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走れけに~

Author:走れけに~
まだ若かりし頃、世界を代表する公認会計士を目指して、1990年に単身NYへとやってきたのがつい昨日のことのようです。仕事(会計士)への情熱は在米17年の間にすっかりと醒めてしまい、余生をどうやって楽しく送るかが今の最高関心事であります。そこで出会ったのが、まさにフルマラソンの世界なのであります。誰に褒められる訳でもなく、貶される訳でもなく、怒られる訳でもなく、全て自己完結な世界なのであります。走って何が楽しいのか、とよく聞かれます。兎に角無条件に楽しいのです。楽しいものに理由・説明など必要ないのです。何はともあれ、走れけに~!

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最近は、ダイエット中である。体重増がどれだけマラソンのタイムに影響するかがよ~くわかってしまったため、今更ながらダイエットを敢行することとした。ただし、無理をすると続かなくなることは明らかなので、程ほどダイエットである。自分の方法は極めて簡単。朝は控えめ(大抵、軽くほんの少しだけ盛ったご飯に納豆)。昼はサラダのみ(日本食は揚げ物も多く可能な限り控えるようにした)、夜は自由(慣れてきてしまったのか、余り量を取らなくてもお腹が空かなくなった。勿論、脂っこいモノだけは控える)。確かに、昼をサラダだけにするとちょっとだけお腹が空く。でもそろそろ慣れてきたような気がする。問題はアルコールである。最近はほぼ毎日になっている…。昨日もワインを3杯は飲んでしまったと思う。これをもっと減らさないとダメだろう。

大昔、89キロから大幅に体重を落とした(絶頂期は61キロ。もうすぐで60キロを切れたのに…) 際には、昼のランチをサラダと小さいおにぎりのみとした(結構続いた)のであるが、これがよく効いたことを鮮明に覚えている。前から見ても横から見ても同じ体型とヒトに言われていたのが、サラダ作戦を敢行しただけで、ベルトをしないとズボンが完全に落ちる状態にまでなったのである(ズボンと落ちるからズボンという名前になったのはご存知?)。ズボンのサイズは38インチ(95センチ)でもきつかったのが、絶頂期ではそのズボンではみっともなくなる位に絞られ、32インチ(80センチ)のズボンでも大きかったのを覚えている。今や、34か36インチで丁度よくなってしまった。戻すぞ、と誓いだけは立派だと思っている。

今週末は小岩マラソンなので、そろそろカーボ・ローディングをしなければならないはずである。でも今回はダイエット中ということもあり、程ほどにしておくつもりだ。カーボ・ローディングという大義名分で、ダイエットを中断するのはやりたくない。まずはすっきりと体重を落としてから、マラソン・ランナーっぽくカーボ・ローディングをした方がいいだろう。大体、日本人は普段からカーボは多めに摂取しているので(特に自分)、そんなに無理してまで食べ込む必要はないというのが最近の結論である。あるがままで…。

昨夜は、以前の勤めていた会計事務所のボスと夕食を取った。行ったレストランは元々日本人が所有・経営していたのであるが、オーナーが昨年亡くなり息子さんなのか奥さんなのかがレストランを継いでいるはずなのだが、ちょっと雰囲気が変わってしまったようだ。ウェイター・ウェイトレスは全て韓国人になっていた(恐らくは日本食を全く理解していない若造しかいなかった)。ボスは刺身盛り合わせを頼もうとしたのだが、なかなか通じなくて(ボスの英語は流暢であるので、向こうの英語の酷さと日本食を理解していないのが原因である)、遂にはそのウェイターから、幾ら分食べたいんだ?という失礼な聞き方をされたので(普通、客に聞くかなぁ?在米40年のボスですら、生まれて初めて聞いたフレーズだったようである)、止めた。流石に、見かねたのか受付をやっている日本人がやってきてダイジョゥブになったけど(その後は、韓国人の彼がオーダーを聞きに来ることは無くなったし、本来ウェイターではない日本人がずっと来るようになった)、日本食レストランに勤めていて、日本食の基本すらもわからんような奴を雇っていると客は離れる。ボスもこれからは利用回数を減らすかもしれない…。客が欲しいモノを理解できなければ、商売にならないのである。これは他人事ではない。自分は今は一般事業会社にいるけれど、機会があれば自分でビジネスを開始したいと密かに思っている。客商売をする限り、客が何を求めているのかを察知して、痒いところに手が届くサービスをすることを目指すべきなのである。会計士はともすると、サービス業であることをすっかりと忘れ、自分の方が偉いのだ、客は俺たちのいうことを聞いてればいい、とさえ思ってしまう傾向にある(実際、過去に何人もの傲慢な会計士に出会っている)。客のお陰で自分が生かされているという当たり前のことをよく思い返し、商売をしていけたらいいのになぁ、と考える今日この頃なのである。


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2月22日(金曜)のNYは朝から大雪であった。昼にはほぼ上がってしまったが、家の雪かきや車で通勤をしている人にとっては、ここからが大変なのである。朝目が覚めて外を見たら、一面真っ白であった。ニュースを見ると、自分の住むウェストチェスターはそこらじゅうで交通事故が起きていた。こんな日に仕事に行くのはとても辛い。事故のリスクが高すぎる。幾ら自分が安全運転をしたところで、他の車がスリップしたりブレーキが利かなくなって追突される可能性がある。自分は四輪駆動の車に買い換えてから、雪道でスリップしたりヒヤリとした経験は一切なくなったし、以前に比べて安全運転を心掛けるようになったせいか(昔はどんな運転をしていたのか…)、とりあえず自らの責任で事故を起こすリスクは格段に低くなった(と思う)。でも、ニュースでのスリップしている車を見たら怖くなった。
とはいえ、自分は生粋の会社人間である(当然、嘘である。そうなる気は毛頭ない)。どんなことがあっても、9時にはデスクにへばりついて、意味のない仕事を開始する必要があるのだ。嫌々ながら、自分の家の駐車場に降り積もった雪を除くため、朝7時から約1時間雪かきを行った(勿論、それでも雪は降り続けている…)。何とか車だけは道に出せそうだ。でも家の前の道は未だに除雪がされていない。田舎だとこういう悲劇が起きやすい。マンハッタンや郊外でもローカルの道を使う必要のないヒトには理解できないかもしれないが、除雪車が来てくれないと家から出れないのである。そういう環境にない人は、俺が会社に来れているのに何でこないのだろう、単なるサボりではないのか、とあらぬ疑いをかけてくれるが、とんでもない。一度そういう環境に住むことを薦める。苦労がわかるはずである。
会社人間である自分は、8時半に漸く家を出れた。まあ、普段40分のところ、2時間は軽くいくだろうなぁ、と半ば諦めの気持ちであった(一応、上司には遅れていくメッセージを残しておいた)。道には除雪車はまだ来ていないけど、まだ雪が凍っていないから何とか出れるかな、とダメ元の世界なのである。こんなときに限って狭い道に対向車が訪れる。ぶつかるっちゅう~の、と思いながらも運テクにだけは自信のある自分なのでダイジョウブだった。家の前の道を暫く行くと、急な下り坂がある(いつもはランニングでここを下ったり上ったりしている)。2速に落としてゆっくりと行けば何てことはなかった。そして漸くルート100、別名、中央通り)にでれた。雪の日はこの道路は極端に空く。誰も今日働きに行きたくないのである。ここから、暫く誰も走っていない中央通りを暫く進み、今朝方ニュースで事故っていたというジャクソン通りに入り、いつものスプレイン・パークウェイへ。ここは一応、高速道路である。一般に、幾ら雪が降っても、高速道路だけは除雪が最優先になされている(じゃないと危ない)。でも今日はされていなかった…。前の車は時速20マイル(約32キロ)以下で走っている。抜かしたいがなかなかチャンスがない。まあ、こんなときに慌てても事故るだけなので気にはしなかったけど…。その遅い輩も最後はどいてくれ、その後は非常にスムーズであった。何しろ車が殆ど走っていないのである(本当に、今日は働いていないということか?)。2時間以上を考えていた通勤は1時間で済んでしまった。会社にくるとアメリカ人は今朝の雪の話題で一杯であった。今日は会社早くクローズするかな、と淡い期待を込めながら…。でもそれは甘い。一部の駐在員は雪かきの必要のないアパートに住んでいるし、また会社から僅か10-15分のところに住んでいるのだ。苦労がわかるわけないのだ。アメリカ人らは何人かは雪のせいで家を出ることすら出来ず、休んでいる。そんなこと気にせず、仕事はいつもように始まり、ミーティングを行い、定時までいなければならない。
こんな天気でも働くことの意義って一体何なんだろう…。自分は単なる怠慢人間に過ぎないのだろうか…。でも自分は人生を楽しみたいだけの人間である。嫌々ながらに働いて、人間何を得るというのか?それで給与をもらったところで、どうせくだらないところで使ってしまうのが落ちである。働きたいときに働き、休みたいときに休む、そんな人間の本能に従った生き方をしたいなぁ、と考えるのはそんなにダメなことなのか。お金は天下の回りモノである。出せば入るのだから、あくせくして働いてもしょうがないような気がするんだよなぁ。大雪のNYにそれを思った…。

さて、東京マラソンの感動・興奮がまだ冷め切らないが、次のマラソンは3月2日のアーカンソー州の小岩(Little Rock)マラソンである。とっても小さな州で、州都のリトルロック市内(ここで走る)には18万人しか人口がない(因みに、治安の悪さは全米でも毎年必ずトップ25に入るそうだ。走っている間に変なことは流石にされないだろうけど)。ただし、有名人としては、ダグラス・マッカーサーがここ出身であるし、不適切な関係スキャンダルのクリントン元大統領の地元でもある。小さいマラソン大会だけれど、メダルだけはデカイ!これが欲しくて行くようなものである。師匠夫婦の家に飾ってあるが、普通のマラソン大会の何倍(ましてや、昨年の東京マラソンと比べたら10倍ぐらいかな…)の大きさである。しかも、今年のキャッチフレーズが気に入って申し込んでいるのである。第6回大会にちなんで、”Six in the City”(言うまでもなく、Sex in the Cityをもじっただけ)である。アメリカの駄洒落は自分のそれとレベルが変わらない。そんな情けないところが気に入ったのだ。でもいつものように、土曜に現地入りし、日曜の夜にはNYに戻る。この地を訪れるのはきっと生涯最初で最後になるだろうということがわかってはいるんだけど…。

今週は、ランチには一切出かけず、会社の下にあるキャフェテリアみたいなところで、小さなサラダのみとした。普段のランチはカツ丼・カツカレー・とんかつのオンパレード(というかこれしかない)なので、摂取するカロリーはかなり違っていると思う。体重も落ちるといいのだが、外は雪。走れそうもない…。
今年の東京マラソンは素晴らしかったの一言に尽きる。自分にとってはハプニング続きの珍道中になってしまったけれども…。

2月14日(木曜)
NYを出発。飛行機は12時半だったので、余裕のはずだった。家を10時に出て、JFK空港にてビールでも飲みながら1時間以上の暇を潰す(自分としては贅沢な時間だ)というのがパターンだ。ところが、家を出てハッチンソン・パークウェイを走っていたとき、もしかしてカメラと携帯を忘れた気がすると感じた。普段は余りやらないのだが、こういうときに限って充電をしており、そのまま家に忘れたのである。カメラは使い捨てでも買えばいいか(今でも売っている?)と思ったり、どうせアメリカの携帯は日本では使えないからいいかと思ったりしたのだけれど、まだ時間的に余裕もあるから戻ろうと決心したのだった。ここで往復40分以上のロス…。家に一旦戻ってカメラと携帯を持ち、JFKへと急いだ。嫌な予感。そう、道が混んでいたのである。まあ、飛行機に乗り遅れることはないだろう、と安直な自分。結局は出発40分前に到着できたので安心(カメラと携帯を取りに戻ったせいで、飛行機に乗れなかったら、一生馬鹿にされただろう…)。チェックインをしようとすると、1時間前までに来ないと指定した座席は剥奪されると冷たく言われ(今まで知らなかった…)、折角通路側の席を確保していたはずなのに、真ん中の席に変わってしまった。
ほどなく、飛行機に乗り込むと、ランナー仲間のオケさん発見。オケさんは今回の東京マラソンでサブ3を狙っていた。足の調子は良くなったらしく期待ができる。市民マラソンの良いところはそれぞれが自分なりの目標をたて、その目標を達成するというのが第一義であることだと思う(完走・ゴールすることが究極的な共通の目標でもあろう)。オケさんはサブ3を狙い、自分は体重のせいや練習不足もあって、サブ4を狙うのである。でもそこには、勝ち負けという概念はないのだ。敢えて言うならば全てのランナーが勝者なのだ。まさに、参加することに意義がある!
さて、隣は酔っ払いオヤジであった。かなり朝から飲んでいたようで、顔は赤いし、くさい(でも自分も飲んだくれるとこうなっているのだろうか、情けない…)。この状態で14時間我慢しなくてはならない。忘れ物さえしなければ、この苦しい思いはしなくて済んだのに、とちょっと後悔した。でもそれにもまして苦しんだことがあった。ヘルニアである。自分は首のヘルニアを患ってから5ヶ月ぐらい経っているけど、最近は調子は悪くなかった。痛みや痺れを忘れていたときもあったぐらいだ。でもこの1週間ぐらいまた痛みが出始めていたのに気づいていた。飛行機の真ん中の席だと自分の好きなときに席を立てるとは限らない。ましてや、隣が飲んだくれのオヤジ(実際、このオヤジは終始飲むか寝るかで、オヤジがトイレに行くときに一緒のタイミングで席を立つしかなかった)の場合、狭い空間の中で只管じっと耐えていた。飛行機では気圧の関係もあるのか、ヘルニアの調子が尚更悪くなっていた。体勢を色々変えてみたけど、身動きできる範囲は限られており自分の思うようにはならず、始終痛くて堪らなかった。地獄である。こうなったら、ランナーとしてはあるまじきアルコールの力を借りて痛みや痺れを麻痺させるということを決心せざるをえなかったのである。という言い訳はさておき、今回は大人し目に、ビール1缶とワイン1本だけにしておいた。

2月15日(金曜)
何だかんだいいながら、飛行機は無事に成田に到着。ホテルを上野にとってあるため、京成スカイライナーにて京成上野まで。京成スカイライナーは良い。一度も混んでいるのを見たことがない。でもそれが僅か1時間で上野まで行けるのだ。とても便利である。昔は、喫煙席でプカプカなんて時代もあったけれど、今では完全に嫌煙家である。人間変われるものである。
ホテルは、前回東京に来たときに泊まったホテル・パークサイドだ。駅から近いし、目の前が不忍池である。キャバクラ街に隣接しているのが気になるが(自分ですらも、夜の呼び込みは怖い…)、あとは必要十分な素晴らしいホテルである。そういえば、キャバクラ街に非常に気になる名前を見た。本来はビーチ・クラブという名前なのだが、ビーチクLoveとも書いてあった。これって、自分が発明したギャグではないか(お雪さん、覚えてますか?)、とも思ったが、自分と同じことを考えていた輩が世の中に存在しているのを知り、ちょっと嬉しかったのも事実である。

2月16日(土曜)
この日はEXPOに行く日。朝になって、シャカリキさんと連絡を取り、一緒にいくこととした。昨年は東京ドームだったのだが、今年は東京ビッグサイトへ。いわずと知れた東京マラソンのゴール地点である。東京ドールはこじんまりとしていて(意外にも野球場というのは狭いものである。だって、両翼わずか100メートル余りに過ぎないのであるから)、それはそれでよかったけど(Blue3さんと一緒に行った天ぷら・いもや、がよかったなぁ…)、今年はだだっ広い場所である。今年のEXPOは力が入っていた。これでもか、というくらいにあらゆるショップが軒を連ねていた。一体幾ら買い物をしてしまっただろう…。
ナンバーをとりに行った後は、シャカリキさんと築地探索へ。豊ちゃんのカツカレーを頂きました(本当に美味しいです)。築地にはいつまでもこのままでいて欲しいのだけど…。
TV(特に日テレ)では、明日に迫った東京マラソンについて放映されていた。自分もその一部になれることが嬉しかった…。
夜ご飯はシャカリキさんと上野の釜めし春へ。シーズンもののカキの釜飯を頂きました。やはり日本の食べ物は最高だ!

2月17日(日曜)
東京マラソン当日。天気は晴れ!ちょっと肌寒いが、走るには特に支障のない寒さである。昨年は大雨だった。荷物を預けるのも要領が悪かった。トイレも不十分だった。今年は一転、トイレは普通の混み具合だったし、荷物も混乱のないまま簡単に預けられた。更にはミールサービスも充実していた。自分の場合には、この日は朝5時には起き、ホテルの近くのコンビニでおにぎり等を買ってきて、既に食べ終わっていたから、特にミールサービスは不要ではあったけど…。ここで、フナティーに会う。フナティーはまだ調子が出ないようだ。かつては、自分の最大目標にしていたのである。いつも1マイル当たり最低でも1-2分は離され、でも負けず嫌いの自分はいつかは同じぐらいのレベルになることを励みに練習を積み重ねてきた。手術をしてから、練習が不足しているようだが、必ずや復活してくれることを願っている。
自分は自称、走る写真家である。マラソン大会ではカメラを忍ばせ、走りながら風景や他の人の走る姿や沿道の人たち等を撮るのが大好きである。でもやってしまった…。又もや充電をしたままホテルを出てしまっていたのである。スタート前の色々な表情を撮ろうとしたら、カメラがやけに軽いなと思ったら、矢張り電池が入っていなかった…。自分はタイムを狙うこととした(といってもサブ4。今の自分ではサブ4ですら大きな壁となってしまっている)。
現地では、中毒患者の京太郎さん、シャカリキさん、オケさん、そして東京支部のBlue3さんと出会った。皆自分とは全くレベルが違うけれど、お互いの健闘を祈った。Blue3さんはヒザの調子が思わしくなく、途中棄権するかもしれないとのことだった。東京マラソンでは、2箇所折り返し地点があり、中毒患者とすれ違うチャンスがある。そのとき少しでも励ましてあげようと決めた。
スタートは都庁前。号砲が鳴った(ハート型の紙吹雪が舞っていたはずなのだが、2年連続でハート型なのかどうかを確認し損ねた。また来年のお楽しみということで)。コラルが自分のレベル以上のところなので、周りのペースに合わせてしまうと、自然とオーバーペースになってしまうので、自分のペースをきっちり守ることに集中した。今年は天気がいいこともあり、スタートしてからの沿道の応援の数が物凄い。東京マラソンの応援者の数は世界の中でも特筆されるべきものであろう。日本人はただでさえマラソン好きである。それが東京のど真ん中を駆け抜けるマラソンしかも3万人規模ともなれば、家でじっとしてられない。自分は、NYに住み始めた1990年にNYCマラソンを目の前で見たときに言葉では言い尽くせない感動を覚えた。次から次へとくるランナーたち。しかもランナーの波は終わりを知らないかのように永遠と続いていた。自分も1回このランナーの波に入ってみたいなぁ。どんな感じなのかなぁ。息苦しくないのかなぁ。脚は大丈夫なのかなぁ。そこには自分にとって挑戦意欲をもたらす何かがあったし、実際感じていたのである。一人一人にそれぞれの人生があり目標がある。でもマラソンをしているときの目標はFinishすることなのである。タイム的な目標もあるだろうけど、所詮エリートとはレベルが違いすぎるのである。ちょっと位速くたって、あるいは遅くたって、誰にも褒められもしないし、怒られもしないのである。勿論、折角の大会だから自分なりの目標タイムを持つのは一般的だ。でもこれは自分の中では大したプライオリティーはないことなのである。要は、自分は皆と走りたいのである。
今回のラップタイムは以下のようである。安定していた前半と比べて、後半の落ち込み様がアカラサマである。カッコ内は目標の3.59.59ペースとの乖離。1キロ5分41秒ペースである。

1. 5.50.65(+0.09) 最初はゆっくりと。
2&3. 10.38.43(-0.34) 距離表示がちょっと見にくい。要改善!
4&5. 10.38.88(-1.19)
6. 5.19.65(-1.40)
7. 5.26.01(-1.56)
8. 5.26.49(-2.10)
9. 5.26.91(-2.25)
10. 5.31.36(-2.35)
11. 5.42.05(-2.34)
12. 5.36.94(-2.38)
13&14. 10.64.87(-2.55)
15. 5.33.31(-3.03)
16. 5.39.17(-3.05)
17. 5.35.65(-3.11)
18. 5.28.90(-3.23)
19. 5.26.53(-3.38)
20. 5.14.00(-4.05) 猫ひろしのペースに騙された。
21. 5.39.36(-4.07)
22. 5.32.46(-4.16)
23. 5.47.18(-4.10)
24. 5.53.34(-3.58)
25. 5.50.15(-3.49)
26. 6.03.39(-3.26)
27. 5.48.98(-3.19)
28. 5.58.05(-3.02)
29. 5.39.44(-3.04)
30. 5.53.96(-2.51)
31. 5.59.07(-2.33)
32. 6.00.40(-2.14)
33. 6.51.81(-1.03) もらったアンパンを食べてた。
34. 5.58.28 (-0.46)
35. 6.00.80(-0.26)
36. 6.36.91(+0.28) これ以降、悲惨であった。
37. 7.06.61(+1.54)
38. 7.38.24(+3.51)
39. 7.28.07(+5.38)
40. 7.20.27(+7.17)
41. 7.51.67(+9.27) 酷い!(でも一歩も歩いていないのです…)
42. 6.00.24(+9.46)
+0.195 1.13.52(+9.51) ネットタイム4.09.50

東京マラソンの一つの楽しみは、品川からの折り返しで、トップランナーの走りを拝むことが出来る点にある。今年も、トップエリートたちの凄い走りが見れた。トップエリートでなくても(自分には十分エリートに感じる)、サブ3を狙っているランナーであれば、それ程人数も多くなくて、知り合いを発見できる可能性が高い。ヒザを故障しているBlue3さんはしっかりと走れているだろうか、そんな心配をよそに、Blue3さんはしっかりといつものペースで走っているではないか。オケさんも頑張っている。自分もあっちのレベルに行ってみたいけど、この体重では無理だ。今はじっくりとサブ4を安定して出せるレベルにまた戻さないと…。
レースは順調に、距離を重ねる。2年目の参加ともあって、距離が短く感じられる。ハーフ地点では目標どおりだ。このままであれば、サブ4は行けそうだな、という安堵感がダメだった。後半はスピードがどんどん落ち、最後は歩いているヒトの方が速いのではないかとも思ったりしたが、自分はここに走りに来たのだ、と思い直して、意地でも歩かないと誓った。今回はタイム的には決して満足できないけれど、完走の美学を貫けてよかった。しかし、東京マラソンは抽選でランダムに選んでいるだけあって、歩いてしまうランナーが非常に多いような気がする。マラソンは甘いものではない。ある程度のトレーニングを積んでいないと完走はできない。銀座で後方のランナーとすれ違うけれど、殆どの人が歩いていた。折角、応援してもらっているのにね…。
日本の応援はとても単調である。頑張れ、頑張って、ファイト、の連続である。英語だと色んな応援の仕方があるけれど、日本は極めて大人しい。でも自分はそんな日本のやり方が好きである。普段は知り合いに対してですら、そんな言葉をなかなか発する機会って意外とないと思う。ましてや、全く知らない人に声を掛けるのが苦手なカルチャーである。そんな簡単な言葉のやり取りであったけど、確かに東京は一つになっていた。ところで、どうして日本人はファイト!って言うのだろう…。勿論、自分も中学・高校での部活ではこの言葉を使っていた。ファイト!って言われるとどうしても昔の部活を思い出してしまう。更には女の子に言われると何故か張り切ってしまうのは、男の性か???
レース後半の落ち込みようは凄かった。走るたびに、お腹が動くのがはっきりとわかるのである。2年前よりも10㌔もの重しを持って走っているのだ。これでは脚に負荷がかかるのは自明の理であるのだが、今回はっきりと自覚した。このままでは、サブ4復活も危ういと…。
ゴールしてからの段取りは昨年とは豪い違いであった。荷物は整然と既に並べられており、直ちにもらえた。メダルも昨年よりはいいものである。日本は学習効果が非常に高いと感じた。昨年酷かった部分は全て改善されていた。唯一、これは改善してほしいと思う点は以下ぐらいである。
(1)距離表示小さすぎ。何回か見逃してしまっている。(2)給水の間隔をもっと頻繁にしてもらえないか(NYCMは1マイル毎)。(3)アンパンは水の前において欲しかった。喉に詰まってはいけないと思って全部が喉を通るまで歩かざるを得なかった(だって、食べきれない残りを捨てるわけいかないでしょ)。(4)ゴール後の写真はアメリカでのレースを見習って、背景があるべきだ(東京ではただ列に並び、後ろにランナーがいるまま写真が撮られていた)。でも東京マラソンは至りつくせり。いいところばかりなので、評価は100点満点に近い。
東京マラソンはきちんとトレーニングさえ積んでいれば本来はPRコースだと思う。後半、橋を渡るのに若干のアップダウンもあるけれど、NYCでの女王区橋に比べたら大したことない。沿道の応援も素晴らしいし、近い将来は世界的にも認知されて、世界を代表する大マラソン大会と成ることは間違いないと思う。

夜は、Blue3さん夫婦、京太郎さん、シャカリキさん、そしてオケさんと宴を催した。楽しい会話、美味しい食事・お酒、で時間はあっという間であった。ここである人の目出度い話も飛び出てきたが、それは本人からの告白を待とう。

2月18日(月曜)、19日(火曜)
楽しい東京への旅も終わりを迎えた。帰りは夜の便なので、最終日も有効に使えた。ちょっと楽しみすぎたのか、乗らなくてはならないスカイライナーに乗りそびれてしまい(ホームに行った瞬間、ドアが閉まった)、大人しくその後の特急に乗る。実はスカイライナーと特急では10分ぐらいしか変わらないのだが、自分にとってはこの10分が豪い違いなのだ。結局、6時40分出発なのに、6時過ぎに到着し(他の乗客は全員手続きを終えています、と冷たい対応…)、買い物をする暇もないまま(レンタル携帯を返却することだけは許してくれた)、係りに連れられていった。飛行機に乗るといつもとちょっと雰囲気が違っていた。日系の航空会社だが、AAとのコードシェア便になっているからなのか、日本人よりも中国人や韓国人の方が遥かに多い。別に構わないが、もうちょっとマナーを良くしてもらわないと、同じ東洋人としては恥ずかしい…。日本人はおとなしいなぁ。でもそんな日本人に生まれてよかったと再認識することもできたのである。
飛行機は程ほどに空いていた。到着が遅かったから、行きのように真ん中の席は嫌だなぁ、と思っていたが一応通路側にさせてもらった。そのうち、扉も閉まり、隣には誰も来ないことがわかった。3人席で一人で座れるのは久しぶりだ。丁度、月曜あたりからひき始めていた風邪が酷くなってきていて、横になって眠れるのは非常に有難かった。鼻は詰まるし、咳は酷いし、喉は痛いし、ヘルニアの痛みは増すし、で苦しんでいただけに、旅の最後に来ていいことが起きたようだった。
入国審査では通常永住権を持っていると何も聞かれないですんなりと入れる。でも今回は中国人や韓国人も多かったせいか、結構自分の前で時間がかかっていた(前に並んでいた人は恐らく永住権を剥奪されたと思う。審査官が顔を真っ赤にして大声で喋っていたが、1年以上アメリカから離れ、今回も1週間しかアメリカにいない、ということのようだった。更には、そのおばちゃんは殆ど英語が喋れていなかった。審査官は永住権を取上げると言っていたようだった。余りにも時間がかかるので、自分は他の列に移してもらったので、実際に永住権を剥奪したかどうかまでは見ていないが…。自分は最近何も聞かれなくなった。10㌔痩せていたころは、永住権や運転免許書の写真と自分の顔が余りにも違うといわれて、別室送りまでされていたのに、最近は昔のぽっちゃり写真と全くの同一人物になってしまっている。ちょっと寂しい…。

総括
てなわけで、楽しかった東京マラソンへの旅も無事終了した。NYに帰ると現実に引き戻されてしまう。水曜からは普通に仕事が再開する。寂しいなぁ…。
東京マラソンは来年は3月22日に行われる予定だ。来年も海外枠(?)を活用して3年連続で出れたら幸せだなぁ、と感じる今日この頃なのである。
昨日、2月10日(日曜)は、ブロンクス・ハーフマラソンに出場した。予報ではとんでもない位に寒いはずだったが、きょうの月曜の寒さ(マイナス10度前後は辛い)に比べたら大したことなかった。

またしてもNYRRにやられた。レースは8時スタートであった。インストラクションとして、スタート近くの道路は6時までに封鎖する、というお知らせがあったため、大人しく5時前には起床し、6時までに着くように5時半前には家を出た。この大会では、スタートとゴールは同じ地点であり、きちんと駐車さえ出来れば、目の前の広場(?)に車を停めれるので非常に便利だ(スタートとゴールが全く違うブルックリン・ハーフとは大きな違いだ)。ただ、そこに停められないと、どこに停めればいいの?ということになるので、万が一のことを考えて6時前には到着するようにしたのである。でも、実際は違った。7時を過ぎても関係なく自分が早く来て停めた場所に入れたのである。昨年はNYRRと警察とのコミュニケーションが悪く、なかなか駐車場に辿り着けなかったため、今年はそうならないように、寝不足ながら(しかも家を出たときはこんな寒いのに走るの?と思っていたけど)頑張ってやってきた。でもあんまり意味はなかったようだ。中毒患者らは同じ考えだったようで6時に何人も見かけた(因みに、寒空の下車がなかったら凍死していただろう…。日本人って皆同じこと考えるんだな、と思った。われらは運命共同体なり。

レースはブロンクス(とはいっても、治安の悪いサウス・ブロンクスは流石には使わない)で行われる。自分は家に近いし、走りやすい・タイムが出やすいコースなので、可能な限り出るようにしている。2004年は2時間10分だった。実は、2004年からこのままではいけないとWTCのランニングクラスを受講し始めたところであった。その頃は今では信じられないが、音楽を聴きながら不真面目にレースに参加していた(因みに、音楽を聴きながらの最後のレース。要は、超初心者ランナーだった時代だ)。毎週水曜のクラスを受けていくに従い、体重は急激に減るは、走るたびに速くなるは、の楽しい毎日であった。その後もタイムは伸びていき、2005年のブロンクスでは1時間41分がでた。実に1年間でハーフマラソンのタイムを30分縮めることができたのである。懐かしい…。因みに2008年の今年は1時間48分…。自分は明らかに退化している…。

1. 8.37.60 (+.13)
2. 8.05.50 (-.04)
3. 7.54.59 (-.33)
4. 8.03.78 (-.53)
5. 7.59.12 (-1.18)
6. 8.08.58 (-1.33)
7. 8.14.27 (-1.43)
8. 8.20.49 (-1.46)
9&10. 16.40.46 (-1.53)
11. 8.29.50 (-1.47)
12. 8.39.38 (-1.32)
13.1 9.38.01 (-1.13)
タイム:1時間48分47秒(全体3263人中1093位、男子2114人中918位、年代別371人中146位、57.6%)

目標は1時間50分であった。一般に言われる、ハーフの2.1~2.2倍がフルでの予想タイムとするならば、来週の東京マラソンでのサブ4を達成するには、1時間50分を余裕でフィニッシュすることが必要だからだ。では、実際はどうだったか?最後の3マイルでペースダウンしてしまったのが残念であった。でも、当初心配していた左の足底の痛みは一切感じず(その代わり、右足の脹脛と足首がちょっとおかしくなっちゃった)、予想通りのタイムで行けたことは大変満足だ。もうやるだけのことはやったと思う。これで十分だ。

いよいよ木曜には天国の東京に向かう。どんな楽しいことが起きるだろう。子供の遠足のように一人はしゃいでいる今日この頃である。
東京マラソンまであと10日。練習不足は否めないけれど、頑張るつもりだ。足底の痛みは良くなっているような気がする。NYの昨日は雨が降ったり止んだりの1日だった。会社からの帰り道、たまたま雨が上がったし(車に乗っている間は結構降っていた)死ぬほど寒いわけでもなかったので(でも夜は矢張り寒かった…)、いつものように30分だけジョギングすることにした。幸いにも足の痛みは全く訪れず、スピードもそこそこ出せたように感じた(夜は実際のスピードよりも速く感じるだけなのは知っている。でもその勘違いが自信を生むと勝手に信じている)。高校のトラックに戻ってみると、人はいない。やはり天候のせいなのか、寒空の中で走るのが嫌なのか?自分が帰るとき、気がついたらオバサンが完全防備をして走っているのに気がついた。走らない人からしたら、何でわざわざ寒いのに好き好んで走るのか全く理解できないであろうが、走りたいのである。別に大そうな理由は無い。最後の1周はダッシュに近いつもりのスピードで走った。でも遅い…。あと5秒速くなりたい。
NYの天気は不安定である。そして昨日を境にまた寒い日々が続くのだそうだ。日曜は昼間の最高でも氷点下に近い。その日曜はブロンクス・ハーフ。2年前まで夏に開催されていたこのハーフマラソンは”灼熱地獄”レースとして知られていたけれど、冬に変えてからは”冷凍地獄”レースとなってしまったようだ。朝8時スタートなのに、車で来る人は6時までに近辺の道路を閉鎖するので余裕を持ってこいという。それまでに会場に来いと言うことか?寒い中2時間も待たせるなんて、NYRR何を考えてんだか…。ブロンクスは以前のような危ないところではないけれど、それでも普通のところに路駐するのは嫌だな。このレースの結果で東京マラソンの目標を調整するつもりなんだけど(ここで1時間50分を切れなかったら、東京でのサブ4は無理と見た)、先週に引き続きまたもやレースキャンセルにするかもしれない、とかなり弱気な今日この頃なのである。
天気と言えば、東京も今年は雪が降ったりと大変だ。もしレース当日そんなことになったらどうするのかな?昨年は大雨、今年は???でもレースが行われさえすれば何も気にしていないのだ。そんな能”天気”な自分なのである。
土曜は朝から距離走(30キロ)をトラックで行うつもりだったけど(75周)、途中でどうしても足の底が痛くなり(激痛再発?)、10周(僅か4キロしか走れないとは…)で止めてしまった。ガマンするのも練習のうちなのだが、何回か止まって、ストレッチングなどをしてもまたすぐに再発してしまう。多分走り方が悪いからこんな情けないことになるのだろうと思う。実は今日日曜は、NYRRの4マイルに出る予定だったけど、よってこれは止めた。今週は大人しくすることに決めた。本番2週間前といったら、レースペースよりちょっと遅いくらいで3時間もしくは30キロを走って、本番への目標タイムの調整をするというのが定番みたいなので、それをしたかったのに…。普段も多少足の底は痛くなるが、大抵走っているうちに痛みは消える。今回は走れば走るほど痛みが増し、最後は足を引きずるような変な走り方しか出来なくなってしまったので、このまま走ると変な癖がついたら嫌だな、という気もあって…。ショックのあまり、ブログの文章も長く書けない。2週間後は東京マラソンだというのに、前途多難である。タイムは狙う必要は無いけれど、せめてニコニコペースで楽しみながら走りたいのに…。そういえば、今週末行われるはずだった青梅マラソン(30キロレース)は東京での大雪により中止となった。まさか2週間後にこんな事態になるとは思いたくも無いけれど、当日雪とかになったらどうするつもりなのだろう…。昨年は大雨だったが、前後はポカポカ陽気(NYと比べたら)の快晴の毎日が続きその日だけ肌寒かった。今年はどうなるのだろう…。飛行機のチケット、ホテル等の段取りだけはもう済んでいる。でも肝心の自分の脚が走れる体勢になっていない。不安ばかり募ってしまう今日この頃なのである。

これほどの痛みは、2007年1月のミシシッピマラソン以来だ。あの時はレースでハーフを過ぎてから突然耐え切れない痛みに襲われた。後半のハーフは殆どが歩き(不思議なことに歩いている分には何の痛みも無い)。余りにも小さなレースで観衆なんかいないし、前後のランナーもポツポツ。半べそを掻きながら一人とぼとぼとゴールに向ったものだ。一緒に参加していたお雪師匠が余りにも遅いので待ちきれなくなって(だって予定より1時間近く遅かったし、もうゴール付近に誰もいなくなってしまいかけていたし…)、迎えに来てくれ最後は歩いてはいけないと走って達成したのが、4時間44分44秒という素晴らしいぞろ目タイムに繋がるのであるが(もう多分一生無理だろうし、実は自分にとっては大切な思い出となった…)、昨日の痛みはそれに通じるものがあった。今回の痛みも災い転じて福となすというのであればいいのだけど…。奇しくも今日は節分の日である。鬼は外、福は内。

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