょうというのが趣旨だと聞く。全米の彼方此方でグループランが実施されているようだ。自分は残念ながら一人で走ったが、何故か心は皆と一緒に走っているような心境だった。走れることは素晴らしい。皆に感謝したい気持ちだ。そしてこんな日が毎日でも続けばいいなと思う今日この頃なのである。
暫く、ブログも滞ってしまった。しかし、ランニングへの情熱が消えうせたわけではない。寧ろ、今は走りたくて仕方ないのだ。先週の木曜日、自分にとっては大事件が発生してしまった。

うちの地域では新聞紙等を捨てる場合には、原則として2週間に一度回収に来ることになっている。新聞はインターネットでも大体は読めるのだから、取らなきゃいいのに何故か昔から入浴時代を取ってしまっている。そして、山積みとなった新聞紙を2週間に一度捨てるのである。いつも収集車は朝7時にやってくる。先週の木曜は新聞紙を捨てる日だということをすっかり忘れていた。そして7時になってから、新聞を捨てることを急に思い出してしまったのである。人間、慌てていると大抵の場合に何かやらかしてしまうものである。急に重い新聞紙の束を持ち上げた瞬間、あっ…と声を上げてしまった。そう、人生初のギックリ腰…。それでも何とかなるだろうと思って、オフィスに出かけたのがもっと悪かった。昼過ぎからは激痛で、身動きすら取れなくなってしまった…。ギックリ腰の場合、カイロに行ったり鍼に行ったりする。取り合えず、かかりつけの医者に相談したらカイロにしたらと言われて、素直に応じたのがまた行けなかった。どうせ、ギックリ腰なのだから安静にしているのが一番なのだ。またNYでヤブを見つけてしまった…。金曜は一日横になって時折メールと電話のやり取りで仕事をこなした。これで出来るんだから、本当はオフィスなんか要らないジャンといつも思ってしまう。とは言え、会計士はクライアントとの定期的なFace-to-faceのコミュニケーションが一番大切だから、いつもこのやり方で済まされるというものでもないことも真である。

さて、本当だったら土曜はブルックリン半分マラソン、そして日曜は日本の日4マイルのはずだった。個人的には非常に楽しみにしていたのである。が、あっけなく土曜は諦めた。何せ、歩くのがようやっと(回復が思ったよりずっと早い!)なので、半分マラソンを制限時間内に歩ききるのは不可能と判断した。残念…。日曜は歩きでもいいから出たいなぁ、とずっと思っていたが、土曜日の塩梅からすると無理だろうなぁと考えていた。念のため、土曜に鍼の先生に電話したら、今から診てくれるといわれたので、ささくさと行き、鍼を打ってもらった(先生は中国人のおじいちゃんだが、大変親身だしお勧めであるーただし、保険は利かない)。直ぐに効くわけではないが、夜になって気が付いたら、結構痛みが緩和されていた。よ〜し、日曜は4マイルを1時間かけて歩こう!と思っていたが、夜中に冷静になって考えてみれば、今後の全部マラソンに向けて、無理をしていいものか悩んだ(一瞬…)。もし悪化させてしまうと6月27日のDo you know?マラソンに出れなくなったり、あるいは出れても途中棄権はしたくない。従い、今はじっと完治させることに全力を費やすこととした。あと数日ガマンすれば大丈夫だよと先生には言われているので、大人しく従うことにしたのである。我ながら、大人の判断!そして、今年の日本の日のテーマソングである”大丈夫だよ”が頭の中を駆け巡った。ところで、この歌、気だるい歌い方についつい”大丈夫じゃないよ”って言い返したくなるのは自分だけか…。

走っている人を見ると無性に走りたくなる。でも今は走れない。この気持ちをいつの日か爆発させたいものだ。今はそう思っているのである。
さて、またまた1週間の怠慢を経て、漸くその2を書く気になった。その間も色々とあったが、金曜日には中毒患者の飲み会にて(詳細は他の人の練習日記やブログに書かれているので割愛)、モツ鍋・うどん・カツカレー・ビール・焼酎・ワインを夜遅く腹に入れ(体重が更に1キロ増えていた)、翌日にはNY中央公園にてNYRR8000のレースへ。1マイル8分ペースにならないといいな、と思っていたが危なかった…(実際にはギリギリ7分47秒ペース)。ピンチである。まあ、東京マラソン1週間前だし、タイムに拘るほどの練習もしていないし体重管理もしていないのだから、別に気にしてはいけないのだが…。

ところで、NYは本当にランニングブームを迎えている。自分にとっては実に土曜がNYRRでの今年の初レースであった。このレースは昨年はボランティアとして参加したので良く覚えているが、朝から雨が降っていたこともあって、ガラガラだった。ところが今年はどうしたものか、5000人のキャップ一杯で売り切れである。NYRRのレースでは今年からキャップ制度を導入した。基本的に5000人でレース参加を締め切ってしまう。昔は、何気なく気が向いたら出ようかな、なんて呑気に参加していたものが、今年からはそんなことは一切出来ない。余程のことがない限り、どのレースも早々と締め切ってしまって当日申し込みが出来ないのである。ランニングがブームになって、走る人が増えるのは歓迎すべきことである。しかしながら、NYCMギャランティーを得る為に9回走ることが結構難しくなっている今日この頃なのだ。早め早めにレースなんか選ばず、ちょっとでも早く9回参加を達成すると同時に、ボランティアも1回さっさとやらねばなるまい。大変な世の中になったものである(って大したこと無いけど…)。

さてさて、漸く先週のマラソンの続き。まずは、恥ずかしいラップタイムでも書いておこうかな。
1&2 19.23
3 9.21
4 9.20
5 9.06
6 9.17
7 9.17
8 9.14
9 9.29
10 9.17
11 9.35
12 10.12
13 10.14
14 10.43
15 11.24
16 12.00
17 14.12
18 11.38
19 15.18
20 13.08
21 13.26
22 13.17
23 12.56
24 13.58
25 14.41
26 14.55
+0.2 ?
Total: 4:58:27 (順位は後ろの方)

12マイル辺りにはもう苦手の上りが始まっていた。眠いし、きついし、歩いちゃいけないと思いながらも、もうダメと途中から完全に戦意喪失状態であった。どうせ道は真っ直ぐだし、誰もいないし、と目を瞑りなから、途中歩いてしまった(結局最後までダメで後半は殆ど歩いたといっても過言ではない…)。疲れていながらフルマラソンを走るのは本当に自殺行為に近い。これほど辛いものはない。本当は道端で休んでいれば良いのだろうけど、あるいは途中棄権という手もあるんだろうけど、それは流石に出来なかったししなかった。兎に角、歩いてでもフィニッシュする。途中棄権だけはしない。これがダメランナーの小さいけれど唯一の自慢だし誇りなのである。それだけが自分の50州達成への道、証なのであるから…。

少ないけれど、途中ボランティアの方々や沿道の声援がこれ程暖かかったマラソン大会は滅多に無いかもしれない。本当に心の底から応援してくれるのだ。ランナーも少ないから、一人一人に声を掛けてくれる。24マイル辺りであったか、給水所で10人程のボランティアがこんなダメランナーに全員で大拍手をしてくれた。もうすぐだよ、よく頑張ったねと…。自分の脚はこの時点ではもう走る態勢には全くない。20マイルを過ぎてからはなだらかな下りが続いていた。走れ!と自分に叱咤激励するのだけれど、一度歩いてしまった脚はなかなか言うことを聞いてくれないのだ。思い出したかのように、ちょっと走ってみるものの長続きしない。眠くて朦朧としていることもあって、全くダメというのは今回のことを言う。脚や身体のどこかが痛いのではない。いつも痛くなりがちな足底、脛、膝には悪いところは全くない。いつものジョギングのペースよりも遥かに遅いまるで散歩人のような自分に声援をしてもらって大変バツが悪い思いをした。声援に応えられない情け無い自分。でも心では常にありがとうと言っていたつもりではある…。

25マイルを過ぎて、流石に5時間が見えてきても焦りはなかった。焦ってもしょうがないのだ。人生のも焦りは禁物だし…。ここまできたらトコトン(チョコトンではない…。チョコトンは、W大の西門のそばのトンカツや)いっちゃうのだけど、でも最後まで沿道の声援に少しでも応えたいという自分もまだ残っていたのだ(勿論、脚が前に進まないけれど)。だから、4:59:59も狙えたのだけれど、大人しく最後はタイムを全く気にすることなくフィニッシュラインへ。漸く着いた。何故か嬉しいフィニッシュだった。決して褒められるレース展開でもないし、途中歩いてしまったのは折角最近歩かずにフィニッシュしていたのに不覚ではある。でも、はるばるNYから6時間かけて甲斐・価値があった。今回は無理しすぎたことは素直に反省する。睡眠不足になってしまったのは、全て自分の責任である。レース自体はこんなに心温まるものはない素晴らしいスモール・マラソンだった。何故か、感謝という一言だけが自分に残った。フィニッシュする時には最近忘れかけていた涙が溢れてきた。自分はサングラスをかけた。涙を隠すために…。

何か人として忘れてはいけないもの、見失ってはいけないもの、それが何なのかは漠然としすぎているかもしれない。NYにいると得てして忘れてしまう何かがある。時にはアメリカの田舎に行くのがいい。言葉では上手く言い表せない何かを心の底から感じることができるだろう。そういう意味でも22州目としてメリーランド州の何もないこの地・この大会を選んで良かった。無理してでも行って良かった。これからもどんどん50州を続けていけそうな気がした…。


さる日曜日、3月8日に22州目のフルマラソン大会としてメリーランド州のポトマック河下流マラソンに参加した。参加者200名という極めて小規模な大会ではあるものの、オーガニゼーションやボランティアに対する評価が大変高い大会であったので、楽しみにしていたが、実際その通りであった。遠藤の応援がなくても前後にランナーがいなくても、一人の時間を楽しみたいというランナーには超お勧めである。

既に書いているが、この大会に出ることは楽しみだったものの、その参加には多少の葛藤(という格好のいいものでもないのだが…)があった。日曜の7時15分からの早朝スタート(しかもホテルからスタート地点まで車でも20分かかる、しかも夏時間への移行初日、…)にも拘らず、前日の土曜日の夕方まで家を出れない、しかも5時間半のドライブ(300マイル…。しかも途中からスピードを出せないローカル道路)、などの悪条件が揃っているのが始めからわかっていたからだ。それでも自分で行くと決めたのだから、しかも一生行かないかもしれない辺鄙な場所でもあるから、と多少なりとも冒険心のある自分にとっては、行くことの魅力の方が面倒さを上回ったのである。

実際には午後6時(予定では5時までには出たかった)に家を出たし、途中からは誰もいない真っ暗な道路を只管運転しなくてはならなかった。結構心細かった。ボルチモア辺りであれば、何度も行ったことがあるから、何とでもないけれども、アメリカの田舎の道路で夜遅く一人ぼっちで運転することほど寂しいものは無い。というか怖い!自分はナビを持っていたから、何とかなると思ったけど、しかし今回ほどナビに助けられたことはない。こんなに役立つものとは!実は1ヵ所、迷ってしまったのだ。ナビに従ったつもりだったのだが、自分で間違ってローカルにいきなり出てしまい、戻れなくなってしまった。それでもそこからのリカバリーはもうナビを信じるしかなかった。10分も彷徨っていたら(本当にこっちでいいのかと不安を抱えながら)、何とハイウェイに帰れた!でもそのあとローカルまた出ろという指示に従うと、その後は延々とローカルを2時間弱走ることになるのだが、迷ったらもうマラソンへの参加は諦める覚悟もしていた。教訓その1、大会の場所へはなるべく早めに余裕をもって行きましょう。運転する際には、ナビが必須です(アメリカの道路は不親切すぎ!)。

それでも何とか無事到着できた。ところが、もう12時近くだったせいもあって、予約を入れていた安ホテルのチェックインカウンターが何とクローズされていた…。それでもずっと待っていたら漸く係りの人が来てくれて、鍵をくれた。眠い身体を引きずって部屋に行くと何と掃除されていない部屋…。ただちに、カウンターにもう一度向かって文句を言ったら、違う部屋の鍵渡しちゃった、ゴメン!だって。いい加減にしなさい!いきなりベッドに直行すると、時計は午前1時半を回っていた(1時間ずらして)。おいおい、スタートが7時15分で、ナンバーとかも朝もらわなきゃいけないし、場所も定かではない、しかもフルマラソンだから朝のごはんが重要だ。でも眠い。そこで、本当だったら4時半には起床しなくてはいけないんだろうけど、5時に目覚ましをセット。3時間ちょっとしか眠れない。寝不足はマラソンには大敵である。というか眠いと走れない。大丈夫かなぁ…。相変わらず不安だけが自分を襲っていた。でもそんな不安をよそに、一瞬にして深い眠りにつけたのは幸いであったようだ。3時間ちょっとしか眠っていない割には余り眠くは無かった(でもそれはレースの後半、単なる妄想だったことに気づくのだが…)。朝無事起きれたのは良かったけれど、実はもう一段トラブル。安全を見て、6時15分にはホテルの部屋を出たのだが、カウンターにまた人がいないよ…。夜は電気が点いていたから人が来てくれたけど、真っ暗…。諦めて、鍵をカウンターのシャッターの下に入れといた。文句が来ていないから、きっと大丈夫だったのだろう(と信じる)。教訓その2、ホテルはケチらないこと!3流ホテルにはもう2度と泊まらない!

さて、そろそろレースの話にしたいのだが、まだまだ続きが。ホテルからスタート地点までの行き方が今一わからない…。住所も完璧にはわからないし、どうしよう…。インストラクションには20分で簡単に行けますよ!の一言が…。これ無理だって!何回か道を間違えたものの(道路の名前が途中無いところがあって、勘で行きました)、でも無事着いて良かった!こんな田舎で真っ暗道でスタートに辿り着けるなんて奇跡!もしかして今日はマイ・デーなのか?(それは大きな勘違いだった…)

さてさて、今回の大会は自分以外もトラブル続きだったようだ。マラソンガイド・ドットコムによれば、こんな恐ろしいことが起きていたんです!余りにも嘘の様な、でも本当の凄いことなのでそのまま引用させて頂きます(お許しを)。

The 2009 Lower Potomac River Marathon race did not go as planned for some of the featured runners. Three time champion (2005,2006,2007), John Piggott, had car trouble and didn't make it from the hotel to the starting line. Defending champion Michael Wardian overslept with the time change, had to stop enroute for gas and then missed the turn to the start line. Wardian almost gave up on starting the race at all, but on the return found the turnoff and made it to the start line 15 minutes after the race had already begun. Chuck Engle, who was second to Piggott in 2006 and running his 12h marathon of the year, led from the start and notched his sixth win in 2:38:58. Joseph Moore, 25 of Raleigh NC, running his first marathon, finished second in 2:46:22. Michael Wardian, also running with a backpack as training for his upcoming Marathon des Sables race - chased down all but Engle and Moore to finish in third place in 2:51:22 even with his 15 minute handicap.

車の故障でスタートに辿り着けなかったとか、夏時間に変わったせいで寝坊して更にはガソリンを入れてて道間違えてスタートミスりそうになったとか、何やってんでしょう。因みに、15分遅れなのに、きちんと3位に入ってしまったツワモノランナーには、自分は3マイルくらいで簡単に抜かされております。何と速いランナーなんだろう(しかも本当に重そうなバックパックを背負ったまま。何でだろうと思ったものです)と感嘆しておりましたが、まさか3位だとは。凄すぎです。因みに、彼はマラソンガイド・ドットコムの走る広告塔としてそのランニング・ユニフォームはきちんと着ていました(これだけは、何が起きても着用が義務付けられていたんでしょうね。しかし、朝慌てていただろうに。アメリカ人律儀なり!しかし、現地まで行ってホテルからスタートまで辿り着けなかった彼もお疲れ様でした)。やあ、本当に速かったなぁ…。感動!教訓その3、遅刻に気をつけましょう!でもこんなに小さな大会でも色んなドラマが生まれるのですね…。

てなわけで、その2に続く。



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