NYマラソン中毒患者で2人が今年のサロマ湖100キロに挑戦する。一人は、言わずと知れた’ウルトラの母’(Tomokoさん)であり、もう一人は何を隠そう自分である(と思う…)。ウルトラマラソンには前々から興味を持っていた。フルマラソンを完走するだけでも大変なことである(少なくとも自分にとっては)。数年前まで僅か10分のジョギングですら拒否反応を示していた自分である。そんな自分がずっぽりとランニングの世界に嵌り、100キロを目指すなんて、人間変われば変われるものだ。今年は月1回のフル参加を目指してきているが(タイムのことはさておき、今のところこの参加するという目標だけは順調に(?)達成できている)、6月だけはフルを走らず(数週間前に練習がてら出た方がいいのか?)ウルトラにだけにしようかな、と思っている今日この頃である。ウルトラは初めてなので、どうなるのかわからないけど、2月での東京マラソンの打ち上げで実際にウルトラを経験されている方に、人生観が変わる、といわれその気になってしまった。自分はフルマラソンを始めてから様々な良い影響を受け続けているし、人生観・人生そのものも大きく変わったと思っている。今となってはマラソンを始めていなかった場合の自分を想像するだけで恐ろしくなるほどだ。昔は憧れに過ぎなかったフルマラソンもゴールするだけだったら自分でも出来ることがわかった。自分みたいな鈍足でも平均的ランナーの仲間入りが可能なことがわかった(あくまでも平均に過ぎない)。50州走破目標は人生において是非達成したい目標となった。最近ゆっくり走っているととても気持ちがいいことに気がついた(人からすれば、レースでもゆっくり過ぎるではないかと言われてしまいそうだが…)。ウルトラの極意は、フルマラソンに更に輪をかけて、ゆっくり長〜くのんびりと楽しむ大人のレースみたいだ。そもそもレースという表現が良くないかもしれない。ウルトラには、順位とかタイムとか気にかける人は殆どいないそうだ。敢えていうならば完走こそが大部分の目標らしい。勿論、途中関門もあるのである程度のスピードは維持しなければいけないだろうが、完走できればそれで最高なのである。人によっては、ウルトラでは完走すらも気にかけない人もいるらしい。100キロを始めとしたウルトラは明らかにレースというには人間の(普通レベルの)限界を超えている。でもその限界を超えることに人は喜びを感じ、またその達成に感動する。そこで完走を皆目指すのだが、余りにもその”結果”を追い求めるがために、もっと大切な何かを見失いがちなのだともいわれる。確かに完走、タイム、順位は自分にとっては決して最終目標ではないのだ。自分は結果云々ではなく、ただ単に自分にとっての高い壁に挑戦すること自体が重要なのであって、走り続けることによってもっと謙虚な素直な気持ちになりたい、とこの100キロに出ようと思っただけなのである。まだまだ2ヶ月以上先の話であるが、実はとても楽しみでしょうがないのである。こんなに年をとってもそういう気持ちになれることに喜びを感じることができるのはとても幸せなことであると思う。でも完走できたならその喜びはもっと増すだろうなぁ、という考えもまたそれはそれで真実なのである…。
ウルトラマラソンのサイトを色々みているととても面白い。何か自分が修行僧になった気分になれる。表現は難しいが、驕りのない了見の広い人が多そうに感じている。果たして、自分もそんな中に入れてもらえるのだろうか…。しかし、自分も年をとったなぁ、とつくづく感じる今日この頃でもあるのだ。
思う存分楽しめるように、準備を進めていってくださいね!
わぁ〜、楽しみ楽しみ♪♪
今日のWTC、ありましたかね?
私は、サボりました〜