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走れけに~

Author:走れけに~
まだ若かりし頃、世界を代表する公認会計士を目指して、1990年に単身NYへとやってきたのがつい昨日のことのようです。仕事(会計士)への情熱は在米17年の間にすっかりと醒めてしまい、余生をどうやって楽しく送るかが今の最高関心事であります。そこで出会ったのが、まさにフルマラソンの世界なのであります。誰に褒められる訳でもなく、貶される訳でもなく、怒られる訳でもなく、全て自己完結な世界なのであります。走って何が楽しいのか、とよく聞かれます。兎に角無条件に楽しいのです。楽しいものに理由・説明など必要ないのです。何はともあれ、走れけに~!

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今日は初めての6時間ラン(一部歩きも含む)を決行した。ニャーママさんと一緒にロッキーズに行き、サロマ湖対策として兎に角6時間動くこと、途中ランチ(ロッキーズ内の青坂にて)を取り、食べてもダイジョウブなことを確認することも目的の一つ。ウルトラマラソンは初めてなので、何が起きるかわからない(予想すらできない…)。暑いかもしれないし、寒いかもしれない。晴れ、曇り、雨、風だけでなく、日焼け、脚の痛み、精神的な辛さ・痛み、色々なことが起きるかもしれないのだ。先日、5時間ランを敢行し、今日はそれを上回る6時間の修行。時間的にはだいぶ余裕が出てきたようだ。先日は一人でペースが多少上がったためか(ブロンクス公園道はフラットなので走りやすいため、ペースもLSDではなくなってしまった…)、5時間で結構ヘトヘトになったものだが、今日は本当の6時間LSDとなった(平均ペースは1キロ8分を超えていた。上り坂は時折歩くという方針でいたので、実質的なペースはもうちょっと速いだろうけど、今日のLSDは成功だった)。
今日のNYの天気、気温は最高!雲は殆どなく、ロッキーズでの木陰の部分では、ヒンヤリとするくらい涼しく非常に快適。緑に溢れ、青空とのマッチングが最高。マンハッタンから1時間弱でこんな素晴らしい場所で走れるなんて(しかも平日!)何という贅沢さ!青坂でのランチもオーガニックの素材で作られたサンドイッチやアイスティー、兎に角美味いの一言でした!
ニャーママさんと二人で行き、終始喋りっぱなしだったので、あっという間に6時間が経った。これって一人では難しい。先日の5時間よりも今日の6時間の方が遥かに楽だった。ニャーママさんに多謝!
本番では、今日のペースでは完走できない(13時間制限に引っかかる)のは事実。でも、5時間、6時間という走りを体験してみて感じたのは、結構自分も行けるのではないかという自信が芽生えたことだ。ほんの1週間前までは自分が100キロを走ることに半信半疑だった。でももしかしたら行ける?と思えるようになれたし、残りは僅かだけど、もうちょっと練習を積んだら、自信も更に深まるのかな、という気がしている今日この頃だ。
以前も言ったかもしれないけど、NYに日本の公認会計士として現地採用された(クライアントが100%日系企業。当然トップマネージメントの殆どは日本からの駐在員なので、日本語を喋る日本の公認会計士というのが一番の武器なのである)のが自分がNYにくるきっかけになったわけだけど、当時は英語の”え”の字も喋れないような酷い状態だった(今は完全に諦めていて、日常や仕事で特に困らなければいいかなと思っている)。しかし、英語が出来る出来ないに関係なく、日本から採用する際には、必ず日本の公認会計士に合格していることが当時のトップの方針だった。それは自信の違いがあるからだ、と彼はことあるごとに私に言ったものだ。別に日本の公認会計士に合格していなくても、会計に精通している人は五万といるのが事実だし、実際トップ企業の経理部長レベルだと会計士よりも会計を知っているのも事実なのである。でも会計に関する最終的な判断力は公認会計士の方が遥かに勝る。これは会計監査を通じて様々な業種、業界の企業を見てきたという経験もさることながら、当時5%という難関試験を通ってきたという自信がそうさせるのだ、と諭されたものだ。自分の大学の同輩もNY採用を目指したのであるが、彼は残念ながらその年に不合格できず採用されなかった(その後合格して、公認会計士として日本で活躍している)。全ては、自信なのだ。マラソンも然り。走った距離は裏切らないというが、まさにそうだ。練習を積んで脚をつくること、そしていつの間にか自信が芽生える。自分はここまで頑張ったじゃないか。そういうふうに思いながら100キロを走りたい、と心から思った。
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昨日は諸般の事情で走らなかったので、今日は5時間ランを目指してブロンクス河公園道へ。とりあえず、ハーツデールから北の果てまで行き(検尿ダムーケンシコ・ダムとも言う)、戻ってスカースデールから南の果て(タカホよりもずっと南。正確にどこまで行っているのかよくわからんけど、道が完全に途切れるところ)まで。またスカースデールまで戻り、エッジモントの家までという行程だ。実際に何キロあるのか良くわからないけど、速く走っても4時間はかかる長~い道のりであることは間違いない。
検尿ダムまではハーツデールからゆっくり走って約1時間弱。そこには過去に何回も書き記しているけど、9.11のメモリアルがある。今日もその時亡くなった昔自分ちの真上の住んでいて、しかも同じ年(自分の心の中ではずっと同じ年なのだ)のHさんに今でも生きれていることを報告してきた。そして生きていることの素晴らしさを再確認。そこからハーツデールまで戻る。ここまで全く問題なし。疲れていたらそのまま帰ろうかなとも考えていたが、そのまま続行。スカースデールまでは普通の住宅街を走る。ブロンクス河公園道は何故か、この約1.5マイルの区間だけ途切れているのだ。未だに、工事が途中で途切れているので、多分諦めたんだと思う。アメリカだから許す。
スカースデールからは一応公園道が復活する。でも一つアメリカらしい部分がある。作ったのはいいのだけど、河のすぐ横に作っている部分があるため、河が増水するとそこは浸水(!)して通れなくなる。しかも道路の下に無理やり作っているので、自分ですらも背を屈めないと頭がぶつかる。何て、間抜けなんだろう…。まあ、許す。
更に南へ向かう。こっちは池があるからかな、散歩する人も多い。ハーツデールより北は、長年住んでいる人でさえもその存在に気がついていないことも多い(実際、自分も2号室さんに教えてもらうまで知らなかったし、例えば20年近く居る美容室の人も全く知らなかった)けど、南は皆の憩いの場となっている。そんなのんびりと時を過ぎるのを楽しんでいる人を横目に自分も幸せを感じながら走っていたら、5時間近くになっていた。あとはスカースデールのいろは坂を上りきるだけだ。5時間走るとやはり脚の筋肉の疲労も酷くなっているようだ。流石に、この急坂を走りきるのは止め、そこからは歩いて家まで帰った。久しぶりの5時間ラン。100キロウルトラを走りきるには、これでもまだ半分に過ぎない。ダイジョウブか?5時間ランが出来た喜びよりも100キロを本当に完走できるのかという不安や心配の方が大きい今日この頃である…。
ところで、今日のランでは良い経験が出来た。最近のNYの天候はちょっと変で、晴れたかと思ったら曇ったり、更には風が強く吹いて雨も降る、そしてその繰り返しというのがここ数日続いている。今日は5時間も走ったから、こうした天気の変化を2セット以上経験できたのである。実際のレースでは天気には逆らえない。快晴であることもある、どんよりとした曇りであるかもしれない。小雨は意外にも走りやすい天気なのだが、強風だったり土砂降りだとレースは最悪だ…。晴れのときは太陽が眩しく、暑くなるので水分が欲しくなりやすい。雨・風のときは、寒さ対策を講じなくてはいけない。サロマ湖の当日はどうなるのかな、と思いながら何とかなりそうだという収穫を得ることができた1日であった。
家に帰ったら驚くべき事態が待っていた。自分は毎日、シューズのインソールを外して、少しでも湿り気を取るようにしている。いつもは当然それをシューズに戻して練習に臨むのだけれど、何と今日は左のインソールを入れないで走っていたのだ…。走っている間は、何の違和感もなかったのだけれど(自分は何と鈍感なんだろう…)、家に帰ってよくぞこれで5時間走れたな、と自分に感心した。逆に言うと、インソールってそれぐらいの働きしか本当はしてなかったりして…。でもインソールをきちんとしていたら、今日の脚・足の疲れもそれ程でもなかったかもしれないと思うと…。気をつけましょう!
今日は練習2日目。本当だったら3-4時間以上のロングランなのだろうが、昨日の練習で既に疲れているような気もしていたので、大人しく2時間をちょっと超えるくらいを最低目標とした。
走り始めから脚は若干重いようで、でもゆっくりと走るならば何とかなりそうだと思ったので続行する。途中で止めたくても一旦ある程度まで来てしまうと同じ時間を要さないと帰れないところに来ているので、自動的にロングランができてしまうのだ。
今日は、ブロンクス河公園道の南コースを行くこととした。ここは基本的にフラットである。公園道というだけあって、緑に溢れ、トレイルを走っている気分に浸ることができる貴重なランニングコースである。平日の昼間でも走ったり、サイクリングをしたり、歩いている人たちが多い。かといって、混雑ということにはならないから、とても気持ちの良いランニングを楽しむことが出来る。仲間の2号室さんのホームコースでもあるし、自分が大会のイメージキャラクターをしている(もう消えたか?)Westchesterマラソンは車の通る道路の方を使う、程である。
もう過去に何度も述べたが、ランニングを始めた当初は、自分の練習場所といえばスカースデール高校の陸上トラックであった。そこをぐるぐると最大80周(だったかな?)をしたことさえあるくらいだった。その時には、外で走るということを余りしようとは思わなかった。トラックだといつでも止めて帰ることができるからかな?今は、逆にトラックは余り使わない(スピード練習以外)。ぐるぐる回ると本当に目が回りそうだし、大体景色が変わらないのが面白くない。自然との共生をモットーとしているから、余り性が合わないということかな。
時折、すれ違う人と挨拶したり(走っている人は大抵優しく挨拶を返してくれる)、動物や木々、花を見ているだけで心は和み安らかな気持ちになれる。それで満足。
今日は、2時間限定と決めていたから、1時間南に走ったところでUターン。帰りは、スカースデール駅を超え、砂利道を走り、エッジモントを走りぬけ(相変わらず、最後に来ての上りは辛いが、ここぞ頑張りどころ)、家路へ。
サロマ湖まであと1ヶ月しかない。理論的には今更練習したところで走力なんか余り向上はしないだろう。でも自分は走りたい。自信を取り戻したいから。自分だって頑張れるんだということを見せたい人がいるから…。
今日からは何もする必要のない自由な時間がたっぷり流れる2週間のスタートだ。とは言っても1日中走れる走力があるわけでもないし、第一、この1週間は走りが滞っていたので、ウルトラマラソンのトレーニングとしていきなりの5時間走は無理である(ここまできて故障だけはしたくない)。今日は大人しく2時間走のみ。走り始めたときは絶好の天気だったけど、風があったので念のためウィンドブレーカーを着用した。途中で天気が変わり風もかなり強くなったので、珍しく予想が上手く行った。
さて、今は運転が出来ない。従い、家を拠点に走るしかない。2時間コースは自分のお気に入りコースがある。家から中央公園通りを北上し、ルート100Aを通ってハーツデール駅へ。ここまではフラットで走りやすい。中央公園通りは相変わらず警察の車がうろちょろとスピード違反を狙っていた。中央公園通りは田舎の道とはいえ大通りである。制限が30マイル(約48キロ)はとても厳しいので、ちょっとアクセルを踏んだだけでチケットが切られる寸法である。何とかして欲しい…。さて、ハーツデール駅を超えると高級住宅地のスカースデールへと入る。1時間コースであれば、ただ単にスカースデール駅を目指せば家に向かうことが出来る。アメリカの駅の間隔は日本のそれとは大きく異なる。歩けるけど、歩きたくない距離である。だから、アメリカ人は駅と駅の間であれば、バスを使ったり、車で駅まで行き駐車してマンハッタンの職場へ向かう。実は走りに慣れてしまえば、大した距離ではないのだが、太っちょのアメリカ人にはそれができない。駅までバックパックを背中に背負って走ったアメリカ人を見たことがあるがこれは例外的といえるかもしれない。日本では通勤ランと称して、家から駅までを走ったり、凄い人だと職場まで走り通してしまう。流石は日本人。因みに車の運転に慣れてしまうと、道を隔てたところへ行くにも車で行ってしまうのがアメリカである。多くの場合、人が歩くということを全く想定していないアメリカだから仕方のないことなのだろうか…。スカースデールの家は相変わらず豪華である。小さい家でも1ミリオン(1億円)を下るものはないし、桁がちがっているものもある。のほほんと仕事をしない自分には全く縁のない話である。でも、横を走るのはタダである。最近は、気候も良くなったからなのか、売りに出そうとしている物件が目に付く。そこらじゅうOPEN HOUSEの看板が立っているからすぐにわかるのだ。気候がよいと人が動くのだ。その点、走りというのは寒い冬にコツコツと走っていないと春はおろか、その1年上手く走れないような気がする。秋のレースにしても冬の土台があるからこそ力が発揮できるのだ。NYの夏は暑い(短いけれど)。走りには向かない。大抵、1時間も走ればへこたれてしまう事ばかりだ。自分は暑いのが一番苦手なのである。元から汗っかきなので、耐えられないのだ。日本では優れた吸汗素材でできたウェアがたくさんあるけれど、アメリカのって、そういった素材を使っているはずなのに、自分が着ると汗でびっしょりになってしまうので辛い季節なのである。今のうちに走りこみをするしかないのである。さて、1時間も走らないうちに(因みに、暫くはアップヒルが続くので良い感じに脚に負荷が来て良いコースと思う)、サクソンウッズへ。ここは自分のゴルフのホームコースだ。もう最近は行っていないからよくわからないけど、1プレー30ドルくらいするみたいだ。自分がやっていた頃は20ドルもしなかったから、いつの間にか高くなっている。ゴルフはそういう意味で本当の庶民のスポーツとは言えなくなってしまいそうな勢いである。30ドルだと毎日プレーすることができなくなってしまうではないか…。その点、ランニングはタダである。シューズとウェアの初期投資さえ行っていれば、自分の気の向いたときにぶらっと走ればいいし(勿論、予約なんか要らないし)、どれだけ走ろうと自分の勝手である。しかも一人で出来るのがとても良い(ゴルフも一人で出来るけど)。仲間がいたら更に良いことは間違いないが、一人でも自分の世界に入ることが出来て好きだ(実はゴルフも一人でやると、自分の世界に浸れる。仲間とだと楽しい一方、精神的な修行や自然への敬愛といったことはちょっと難しく感じる)。ただ、走りの方は一人でいると、何故かいいアイディアが浮かぶことが多い。ゴルフは色々と考えてしまうだけのだけど、走っているときには人間は無になれる。始終何かを考えているわけではないし、そういう余裕はないような気がする。何か、座禅を組んだときのような気持ちになれるのだ。だから、一人でしかも長時間走っていると、とても謙虚な気分になれるし、とてもポジティブな自分になれるのだ。人間は”無知の知”を悟れると、可能性の幅が広がると信じている。自分は何も知らないということを知っている、ということを(宗教に入っているのではないのでご安心を)。謙虚さ、正直さ、ひたむきさ、…。さて、かなり脱線したなぁ。サクソンウッズを折り返し、帰りは異なる道を通って帰る。アップダウンの激しい道は脚に堪えるけれど、確実に自分の力になると信じて走るようにしている。スカースデール駅を抜けてからの、”いろは坂”のくねくねとした上りは特に堪える。息も絶え絶えになりながら、坂のてっぺんまで行ったときの爽快さは格別だ。人生、楽あれば苦あり、苦あれば楽あり、というけど、これってランニングもそうだ。アップダウンを乗り越えることもそうだし、脚が痛いとか息がきつい時でもガマンしていれば必ず楽になるときがある。マラソンの壁もそうやって乗り越えていきたいな、と考える今日この頃なのである。そんなこんなで家に着くと、1時間58分00秒であった。久しぶりの2時間ランはやはり気持ちが良かった…。
ところで、ウルトラマラソンにおいてはいつが一番キツイ壁なのだろうか?もしかして、30キロを過ぎてから最後まで壁が続くわけではないですよね???
昨日16日(金曜)を最後に自分の一般企業でのサラリーマン生活は終わった。誕生日を迎えたこともあるけれど、今年は大学を卒業して丸20年、すなわち働き始めて20年目を迎えるという節目の年でもある。振り返ると、万丈波乱だった。自分は公認会計士を目指して、大学では当時流行りのダブルスクールとやらで、昼間は大学に通い、夜は専門学校に通ったものだ。運よく、大学在学中に合格していれば、そのまますぐに就職もできただろうし、バラ色の人生が待っていたかもしれない。
当然、不器用な自分の人生が上手く行く訳はない。思い通りに事が進まない、というのが人生の本質であると自分は思っているから、それで構わないのであるが、それにしても余りにも酷すぎかな…。
自分は、大学卒業後、実に6ヶ月間は”無職”という時期があった。大学在学中に合格しない人の取る行動は大きく分けて3つある。大人しく就職、大学に残る、そして無職の道を選ぶ、である。自分は就職活動なんてしなかったし会計士になる夢を捨てることはできなかったので、一つ目はペケ。2番目はお金がなかったからこれもペケ。何も考えずに無職の道を選ばざるを得なかったのである。
大学在学中も特に4年生の時は経済的に地獄であった。親に勘当はされるし(家を飛び出して以来、父親とは結局話をじっくりすることも出来ず、考えを分かち合うこともなく、他界してしまった。これが人生最大の後悔である)、専門学校での本(簿記1級の原価計算のテキスト、これは一時ちゃんと本屋さんにもあった。勿論、自分の名前は出ていないけど)を書いた原稿料(その当時で30万円もらった。それが自分の全てのスタートだったなぁ)を元手に月1万7千円のおんぼろアパートを借りていた(ゴキブリ、ねずみと一緒に生活した。声はアパート全体に響き渡るほど薄っぺらい壁、トイレは共同、金がないから、冷蔵庫もないし、ガスは引けなかったし、電話もなかった)。自分の将来はいったいどうなるのか、全く予測もつかない中で、合格するかどうかわからない(因みに、無職となって会計士試験に受からなかった場合、その後の人生はかなりの困難を伴う…)不安定な日々。でも実はそのときの生活が自分の人生で一番充実していたのではないか、と最近ふと思うのである。貧しかったけど、心は決して荒んでいなかった。それよりも寧ろ、夢を持ちその実現に向けて毎日必死になることの充実感の方が勝っていたと思う。いつか見ていろ、俺だって…。
無職1年目の自分は、受からなかった。これ以上そのままの生活は流石に無理だった。10円の味噌汁すらも買えず、銭湯には当然毎日行ける様な余裕は全くなし、電車賃すらもなくて仕方なく部屋で一人寂しく独学をしたり…。ここで、1回目の就職。場所は、某監査法人国際部。身分は研修生なので、同じ仕事をしても合格している同期とは、給料は安かった。でも、ここは自分には天国みたいなところだった。同期、上司は皆優しく、かつ監査実務をお金をもらって勉強させてもらったから。しかも、物凄く助かったのが、残業すると必ず上司が夕食に連れて行ってくれた。タダで!ドンブリ6杯ご飯を食べたのは、上司と食事に行ったときに樹立(?)した大記録である。
自分には夢があった。会計士になること。世界に通用する会計士になること。会計士は兎に角勉強して受かること、これしかない。仕事をしながら当時の会計士試験に受かることは、かなり困難であった。全国で毎年10名くらいしかそういう人間がいないのだ。平日は毎日終電間近かタクシー帰り。そして、週末も働くというビジーシーズンの時には勉強なんて全く出来なかった。朝5時に起床して、7時からの朝の計算コースに出ても、寝不足で全くダメだった。研修生には試験直前3ヶ月の休暇が認められていた。いくらある程度の基礎があるとはいえ、他の受験生は毎日14時間近くの勉強をしている。一方、自分は勉強時間ゼロという日々が続いていた。明らかに不利。勿論、現場での仕事を通じて生の監査実務は覚えられたから、実務に直結するような問題が出れば強みはあっただろうけど。自分は希望を捨てなかった。必ず受かってみせる。人間、必死になると道は開けるようだ。3ヶ月しか勉強できないけど、思いっきり集中できた。どん底からのスタートみたいなものだから、どんどん上に伸びる一方なのである。一昔前、”ドラゴン桜”というドラマがあったけど、本当にそんな状態。そのときには今となっては考えられない、勉強が楽しくて楽しくて仕方なかった。その年、首尾よく合格!一つの区切りがついた。もう一つの夢は世界的に通用する会計士になること。そのためには、何といっても海外経験が必須だと思っていた。その事務所に居てもトレイニーという形で海外に行くことはできただろう。でも自分はすぐにでも行きたかった。永住するくらいの気持ちで自分の力を試したかった。念ずれば、夢へのチャンスは与えられるのである。たまたま知り合いからNY事務所のパートナーの日本出張を聞き、面接をしてもらった(実際、面接というものではなかった。日本語の喋れる日本の会計士が必要とされていたから、採用に何の不都合もなかった。問題は、自分が英語英文学科卒業ということで、ビザが取れないかもしれない、というリスクだけだった)。
かくして、1990年からNY生活が始まった。憧れの大会計事務所のNY事務所。夢の実現に向かってまっしぐらだった。途中、ビザの問題で日本に1年帰国するという目にもあった。けど、2001年9月11日のテロで働く意欲を失くすまでは極めて順調だったし、悔いは特にない。同年中には日系企業に転職し、一般サラリーマン生活をした。でもこれは4年しかもたなかった。300人を超える会社のトップマネージメントになるのはとても爽快なものだ。特に、会計・予算に関しては自分にすべての権限が与えられていたし、毎日緊張状態だったけど、とても楽しかった。あとは給料がもっとよければねぇ…。一般企業の経験は会計人にとってはとても貴重である。監査は本来は会社のビジネス環境を良く知っていないとわからないはず。でも一般の会計士は一般企業での経験がないものだから、何でもかんでも数字でしか判断できないことになりがちである(実際のビジネスで何が起きているのか理解できないし、しようとも思っていないのだ)。でも本当は、会社のビジネスの結果が数字という万国共通のモノサシで評価されているわけで、数字が先にありきではなく、ビジネスが先にあるのである。こんな基礎的なことすらも疎かになってはいけないと思うのだ。自分はその日系企業を退社して中規模の会計事務所に入った(2006年)のであるが、会計人のあるべき姿を追い求めたくて、一般企業にまた戻った(2007年12月)のである。ここは世界を代表する大企業であった。以前の日系企業と異なり、業務は細分化され、それに伴い責任・権限の範囲も限定的だった。それ自体は構わなかったが(むしろ、こんな楽な仕事でいいのか、と日頃から思うようになった)、駐在員の上司と巧くやりくりすることが出来なかった(自分は誰かに仕えるというのがダメなんだな、と心の底から感じた。一匹狼の会計士が一番似合っているようなのである)。そこで、既知のとおり、5ヶ月という短い期間で再転職(元の会計事務所)をすることにしたのである。
人生にタラ・レバはないと思っている。必然なのである。大学在学中に合格していたらどうだったのだろう、研修生にならなかったらどうしていただろう、合格していなかったらどうなったのだろう、知り合いに海外に出たいと相談していなかったら、NYにいかなかったら、…なんて考えてもしょうがない。だって現にそうならなかったのだから。自分の未来だって本当は既に決まっていて、ただそこに向かっているだけなのかもしれない。もちろん、自分次第で自分の未来を違う方向に変えればいいと思われるかもしれないが、その変えたと自分が信じる未来も初めから決まっていたのかもしれない。だから、自分は流れるままに身を任せることとした。流れに逆らうことなかれ…。
さて公認会計士をテーマにしたドラマは悉く少ない。というか少なかった。やはり、弁護士や医者のような人間の生命・人生を左右するような職業には緊張感があり、その緊張感はドラマにテーマに乗っかりやすいのだろうけど、会計士には華もないし、過去においては会計士が裁判に巻き込まれたり、新聞沙汰てもどんなことをするか即座に説明できる人は世の中それほどいるものでもないだろう。ところがである。NHKで6月から“監査法人”なるドラマが始まるという。ドラマでは、監査法人を舞台に厳格な監査を行うことが社会的正義に繋がると信じる公認会計士の一途な仕事ぶりや、その結果として多くの人々が不幸になっていく過程での心の葛藤など、様々な場面が繰り広げられるという(日本会計士協会サイトより引用)。厳格な監査が社会的正義に本当に繋がるのかというのは疑問だし、その結果として何で多くの人々が不幸になっていくんだろう…。監査というのは何も会社の財務状況に関して粗探しをするわけでもないし、会社が作成した財務諸表を外部の第3者である会計のプロが見ることによって、信頼性を付与するプロセスにすぎない。不幸って誰がそうなるんだろう…。そもそも、“不幸”の定義というものは意外と曖昧なものである。幸せってどんな状況?そして対する不幸せって何を意味するんだろう。自分は不幸のどん底にいると思っていても、傍からみればそんな風に見えないこともある。人間、生きていること自体が幸せというものなのかもしれない…。
てなわけで、今日から2週間だけだけど“無職”に戻った。第2の人生のスタートとでも呼ぶかな?
実にこの1ヶ月色々なことがあった。ある自分の過ちのために、ブログ更新どころか、走る気力すらも無くなっていた。6月22日にはサロマ湖100キロウルトラマラソンも控えているのに…。普段怠惰な自分に課された試練であり、人生をもっと謙虚に生きるようにと神の聞こえざる声に素直に従おうと決めた。まあ暫くは懺悔の日々である。

時間を遡ろう。

5月11日(日曜)
お雪さん・内乃助夫妻にロッキーズまで連れてってもらった。ロッキーズに行ったのは実に1ヶ月以上ぶりである。その間週末の運転が禁じられていたのだから当然である。そこには、じょうちゃん、RFさん、ニャーママさんがいた。皆優しい。いつも走りのことしか考えていなければ、あの過ちは起きなかっただろうに、と後悔しつつ、これからまた出直せばいいではないか、と思いが錯綜する。幸いにも走っている間は、そんな辛いことすらも忘れていた。一方、ロッキーズの大自然を見ていたら、小さな自分が恥ずかしくなった。
久しぶりの3時間超のランニングは脚にかなり堪えたけど、1ヵ月後のサロマに果たして間に合うのだろうか???

5月9日(金曜)
NYマラソン中毒患者の会(NYMCKK)の前半戦お疲れ様会に出席。会社から直接マンハッタンには行けないので、昼過ぎに会社を早退し、一旦家に帰り、電車を使ってマンハッタンへ。毎回新しく会に参加する人も多い。NYには色んなランナーがいることを痛感する。でも走りへの思いは一緒である。長い間、幹事を引き受けてくれたRIKIさんも遂に日本へ帰国だ。長い間お疲れ様。ランナーとしてのレベルは全く異なるが、自分の走りへの情熱は同じように持っている(と信じたい)。この数年、日本に帰国する人も続いているためNYMCKK日本病棟が充実してきたように思う。丁度、自分の出身学校である某大学NY稲○会の東京支部(?)の規模の方が本家本元のNY本部を遥かに凌駕するように。でも心が一つに繋がっている限りダイジョウブ。それに、自分は日本にちょこちょこ帰国するようにしているので、その気になればまた会える。
数週間前までは、この会への参加も出来ないかなと思えるほどの精神状態だったので、実は参加できた自分がとてもうれしかった。
しかし、○○○xxxxさんの存在感はピカイチである。あの雰囲気が何ともいえない。彼がいる限りNYMCKKは不滅と感じ入る今日この頃である。

5月7日(水曜)
久しぶりというか今年初めてWTCの練習会に参加した。全然速く走れないけど(1周1分40秒ペース=1マイル約6分40秒)参加してよかった。2号室さん、ドラえもんさん、志保さんに会えた。相変わらずコーチ・マイクは手を叩いていた(見たことがある人しか何のことかわからないだろうけど)。知らない間に、White Plains高校のトラックが立派なものに変わっていた。これは金持ち高校のスカースデールやエッジモントよりも凄い。一見の価値有。これからは可能な限り参加していくことにしよう。たまに、ヒィヒィハァハァとなるのもいいことだ。いつも遅いペースでしか走っていないといつまでも遅いランナーのままでいるような気がする。自分のマラソンの原点は週末のLSDと水曜夜のスピード練習にあったことを思い返させてくれた。人は原点に戻り素直になるべきだと感じた。

5月5日(月曜)
会社に辞表を提出した。12月の転職は成功ではなかったが失敗でもなかった(と信じたい)。勤務期間5ヶ月というのは最短記録であるがこれでもかなりガマンしてきたつもりだ。駐在員に関しては色々と蟠りはあるけれど気にしない。ただ可哀想な人間だと思うだけだ。でもこれで少しだけだが肩の荷が下りた。自分の一般事業会社でのサラリーマン生活はこれで幕を閉じることになるだろう。自分は組織の歯車になるのは無理である。伸び伸びと、そしてのほほんとした人生をこれから送っていきたいと考えている。安らかな優しい時間が欲しいだけの自分なのである。

5月3日(土曜)4日(日曜)
本当は、ネブラスカ州リンカーンで行われるリンカーンマラソンに出る予定だったが、車が運転できないこと、マラソン当日のNY帰宅が難しいことから、出場を断念した(実際には数週間前に決めていたのだけど)。会社の駐在員は思いっきりの会社人間・仕事人間であり、趣味を仕事より優先させる自分のやり方を咎める性格であり、今の会社にいては50州走破を気持ちよく出来ないというのも退職した大きな理由の一つなのである。自分は何度も言うが、仕事は必要悪だと思っている。趣味もなく、仲間もなく、週末は寝て過ごすだけ、なんて人生は真っ平だ。お金をどんなに積まれても、そんな生き方は例え数ヶ月でもガマンできなかったのである。
リンカーンに行けなかった代わりに、ブルックリン半分マラソンには出場した。練習も出来ず完走できるかも自信がまるでなかった。何年か振りの2時間台だと嫌だなとは思ったが、ここまで精神的に落ち込んでいたら仕方あるまい。でも家でじっとしていたらもっと気が滅入ってしまうと思って、電車・地下鉄を繋ぎながら2時間半くらい掛けて、スタート地点のコニーアイランドへ。
スタート地点では、馬次郎さん、京太郎さん、正ちゃん、にお会いでき、心が和んだ。心はビクビクしていた。でも3人に会えたら、何だか自分ひとりで悩んでいても仕方ないな、と思えるようになった。
自分はブルックリン・半分マラソンのコースが好きである。ボードウォークを走ることの快適さ、その後のフラットな真っ直ぐな道、そしてプロスペクト公園でのアップダウン。この3部作のような変化が好きなのだ。ハーフマラソンだけあって、走りながら色んなことを考える。この日は走りのことはともかく、矢張りそのことを思い出してしまった。だからではないだろうけど、途中からペースもガタ落ち。途中もし歩いてしまったら確実に2時間の大台は超えていたことだろう。でも自分にも少しだけ意地ということだがあったようだ。でもタイムはこの数年で最も悪いタイムだった。でも、それでも良かった。レースに参加でき、そして完走が出来た。少しずつレースに慣らしていこう。すぐには戻れないかもしれないけれど、ほんのちょっとずつでもいいから。色んな回り道をしながらでも、2歩下がってもまた3歩進めばいいじゃないか。そう、自分に言い聞かせた...。

4月19日(土曜)から4月27日(日曜)まで
2ヶ月ぶりの日本帰国。実に楽しい。アメリカで嫌なことが続いていただけに、日本の良さだけが目立つ。毎日、何をするというわけではなかった。兄弟との話し合いがメインであったし、それは無事完了した。それ以外にはゴルフをし、残りはランニングだ。ゴルフをしに行った日以外は基本的に泊まっていた弟の家(上野桜木―日暮里のそば)から皇居まで走り、皇居ランを楽しんだ後、そのまま銀座を通過して(東京マラソンでここを3万人が駆け抜けたというのが今でも信じられない)築地へ。カレー、ラーメン、牛丼、マグロ丼、…。何でも美味い!何でも不味いアメリカで節制生活をしているだけに、日本に来るとついつい食べ過ぎてしまう。折角、2月3月とダイエットをして、山本譲二アマラソンで久しぶりのサブ4を達成できたのに、またやり直しだ…。多分この1週間で3キロはリバウンドしただろう。せめてもの償いとして、食べたら走るということを実践すべく、築地から上野桜木まで走って帰ることにした。満腹状態で走るとどうなるか、という実験でもあった。結果はダイジョウブ!であった。もっと横っ腹がいたくなったりするかなと思っていたけど、ゆっくりとしたペースである限り、食べていても走りに然程は影響がないことがわかったのだ。ウルトラマラソンでは栄養補給を如何にするかが課題の一つであるが、ちょっとだけ自身が出来た。
東京ではNYMCKK東京支部のBlue3さんと皇居・築地ランへ繰り出した。いつも自分のペースに合わせて走ってもらうので申し訳ないと思っている。築地ではアナゴ丼を頂き、古い感じのコーヒーショップへ。楽しい時間を過ごせた。快速Blue3さんは6月終わりには父親になる。2世もきっと速いんだろうなぁ…。ところで、自分より一足先にBlue3さんも転職の道を選んだ。エリート度、プロフェッショナル度は自分は完全に劣っているが、少しでも自分の時間を余分に持ちたいと言う気持ちは共通している。やはり、人生は楽しまないとね。

4月18日(金曜)
生まれて初めてアメリカの裁判所に行った。地元の小さな裁判所に過ぎないが、厳格な雰囲気が流れる。弁護士には、お前は基本的に喋らなくていいと言われていたし(実際は結構喋らなくてはいけなかった…)、ジタバタしても仕方ないので、あるがままに任せるようにした。裁判長の前では流石に緊張した。もし変なことを言ったら大変なことになりそうだ、と思ったので日頃発揮しえない物凄い集中力を発揮したように思う(これがマラソンの時にも出たらいいのに…)。一言も逃すまいと必死であった(結構ざわざわしていて聞こえにくいのだ)。結局、この日だけでなくもう一度裁判所に行かねばならなくなった。早く終わらないかなぁ…。すっきりしないと何もできやしない。仕事、ランニング、…。

4月16日(水曜)
11月までいた嘗ての上司と会う。兎に角、自分が離れてから(自分以外にもマネージャー級が3人辞めているし)、ビジーシーズンを乗り切るのが大変だったようだ。彼は、某大手会計事務所の日系部門の全米トップであった会計士であり、会計人としての有能さもさることながら、人間としても尊敬できる人である。我侭にもこの5ヶ月間、外の空気を吸わせてもらった。今、その事務所はある意味ピンチ状態である。尊敬すべき人から戻ってきて欲しいと懇願された。拒絶する理由は全くない。大人しく受け入れる決断をした。人間はお願いされるうちが華である。この機会を逃したら間違いなく二度と同じような機会は巡ってくることはないだろうし、後悔することになると自分はわかっているのである。

4月11日(金曜)
運命の日であった。人生はこれで大きく変わってしまった(と思う)。会社帰り、スタッフと飲みに行き(飲みすぎた)、帰り道、飲酒運転で捕まってしまった。手錠は掛けられるし、Jailに閉じ込められるし、犯罪者になるし、散々…。
皆さん、飲酒運転は絶対止めましょう!物凄く後悔します。5月になってパネルセッションみたいのに強制参加させられたが(その時は300名参加者がいた。多いときは800名来るのだそうだ。因みに、田舎でなのでNYCだったらもっと凄い人数に違いない)、そこでいいことを言っていた。捕まったのは、“運”の問題ではない、“タイミング”の問題なのだと。要は、そのとき捕まっていなくても、そのうち“必ず”捕まるのだ、ということだ。
自分は、もう金輪際、飲酒+運転を止める決心をしたのである!(やりたくても免停だから運転できないんだけど…)

てなわけで、今後はもっと真面目に生きていかなくてはならなくなった。次に問題を起こしたら、即刻、強制国外追放処分になる可能性がでてきてしまったのだ。そうならないためには、弁護士曰く、さっさと米国市民権を取得しろ、とのこと。でも、この弁護士は、飲酒運転逮捕歴があると市民権取得が簡単には出来なくなることをご存じないようだ。まあ、暫くは辛抱あるのみである、と心に強く誓った自分なのである。




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