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走れけに~

Author:走れけに~
まだ若かりし頃、世界を代表する公認会計士を目指して、1990年に単身NYへとやってきたのがつい昨日のことのようです。仕事(会計士)への情熱は在米17年の間にすっかりと醒めてしまい、余生をどうやって楽しく送るかが今の最高関心事であります。そこで出会ったのが、まさにフルマラソンの世界なのであります。誰に褒められる訳でもなく、貶される訳でもなく、怒られる訳でもなく、全て自己完結な世界なのであります。走って何が楽しいのか、とよく聞かれます。兎に角無条件に楽しいのです。楽しいものに理由・説明など必要ないのです。何はともあれ、走れけに~!

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昨日16日(金曜)を最後に自分の一般企業でのサラリーマン生活は終わった。誕生日を迎えたこともあるけれど、今年は大学を卒業して丸20年、すなわち働き始めて20年目を迎えるという節目の年でもある。振り返ると、万丈波乱だった。自分は公認会計士を目指して、大学では当時流行りのダブルスクールとやらで、昼間は大学に通い、夜は専門学校に通ったものだ。運よく、大学在学中に合格していれば、そのまますぐに就職もできただろうし、バラ色の人生が待っていたかもしれない。
当然、不器用な自分の人生が上手く行く訳はない。思い通りに事が進まない、というのが人生の本質であると自分は思っているから、それで構わないのであるが、それにしても余りにも酷すぎかな…。
自分は、大学卒業後、実に6ヶ月間は”無職”という時期があった。大学在学中に合格しない人の取る行動は大きく分けて3つある。大人しく就職、大学に残る、そして無職の道を選ぶ、である。自分は就職活動なんてしなかったし会計士になる夢を捨てることはできなかったので、一つ目はペケ。2番目はお金がなかったからこれもペケ。何も考えずに無職の道を選ばざるを得なかったのである。
大学在学中も特に4年生の時は経済的に地獄であった。親に勘当はされるし(家を飛び出して以来、父親とは結局話をじっくりすることも出来ず、考えを分かち合うこともなく、他界してしまった。これが人生最大の後悔である)、専門学校での本(簿記1級の原価計算のテキスト、これは一時ちゃんと本屋さんにもあった。勿論、自分の名前は出ていないけど)を書いた原稿料(その当時で30万円もらった。それが自分の全てのスタートだったなぁ)を元手に月1万7千円のおんぼろアパートを借りていた(ゴキブリ、ねずみと一緒に生活した。声はアパート全体に響き渡るほど薄っぺらい壁、トイレは共同、金がないから、冷蔵庫もないし、ガスは引けなかったし、電話もなかった)。自分の将来はいったいどうなるのか、全く予測もつかない中で、合格するかどうかわからない(因みに、無職となって会計士試験に受からなかった場合、その後の人生はかなりの困難を伴う…)不安定な日々。でも実はそのときの生活が自分の人生で一番充実していたのではないか、と最近ふと思うのである。貧しかったけど、心は決して荒んでいなかった。それよりも寧ろ、夢を持ちその実現に向けて毎日必死になることの充実感の方が勝っていたと思う。いつか見ていろ、俺だって…。
無職1年目の自分は、受からなかった。これ以上そのままの生活は流石に無理だった。10円の味噌汁すらも買えず、銭湯には当然毎日行ける様な余裕は全くなし、電車賃すらもなくて仕方なく部屋で一人寂しく独学をしたり…。ここで、1回目の就職。場所は、某監査法人国際部。身分は研修生なので、同じ仕事をしても合格している同期とは、給料は安かった。でも、ここは自分には天国みたいなところだった。同期、上司は皆優しく、かつ監査実務をお金をもらって勉強させてもらったから。しかも、物凄く助かったのが、残業すると必ず上司が夕食に連れて行ってくれた。タダで!ドンブリ6杯ご飯を食べたのは、上司と食事に行ったときに樹立(?)した大記録である。
自分には夢があった。会計士になること。世界に通用する会計士になること。会計士は兎に角勉強して受かること、これしかない。仕事をしながら当時の会計士試験に受かることは、かなり困難であった。全国で毎年10名くらいしかそういう人間がいないのだ。平日は毎日終電間近かタクシー帰り。そして、週末も働くというビジーシーズンの時には勉強なんて全く出来なかった。朝5時に起床して、7時からの朝の計算コースに出ても、寝不足で全くダメだった。研修生には試験直前3ヶ月の休暇が認められていた。いくらある程度の基礎があるとはいえ、他の受験生は毎日14時間近くの勉強をしている。一方、自分は勉強時間ゼロという日々が続いていた。明らかに不利。勿論、現場での仕事を通じて生の監査実務は覚えられたから、実務に直結するような問題が出れば強みはあっただろうけど。自分は希望を捨てなかった。必ず受かってみせる。人間、必死になると道は開けるようだ。3ヶ月しか勉強できないけど、思いっきり集中できた。どん底からのスタートみたいなものだから、どんどん上に伸びる一方なのである。一昔前、”ドラゴン桜”というドラマがあったけど、本当にそんな状態。そのときには今となっては考えられない、勉強が楽しくて楽しくて仕方なかった。その年、首尾よく合格!一つの区切りがついた。もう一つの夢は世界的に通用する会計士になること。そのためには、何といっても海外経験が必須だと思っていた。その事務所に居てもトレイニーという形で海外に行くことはできただろう。でも自分はすぐにでも行きたかった。永住するくらいの気持ちで自分の力を試したかった。念ずれば、夢へのチャンスは与えられるのである。たまたま知り合いからNY事務所のパートナーの日本出張を聞き、面接をしてもらった(実際、面接というものではなかった。日本語の喋れる日本の会計士が必要とされていたから、採用に何の不都合もなかった。問題は、自分が英語英文学科卒業ということで、ビザが取れないかもしれない、というリスクだけだった)。
かくして、1990年からNY生活が始まった。憧れの大会計事務所のNY事務所。夢の実現に向かってまっしぐらだった。途中、ビザの問題で日本に1年帰国するという目にもあった。けど、2001年9月11日のテロで働く意欲を失くすまでは極めて順調だったし、悔いは特にない。同年中には日系企業に転職し、一般サラリーマン生活をした。でもこれは4年しかもたなかった。300人を超える会社のトップマネージメントになるのはとても爽快なものだ。特に、会計・予算に関しては自分にすべての権限が与えられていたし、毎日緊張状態だったけど、とても楽しかった。あとは給料がもっとよければねぇ…。一般企業の経験は会計人にとってはとても貴重である。監査は本来は会社のビジネス環境を良く知っていないとわからないはず。でも一般の会計士は一般企業での経験がないものだから、何でもかんでも数字でしか判断できないことになりがちである(実際のビジネスで何が起きているのか理解できないし、しようとも思っていないのだ)。でも本当は、会社のビジネスの結果が数字という万国共通のモノサシで評価されているわけで、数字が先にありきではなく、ビジネスが先にあるのである。こんな基礎的なことすらも疎かになってはいけないと思うのだ。自分はその日系企業を退社して中規模の会計事務所に入った(2006年)のであるが、会計人のあるべき姿を追い求めたくて、一般企業にまた戻った(2007年12月)のである。ここは世界を代表する大企業であった。以前の日系企業と異なり、業務は細分化され、それに伴い責任・権限の範囲も限定的だった。それ自体は構わなかったが(むしろ、こんな楽な仕事でいいのか、と日頃から思うようになった)、駐在員の上司と巧くやりくりすることが出来なかった(自分は誰かに仕えるというのがダメなんだな、と心の底から感じた。一匹狼の会計士が一番似合っているようなのである)。そこで、既知のとおり、5ヶ月という短い期間で再転職(元の会計事務所)をすることにしたのである。
人生にタラ・レバはないと思っている。必然なのである。大学在学中に合格していたらどうだったのだろう、研修生にならなかったらどうしていただろう、合格していなかったらどうなったのだろう、知り合いに海外に出たいと相談していなかったら、NYにいかなかったら、…なんて考えてもしょうがない。だって現にそうならなかったのだから。自分の未来だって本当は既に決まっていて、ただそこに向かっているだけなのかもしれない。もちろん、自分次第で自分の未来を違う方向に変えればいいと思われるかもしれないが、その変えたと自分が信じる未来も初めから決まっていたのかもしれない。だから、自分は流れるままに身を任せることとした。流れに逆らうことなかれ…。
さて公認会計士をテーマにしたドラマは悉く少ない。というか少なかった。やはり、弁護士や医者のような人間の生命・人生を左右するような職業には緊張感があり、その緊張感はドラマにテーマに乗っかりやすいのだろうけど、会計士には華もないし、過去においては会計士が裁判に巻き込まれたり、新聞沙汰てもどんなことをするか即座に説明できる人は世の中それほどいるものでもないだろう。ところがである。NHKで6月から“監査法人”なるドラマが始まるという。ドラマでは、監査法人を舞台に厳格な監査を行うことが社会的正義に繋がると信じる公認会計士の一途な仕事ぶりや、その結果として多くの人々が不幸になっていく過程での心の葛藤など、様々な場面が繰り広げられるという(日本会計士協会サイトより引用)。厳格な監査が社会的正義に本当に繋がるのかというのは疑問だし、その結果として何で多くの人々が不幸になっていくんだろう…。監査というのは何も会社の財務状況に関して粗探しをするわけでもないし、会社が作成した財務諸表を外部の第3者である会計のプロが見ることによって、信頼性を付与するプロセスにすぎない。不幸って誰がそうなるんだろう…。そもそも、“不幸”の定義というものは意外と曖昧なものである。幸せってどんな状況?そして対する不幸せって何を意味するんだろう。自分は不幸のどん底にいると思っていても、傍からみればそんな風に見えないこともある。人間、生きていること自体が幸せというものなのかもしれない…。
てなわけで、今日から2週間だけだけど“無職”に戻った。第2の人生のスタートとでも呼ぶかな?
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コメント

同感です!

>人生にタラ・レバはないと思っている。必然なのである。
>流れに逆らうことなかれ…。

私も本当にそう思います。

けに~さんとは、全く違いますが、私もここまで、かなり「波瀾万丈」な人生を送ってきてるみたい…よくそう言われます。その時その時で最善と思われる選択をして来たら現在に至っているんですけどね。私の第2の人生のスタートは、間違いなく10年前に離婚した30歳の時でした。人生最善の決断だったと確信できます。まだまだ人生先は長く、何が起こるか分かりませんが、自分の内なる声に素直に耳を傾け、自分に正直に生きて行きたいと思います。

しあわせになりましょう♪

ニャーママさん、
ゆっくりとのほほんとあるがままに行きましょう!有難うございました。

がんばりましょう!

そうですよね。前進あるのみです。ちょっとの回り道とかあって元に戻ってもいいじゃないかと信じてですね。こちらこそありがとうございます。

Blue3さん、
有難く。あとは走りを早く復活させたいです。ゆっくりとね。サロマ湖まであと1ヶ月…。

けに~さんの20年、深い20年だったんですね。自分の気持ちに正直に人生を生きていく力強さと潔さが感じられます。かっこいいです。

まこちゃんさん、
見ての通り、のらりくらりの人生に過ぎませんが、あるがままに生きていると、余分な力も要らないですし。ただ、こういういい加減ともいえる人生が一生続くんだろうなぁ、と思ってしまう今日この頃でもあります。まあ、それでもいいかなと…。

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