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走れけに~

Author:走れけに~
まだ若かりし頃、世界を代表する公認会計士を目指して、1990年に単身NYへとやってきたのがつい昨日のことのようです。仕事(会計士)への情熱は在米17年の間にすっかりと醒めてしまい、余生をどうやって楽しく送るかが今の最高関心事であります。そこで出会ったのが、まさにフルマラソンの世界なのであります。誰に褒められる訳でもなく、貶される訳でもなく、怒られる訳でもなく、全て自己完結な世界なのであります。走って何が楽しいのか、とよく聞かれます。兎に角無条件に楽しいのです。楽しいものに理由・説明など必要ないのです。何はともあれ、走れけに~!

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何て情けない…。辛うじて2時間の大台は免れたが危ういところだった。今日は、マンハッタン・ハーフマラソン。自分にとっては今年1回目のNYRRレースである。今年も始まったと言う感じだ。今朝の天気予報はもしかして雪か、というものだった。実際、6時半に家を出たときには雪がちらついていた。でも極寒郊外と違ってマンハッタンは暖かい(?)。天気予報は見事に外れた。でもやはり寒い。暑がりの自分でも3枚着重ねしたほどだ(お陰でレース中に寒さは一切感じなかった)。NYRRのレースに行くと、中毒患者たちに会えるのが楽しみだ。馬次郎さん、オケさん、京太郎さん、2号室さん…。余りにも早いうちに並んでしまったせいか、殆ど一番前近くになってしまった(あ~あ、ゆっくりスタートできない…)。てなわけで、今日のタイム。因みに今日は最悪でも1時間50分を切りたかった(括弧は目標とペースとの差異)のだけど、全く話にならない目標設定でした…。

1. 7.12.68(-1.11) (速すぎ…。もうこの時点で終わった)
2. 8.00.47(-1.34)
3. 8.18.65(-1.39)
4. 8.45.80(-1.17)
5. 9.06.06(-0.35)
6. 9.27.70(+0.28) (この辺歩いている人と変らないスピードとなってしまった…)
7. 8.41.44(+0.46)
8. 9.28.85(+1.51)
9&10. 18.03.16(+3.06)
11. 8.43.85(+3.26)
12. 8.56.61(+3.59)
13. 8.27.54(+4.03) (最後ちょっとだけ盛り返せて良かった。尚、2号室さんは自分より30分以上前にゴールし、帰り道にすれ違った…)
0.1 0.53.28(+4.06) なので、トータル1.54.06。(全体4989人中2221番ーぞろ目にあと一人!、男子3115人中1675番、年代別515人中279番、54.9%-平均以上でまだよかった…)

本当に痩せないと東京マラソンはとんでもないことになる。2週間後にブロンクス・ハーフマラソンがあるので、そこでは1時間50分を余裕で切ることが出来ないと、3週間後の東京マラソンでのサブ4は幻と化してしまいそうな勢いである。

マンハッタン・ハーフはかつては真夏に行われていた。自分には忘れられない物凄いタイムを出したのはまさにこのマンハッタンハーフである。それは2002年8月のことだった。レースの前日に日本から昔の部下が出張で来ており、彼らを食事に連れて行ったのだ。当然、飲み食いである。家に着いたのは2時くらいだったか?確か真夏と言うこともあり、マンハッタンハーフのスタートは7時くらいだったような気がする。睡眠不足、二日酔い、練習不足、そして暑さに負け、いきなり1マイルもしないうちに、歩きが入ってしまった。しかもフラフラ状態である。当時の自分には一度歩き始めたら、そこからの復活なんて不可能だ。13.1マイルの殆どを完歩してしまった。(そんな状態でレースに出るのは危険・失礼というのはわかっている。でも因みにこの2002年はギリギリ9回を走り、翌年のNYCマラソン参加につなげた年である。このマンハッタンハーフを完歩していなかったら、今の自分が無いような気がしている…)。タイムは何と2時間56分47秒(グロスは3時間を超えている。今と同様、NYRRのハーフには3時間の制限があるので、もしかして失格?と恐れていたがダイジョウブだった。尚、年代別でビリから5番(1414人中1410番!)、%が何と地上最悪の33.8%!)。それ以降、睡眠をしっかり取るというのが自分の確固たる信念となった(レースに限らず、普段もしっかり7時間以上の睡眠を心がけている)。尚、自分の最悪の順位は知る人ぞ知る20マイルレースでの323人中322番というものである。こんな輝かしい実績を持っている自分が何とか這い上がれるのである。きっと誰でもが自信を持ち、誰でもが中毒患者になれると信じる今日この頃である。
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金曜の夜は、NYマラソン中毒患者の会の新年会であった。ランニング、マラソン、トライアスロン、等に高ずる日本人が集まる貴重な場である。自分は12月の忘年会に参加することが出来なかったから、尚更楽しみであった。写真は当該サイトに詳しいので、そちらに任せるけど、皆生き生きとしてランニングを語り合った。あっという間に3時間以上が過ぎてしまった。趣味が一致する仲間と一緒にいるのは楽しいものである。
そんな楽しみから一夜が明け、今日はロッキーズで3時間走ろうと意気込んで行ってみた。よく考えたら、明日の日曜はマンハッタンハーフだった。レース前日にハードなトレーニングをするのは中毒度が軽度の自分には無茶すぎると走りながら自分自身を説得し、いきなり方針変更。その代わりロッキーズの近くの高校トラックに行き、800メートルを3本こなして元に戻ってくることにした。
高校へ向うのもちょっとは遠回りしてゆっくりと45分ジョギング。本当は5本はやらないと効果はないのだろうけど、明日を考えたら3本が限界かなと思っていた。
まず1本目。既に45分のジョギングで疲れ始めているのか、それとも矢張り体重か、1周目2分丁度。余りにも遅すぎて気絶しそうになった、が気を取り直して2周目。1分48秒。3分48秒。一生懸命走って、このタイムは何なの…。2本目。偶然なのか必然なのか、1周目も2周目も全く同タイム1分48秒で3分36秒。ちょっと改善。でも1分45秒はせめて切らないと…。でも2本でどっと疲れてしまった。3本は最低でもやると決めた以上やらないと男じゃない。でもこれ以上疲れたら明日のレースが…。心の葛藤はあるものの、こんな程度で疲れたとかいっている軟なランナーだとは情けない。辛い時こそ、トレーニングして初めて効果があるものと信じて、3本目。1周目今度は1分49秒。遅くなった。2周目を1分45秒で走って有終の美を飾ろうと一生懸命走った(自分としては…)。1分46秒…。遅すぎ。でもちょっと何かを乗り越えたかな、と満足もしている。帰りは速めのジョギングで帰ってこれたし、上りは意識的に脚に負荷を与えようとした。結構脚に堪えるトレーニングになっちゃったけど、たまにはこういうこともしないと、いつもLSDだから息も苦しくならないし。要はメリハリのある練習を心がけようとしたわけだ。でも、体重は相変わらずだろうなぁ…と焦る今日この頃である。
さて、新年会に話を戻す。それぞれが何らかのスピーチをし、お宝を見せるのであるが、全てがPricelessの大切なものばかりである。人それぞれが、それぞれの人生を歩み、それぞれの夢を見て生きている。そしてマラソンという共通項を通してつながっている。人は決して一人で生きているのではないのである。仲間と共走しているのである。自分には人前では恥ずかしくて言えないお宝がある。これは思い出だけなので人様にお見せできるような代物ではないけれども、今の自分の基礎になっている大切な思い出だ(もうこれは既にブログで記しているかもしれないけど、原点に戻りたくてあらためて簡潔にではあるけれど記すことにした。新年会で発表できないのは恥じらいもあるし、話せば長い話になってしまうと思ったからだ)。レースに出る時はいつもその時のことを思い出して自分を勇気付けている。それは昨年5月に遡る。場所はノースダコタ州ファーゴ。実はサブ4を既に達成していたものの、その後いつも3時間50分台が続き、3時間50分切りが当時の目標だった前年のルート66マラソンでは惜しくも2時間50分10秒前後だったと記憶している)。そのレースでは某夫婦とご一緒させていただき、調子はそんなに良いわけではないものの冗談で一応3時間49分59秒を目標とした。ファーゴマラソンでは3時間40分、50分のペースメーカーがいた。スタートはご夫婦と一緒に前の方であったが、当然自分にはそのスタートでのランナー達はちょっと速く、スタート直後どんどん抜かされ(マラソンはスタートで速く行って上手くいったことなど一度も無いので、初めの数マイルはいつも慎重にゆっくり目に行く)、3時間40分のペースメーカーにはさっさと抜かされた。それにとりあえず付いて行くのは不可能なことではない。でも目標はあくまでも3時間50分切りである。無茶なことはしない、これがマラソンの鉄則だと思うので、自分を信じて自分のペースをあくまでも守ることに集中した。幸いにもコースは完全といっていいほどのフラットコース。一度のったペースはこの日は余り落ちなかった。3時間50分のペースメーカーに抜かされると言う一種の恐怖はあったけれど、その気配は全く感じられず一度後ろを見る機会が会った時に、程よく数百メートルぐらい後ろに団体となっていることが確認できた(結局、最後までこのペースメーカーには抜かされなかった!)。自分はペースメーカーについていくランナーと一緒にいると連帯感を強く感じるし大好きである。殆どの人はお互いに知らない人である。出身、人種、性別、年齢、職業、…全て異なる人達がある目標(ここでは3時間50分)を目指して、一緒に頑張るのだ。一人落ち、二人落ち、最後には数十人の団体が数人も残らない。でも終わったあとはお互いの健闘を称えあう喜びがある。さて、自分はハーフ通過地点で1時間55分をほんのちょっとだけ超えていた。後半はネガティブスプリットで行かないと、3時間50分切りは達成できない(ギリギリだということがハーフの地点で現実として自分に圧し掛かってきたのであった)。でもこの日は何故かダイジョウブだった。それはゴールで夫婦が待っていてくれるからだった。案の定、後半はペースが落ちるどころか、多少ペースが上がり(といっても1マイル毎に数秒なんだろうけど、この数秒が実に大きいのである。マラソンの世界では自分のような鈍足ランナーでも僅か1分以内の攻防を巡って頑張れるという機会が実際にあるのである)、20マイル以降の壁も殆ど感じず(といっても確か22-23マイルくらいでエネルギーが切れそうになり、アミノバイタルを口にしたような気がする)、目標に向ってまっしぐらというのはまさにこの時のような状態をいうのであろう。日常のこと、仕事のこと、全て忘れて頭は3時間49分59秒だけになっていた自分だった。最後の数マイルでも8分後半のペースが保たれ、25マイルでは自分の中では3時間50分切りという長いトンネルから抜け出して光が差し込んできたように、目標達成を確信していた。26マイル地点では一人喜びに溢れていた。この大会のゴールはイベント会場の中にある。中ではゴール直前のランナーの映像が映し出されていた。タイムが3時間49分になっても自分の姿は見えなかったらしく、ご夫婦はヤキモキされていたと言う(あと1分しかない)。自分は絶対ダイジョウブと既に確信していたけれど、応援してくれた夫婦にはその時点ではわからなかったわけだ。最後はラストスパート!ネットで3時間49分23秒。30秒余りの余裕を持ってゴールできた。滅茶苦茶うれしかった。挫折だらけの人生だけど、一度くらいはやり通したかった。それが出来た。自分でも頑張れば目標を達成できる。それを強く感じた瞬間だった。夫婦の前では泣けないけれど、自分にとっては心の中で(自分はこのフレーズが好きである)うれし泣きを流し、そして生涯忘れえぬ心の勲章となった。ところで自分のお宝はこのことではない(ここまで引っ張っておいて実は違うのである)。自分にとっての本当のお宝は、ゴールした瞬間に近寄って夫婦師匠に言われた一言だ。”よかったね”と。自分にはこの一言が最高にうれしかった。自分には見てくれている仲間がいるんだと。実にこれが生涯最高のお宝なのである。(ね、話せば長いでしょ…)
NYは今日も寒かった。本当は朝走れればよかったんだろうけど、夜中の3時前に帰ってきたこともあり(酔っ払ってしまいました)、流石に5時起きは出来なかった。会社では寝不足ということもあり、1日中眠かった。会議が約半日分以上あって、その半分は寝てしまった(いきなりヤバシ…)。
夜はもっと寒かった。会社からスカースデール高校へ。トラックには誰もいなかった。寒い夜空の下、着替えたけどコリャ寒すぎるな、と思いながらも体重がどうしても気になって…。東京マラソンまであと3週間ちょっと。ヤバイなぁ。こんなに寒い夜は誰も走っていないスカースデールの住宅街を走るに限る。冷たい郊外の空気は体を思いっきり冷やしてしまうけど、このヒンヤリ感がまた堪らない。走っている間、誰にもすれ違うことは無かった。30分ほどいつもよりも速いペースで走ってみた。その後休憩を取ることも無く、1マイルダッシュをしてみた。タイムを一応計ってみようと思ったけど、寒すぎたのかストップウォッチが動かない。まあいいや。体重はこんなもんでは落ちるわけ無いけれど、とても気持ちの良い練習だった。寒い夜空が自分一人のためにあるようにも感じられるほどだった。
家に着いたら、雪が降り始めた。こんな中で走っても別に何とも思わない。自分のマラソン中毒患者復活は近いといいなぁ…。
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暫く、ブログをサボっていた。人間は一旦サボりを覚えてしまうと、何らかの理由を見つけては又サボりたくなるものだ(自分だけであろうけど)。一番書かなかった理由は至極簡単。転職活動をずっとしていて時間が取れなくなってしまったうち、書くのが億劫になってしまったのだ。転職活動はもう2ヶ月前だったし、実際に転職したのももう1ヶ月も前の話になる。まあ、過去を悔いても仕方ないので(要は能天気なのだ)、これから復活していきたく思う。
2008年の最初のレース。それはディズニーワールドマラソンであった。1月12日(土曜)及び13日(日曜)の2日連続でそれぞれハーフマラソン、フルマラソンが行われた。そのレースの詳細はレース仲間のムキちゃんやRIKIさんの日記に詳しいので、余り自分がブログで書いても興味がなくなるだろうから最低限に留めておこうかな、なんて考えてもいる(うちにマタマタ時間が過ぎていってしまった…)。
このレースは、自分にとってはとても楽しみなレースだった。ディズニーワールドに行けることではない(流石に40も過ぎたおっさんには、子供に比べれば夢の世界への興味は髪の毛同様薄れていってしまうものである)。2日連続でレースに出ることに対する楽しみであった。50州を目指して以来、マラソンは2週間から1ヶ月の間隔を置くようにしているし(自分の場合には、その位おかないと脚への負担もあるけれど、一生ランナーでい続ける為のモチベーションの維持が出来ないのではないかという思いがあるからだ。いつ終わるかわからない人生なのだから、やれるうちにやっておこうという気もないわけではない。でも、何事も過ぎたるは及ばざるが如し、である。やり過ぎはきっと暫く経つと必ずやモチベーションの低下に繋がる。自分は走り続けるというモチベーションを一生続けて行きたいのだ。ピークを作ってはいけないのだ。のほほんと、ちんたらと、何事もなかったかのように何気なく続ける、これが自分にとって一番あったスタイルなのではないか、と最近思えるようになってきたのだ)、その間ハーフなどの短いレースはあるけれど、2日連続で続けて大会に出たことはなかった。このレースの名前は、グーフィーチャンレンジ、まさに挑戦!自分に刺激を入れるのに最高の舞台だな、と思って参加を楽しみにしていた。

<オーランド到着まで>
でも、その楽しみはNYを発つときに既に崩れ去りそうになっていた。飛行機のトラブルである。自分はラガーディア空港とは縁がないと思っている。遅れたり、キャンセルになったり、碌なことがない(何の問題もなくスムーズにことが運んだことは数えるきりしかないと記憶している)。だから米国内の移動も可能な限りJFKを使うようにしている。でも今回は飛行機の予約もギリギリまで待ったために、ラガーディア発着のものしか残っていなかった。大会が土日なので、金曜の夜までに(EXPOは8時まで開いていた)、現地に着いていなくてはならなかった。予定では、昼まで仕事をし、2時半の飛行機に乗り込み(案の定、今の職場からは空港に15分ぐらいで着く)5時半にはオーランドに到着、余裕でEXPOに行ける筈だった。ところが…。空港に着くなり、2時半出発予定が、いきなり4時20分になっていた(いきなり、EXPOに間に合わないじゃないか…)。まあ、それでも望みを捨てずに待っていたら、何と5時45分出発にいきなり変わった(オーランド到着9時前…)。ダメ、間に合わない。だから、金曜の朝から行けばよかったのだ、と思ったけどそれはアフター・フェスティバルである。フルだけになっちゃうなぁ。これじゃぁ、普通の大会参加になっちゃうけど、まあしょうがないかな、これも人生。50州やろうと思ったら一度くらいこんなこともあるだろうなぁ、と思っていたから意外と本人は諦めも早い。とはいえ、先に到着しているムキちゃんとフナティーには間に合わない旨を伝えた。ここで奇跡が起きた。本人でないとPickupできないはずだったのに、ムキちゃん夫婦の頑張りによって、何とかパケットを土曜のハーフ直前に受け取れるように手配してもらえたのだ!この時ほど、仲間の有難さを知ったことはない。多謝!
デルタ航空も流石に遅れすぎたのを悪いと思ったのか、5時45分発予定を何と30分繰り上げて5時15分に出発できるようにした(始めからやらんかい!)(でも、5時45分だと思ってぶらついていた人たちはどうしたんだろう…)。しかも9時前到着予定が何と8時にはオーランドに着いてしまった(出来るんじゃないの!)。とは言え、EXPOには到底たどり着くことなく、翌日のハーフのスタートに備えた。

<ハーフマラソンの部>
ハーフは6時スタート。フナティーによれば、4時までにバスに乗らないとダメらしいよ、とのことだったので同じホテルに泊まっていた私たちは3時45分に集合することとした。当然早起きが必要とされるわけで、起きたのは何と2時45分!時差のないNYとフロリダだけど、いきなり時差ぼけになってしまった…。夜遅く着き、遅く寝たおかげで、睡眠時間僅か2時間…。
会場に着き、早速ムキちゃんに指定されたテントまで、ゼッケンを取りに行く。自分の名前を告げると、向こうは待っていたぞ、とばかりにすぐにゼッケンをくれた。袋に全部入っているから、と言われたものの、Tシャツも3枚あるはずが1枚しか入っていないし、肝心のリストバンド(これがグーフィーチャレンジ参加者の証)も入っていない。すぐに気がついたから良かったけど、そうでなければどうなったのだろう…(結局TシャツはEXPOまで取りに行くことになった。これはこれで、なかなかTシャツをくれなかったのだけど、書くのが面倒なので割愛)。ただ、ここでまた大問題発生!今回はタイム計測に自分の出なくて大会のチップを借りるんだとばかり思っていて自分のをホテルに置いてきてしまっていたのだが、チップ自分の持っているよね?と言われて唖然。持っていないのなら、You’re NOT timed.と冷たく言われたのである(勿論タイムはなくても、3つのメダルはリストバンドさえあればもらえるから、などと慰められ…)。ホテルに戻れるかな?って聞いたら、無理に決まっているじゃないのと冷たいご返事。まあ、メダルさえもらえればいいや、と思って、翌日のフルはちゃんとチップをつけてこようと誓った(全く自己責任の国である。自分のチップは常に携帯しておかねば。Myチップを持ったら持ったで面倒なことも起こるんだな、と悟った。公式には自分はハーフを走っていないことになってしまっているが、しっかりとゆっくりと走りました)。
これだけ大人数だと、待ち合わせもしていないでムキちゃん夫婦やRIKIさんには会えないかな、と思っていたが、Corral別にスタート地点が決められていて、一緒の可能性が高いため待っていたら、案の定3人に会うことが出来た!
自分の目標タイムはハーフ2時間、フル4時間半。ハーフは1マイル9分10秒ぐらいで行けば目標達成。実際自分の時計では1時間59分台だった(途中、立ち止まって写真を何度も撮っているので、余裕の目標達成である)。でも普段も楽に達成できているから、という過信がいけなかった…。翌日のフルを考えたら、ハーフは2時間半でよかった。2日連続がこんなに脚にくるもんだとは、この時はまだ気がつかなかった…。ラップは以下の通り。

1. 8.56.26
2. 8.14.43
3. 8.44.51
4. 8.41.08
5. 9.15.28
6. 10.55.10 (まじきんにて写真撮影)
7. 10.08.69 (同上)
8. 9.00.49
9. 8.39.07
10. 8.59.14
11. 9.11.45 (ペースが9分10秒ぐらいになるように願っていた)
12. 9.12.28
13. 8.52.35
+0.1. 1分くらい(計測忘れ)タイムは1時間59分40何秒など思う(心もとないけど)
ゴールしてからは、皆と合流。ミッキー・ミニーとの写真撮影に勤しんだ(これも楽しみの一つだった)。
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<フルの部>
翌日のフルも6時スタート。2時45分に目覚ましをかけたつもりだったが、また寝てしまい、あわてて3時に再起床(よく起きれたなぁ…)。又もや、3時45分にフナティーとホテルのロビーで待ち合わせるも、TVジャパンの見過ぎでちょっと遅刻。ハーフよりもフルの方が参加者が多いとは聞いていたものの、実際には比べ物にならないくらいの大人数。夜中にこんなに人が集まるのは本当に気持ち悪い気がした。フル当日は、ムキちゃん夫婦とRIKIさんと現地で待ち合わせをした(つもりだった。RIKIさんとは結局スタート地点で出会った)が、夜中に大雨が降ったらしく、湿度が異常なほどに高い。自分は蒸し暑いのが最大の苦手である。あっというまにばててしまうのである。自分が嫌いな季節は夏である。暑いと本当にぐったりとしてしまう。しかもその中で走れ、となると走る前からギブアップ状態であった。さて、脚の状態はどうか。案の定、脚がいきなり重い。ハーフの後、アイス風呂に入ったりは多少したけど、万全でないことは明らかであった。まあゆっくりと行こうとは思っていたけれど、このゆっくりというのは、想定していた以上にゆっくりである必要があったようだった。いきなり壁がやってきて、歩くのと変わらないくらいのスピードで走らざるを得なくなっていた。スタートして暫くしたら4時間のペースメーカーがやってきたので、これについていこうと思ったら、1マイルも持たずに諦め。そして次の4時間15分では始めは余裕だったのだけど、ちょっと気を抜いたら置いて行かれそうになり、この分ではこのペースで最後までは無理と悟って、さっさと目標を当初の4時間半に設定(でもこれすらも甘かった…)。何と最後の26マイル付近では5時間のペースメーカーすらにも抜かされてしまうという屈辱を味わうのだけれど、途中ハーフ以上にキャラクターとの写真撮影を楽しめたので全然気にしていない。以下、フルのラップです(ラップと誇れるものではない。こんなに遅くなってしまうなんて。サブ4はどこへ消えてしまったのか???)。1キャラクターと写真を撮るたびに、2-3人前に並んでいるランナーが必ずいたので(1箇所1-2分は遅くなっている)、写真撮影を諦めればタイムはもっと良かったのだろうけど、楽しみは間違いなく半減したことだろう…

1. 9.39.44(最初の1マイル目が一番速いなんて何とも情けない…)
2. 10.04.89
3. 10.00.76
4. 10.54.32
5. 11.22.90
6. 10.06.53
7. 11.19.02
8. 12.15.10
9&10. 23.23.90
11. 15.00.86(何が起きたのか、覚えていない…)
12. 11.32.12
13. 10.41.66
14. 10.36.24
15. 11.10.28
16. 12.13.59
17. 13.44.93
18. 11.26.48
19. 10.59.39
20. 11.27.28
21. 11.12.30
22. 11.55.03
23. 13.24.73 (躓いて思いっきり転倒―頭さえも地面に叩きつけられた!左肩、肘、膝から多量の出血!以降、左手の力が何故か入らなくなり、レースどころではなかったのだけど、その後キャラクターと撮った写真からはその痛みは微塵ほどにも感じられない…)
24. 10.24.40
25. 12.13.37
26. 19.05.49(久しぶりに全マイルの歩き。全く走れなくなり、フラフラになっていたのが自分でもわかったくらい。完全なガス欠…)
+0.2 2.22.55 (5時間9分ぐらい)

何も気にしないのが自分の良いところだと思っている。タイムは全くといって誇れるところはないけれど、2日連続で辛いながらもフィニッシュ出来たことは自分にとっては大きな誇りである。
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<おまけ>
フルをフィニッシュし、ムキちゃんに報告。ところが、又もや大事件が発覚する。何と午後6時半に発つ予定の飛行機が早々とキャンセルになったという(確かにNYは大雪警報が出ていたようだが、雪の予報は夜半過ぎの話。デルタの勇み足だったとしか思えない…)。えっ?自分がチケットを買ったExpedia(ここもいい加減である)に電話してみるとConfirmedになっているだけだぞ、デルタに直接確認しろと撥ねられ、デルタ航空に確認して初めて本当にキャンセルになったことがわかった(ムキちゃんがいなかったら、間違いなく夕方になって空港にて一人慌てていた事だろう。ここでも多謝!)。自分がフィニッシュしてからホテルについて電話が漸く繋がったのは12時30分過ぎ。デルタのおばさん曰く、2時過ぎの飛行機だったら乗れるって聞いてきた?無理にきまっとるやんけ!次に、ムキちゃんの取った翌日の朝一7時台の飛行機は?と聞いたらSold-out!で11時の飛行機にしてもらった。結局は、NYは雪も降らなかった。かといって、ムキちゃんとRIKIさんの7時台の飛行機も何故かキャンセルになってしまっており、最後はムキちゃん夫婦、RIKIさん家族、そして自分は同じ飛行機でNYに戻ってくることができた。今回の旅はトラブル続きだった。でもその度に人に支えられ、危惧していた事態に陥ることもなく、終わってみたら全てが良かった・楽しかったという旅となった。まさに、終わりよければ全てよし、の旅となったのである。

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