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走れけに~

Author:走れけに~
まだ若かりし頃、世界を代表する公認会計士を目指して、1990年に単身NYへとやってきたのがつい昨日のことのようです。仕事(会計士)への情熱は在米17年の間にすっかりと醒めてしまい、余生をどうやって楽しく送るかが今の最高関心事であります。そこで出会ったのが、まさにフルマラソンの世界なのであります。誰に褒められる訳でもなく、貶される訳でもなく、怒られる訳でもなく、全て自己完結な世界なのであります。走って何が楽しいのか、とよく聞かれます。兎に角無条件に楽しいのです。楽しいものに理由・説明など必要ないのです。何はともあれ、走れけに~!

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今日のNYは昨日とは打って変わって快晴である。ポーランドの泉・マラソン・キックオフ5マイルレースがNYの中央公園で行われた。朝5時半に目覚ましをかけたつもりだったが鳴らなかった(何故だ?)。とはいっても、いつも5時~5時半には起床しているので勝手に目覚めたけど。さっさと仕度を済ませ、6時15分に家を出る。辺りは当然真っ暗だ。日の出前から行動するのは慣れているから問題ない。道も空いているし、気持ちもすっきりする。早起きは三文の徳と昔の人は言ったが、そんな感じ。
レースは8時からスタートなのでそんなに早く行く必要はないのだけど、中央公園で行われるレースでいつも困るのは車のパーキングである。早く行かないとスペースがないのである。でも昨年ぐらいから要領を得たようで、いつもxx丁目に停めるようにしている。スタートそして中央公園に近いのに何故かスペースが見つかるのだ(この1-2年、100%の確率で成功している)。多分、こんな便利なところスペースなんてあるとは誰も思っていないからに違いない。以前は、1番街の方の遠いところにお金を払ってパーキングしていたのが、場所は近いし、しかもタダなんて…。
さて、最近は本当にマラソンブームである。日本もそうであるし、NYも物凄いブームだ。今日は5マイルだし、そんなに居ないかなと思っていたら、とんでもない。約6000人弱のランナーが参加していた。トイレは端っこで並ばずして入れたので良かった(スタートの1時間弱前だったからかな?)けど、ゼッケンを入手するのに一苦労。そして、Tシャツ(今日はポーランドの泉がスポンサーだったので、ボトル水をタンマリ。そして、ポーランドの泉と書かれた軍手もゲット。満足!)もかなり並んだ。こんなに人がいると、知り合いを探すのも一苦労だ。結局スタート前に馬次郎さんを漸く発見し(小次郎くんを探しておられ、サヨナラしたけど)、時間も無いので7分ペース予定のところに並んだ。今日は誰とも会えないかな、と思っていたら、内乃助師匠を発見!師匠は今日はゆっくり行くとの事(1週間前のレースで一生懸命走っても意味ないし…)。自分のNYCマラソンの目標は打倒HGであるから(3時間44分12秒にて達成!)、1マイル8分33秒でいけばよい。今日はそこから1分差し引いた7分30秒ぐらいが目標かなと思っていたけど、内乃助師匠が7分20秒ぐらいで行くとのことだったので、いっそのこと行けるところまで付いて行こうと決めた(ペースメーカーになって頂いてしまい、スイマセンでした!)。NYCマラソンはNYランナーであれば、毎年一番の目標レースとなっている。皆この日を楽しみにしている。ランナーの表情からそれが容易に窺い知れる。自分も気合が入ってきた!レースは始めゆっくり(遅いのに前に並んでいるランナーを抜かすのは結構疲れる。ジグザグに進まなくてはならないので、当然ペースも遅い)、その後ペースを合わせていくという戦法である。内乃助師匠のように元々もっと速く走れる人は、7分20秒と思ったら、その通りのペースで淡々と進むことが出来る(流石!)。自分にとって7分20秒ペースは5マイルであれば特に問題はないと思っていた。でも中央公園は坂も多いし、人も多いから、適正ペースよりちょっと速いかなという感じだ。でも、最近はあることを思い浮かべると(ヒミツ!)、上り坂も簡単に上れることがわかったので、調子よく行けた。途中まで師匠の後ろにピタッとくっ付いていた自分だけど、4マイル手前ぐらいか、師匠が隣の見知らぬアメリカ人に話しかけられてしまい、話しながらペースを上げていってしまった(速くても喋れるとは…)。その後はちょっと頑張らないと追いつかなくなってしまったが、最後の1マイルで追いつき、一緒にゴールさせて頂いた(同タイム!)。記念のレースとなった。タイムは以下の通り。
1. 7.40.88(ヤッパリ最初は滅茶苦茶遅い…)
2. 6.58.89(速い!)
3. 7.18.34(ペースの調整)
4. 7.01.83(良い感じ!)
5. 7.01.10(自分の計測では7.04.10だったんだけど、多分ゴールしてから押したから、3秒引いといた。4マイルと5マイルで粘れたのが今回の収穫だ!)
公式タイム、36秒01秒(全体555位/5973人、男子490位/3081人、年代別80位/454人、63.6%!-多分自己最高%)。
帰りは内乃助師匠をご自宅まで送り届けさせて頂いた(今日のレースは師匠のお陰。多謝!!)。NYCマラソンのコースである1番街を通りながら。1週間後に備えて、コースを走っている多数のランナー発見!皆一生懸命だな。自分も燃えてきたぞ!打倒HGを絶対達成したい、心の底からそう思った…。
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今日土曜のNYは雨。NYCMの前に最後の2時間ランをしておきたかったところだが、じっとガマン。丁度、何らかの拍子で右側の背中の神経(?)を痛めてしまい(左手だけでなく、右手まで痺れてきてしまった…)、困ったと思っていたものだから、いい休養になるかもしれない。
明日日曜は久しぶりのNYRRでのレース(マラソン・キックオフ・5マイル)だ。このレースはNYCMの1週間前に行われ、NYCMに向けての最後の調整レースとなる。5マイルレースはどちらかというと苦手だ。速すぎては最後まで持たないし、遅く走るにしては距離が短くて勿体無い。
このレースには自分なりの思い入れがある。自分が初めて出場したNYRRのミニレースである(NYCMにはその2年前にたまたま出場している。当然歩きっぱなしで5時間51分24秒というトンでもないタイム。でもこの時が一番嬉しかったような気がする…)。その当時は5キロだったと記憶しているが、この5キロですらまともに走ったことの無い自分にとっては長い距離であった。その時は折り返しコースであった。前からトップ争いをする全力疾走のランナー達が走ってきた。余りの速さに100メートルの練習でもやっているのか、と思ったほどだ。その当時は、トップクラスの凄さすらも理解していなかった頃だった。トップランナーの凄さは尊敬に値する。今の自分ですら、それこそ100メートルですら追いつくことができない。それを延々と走れるランナー達…。話を自分に戻そう。自分は初めてのレースで一生懸命だった。この距離で歩いていたら、1週間後のNYCMを走りぬくことなんか出来ない(今から思えばその思いすら愚かである。1度もロングランをしたことも無い人間がフルマラソンに出ることすら恐ろしいことなのである)。ともあれ、1マイルが過ぎ、2マイルが過ぎ、必死であった。脚が攣りそうだった。呼吸が続かないくらい心拍数も最大だっただろう(苦しかった…)。でも最後まで必死だった。結果は30分38秒(9分52秒ペース)…。その当時の自分にとってはマイル10分を切るのが夢のようだった。こんなに速く走れた。よく頑張った。そんな気持ちだった。他のヒトに比べたら、全くの鈍足ランナーである。距離だって僅か5キロ。でもともあれ、初めて最初から最後まで走り通せたのである。勿論1週間後のNYCMでは悲惨なタイム(5時間24分06秒…)だった。でもこの時の5キロレースを頑張れたことが、今の自分につながっているような気がするのだ。今でもこのレースでの自分を思い出すことが出来る。トップランナーの物凄さ。それに対比する鈍足の自分。脚の疲れ、激しい心拍、必死、そしてゴール…。そこにはひたむきな自分がいた。
NYRRのレースに出ると殆どの場合には参加賞はTシャツである。殆どのTシャツはいつの間にかどこかに行ってしまう(お蔵入り、寄付…)。ランナーには思い出のTシャツ、お気に入りのTシャツが必ずあると思う。実はこのレースでのTシャツが今までもらったTシャツの中でも一番のお気に入りなのである。走ることは苦しいこと辛いこと。でもその時はすぐ気がつかなかったのだけど、実は楽しいのだということ。このTシャツには自分が一杯詰まっている。今でもその時の自分、原点の自分に戻りたくて、時々着ている。とても大切な思い出とともに…。
このレースは、アーサーアンダーセン(当時の最大級の会計事務所)がスポンサーであった。エンロン事件を受けて、アーサーアンダーセンは倒産した。その事件も今は昔。このレースも物凄く昔のような気がする(実はまだ7年前のこと)。光陰矢のごとし。時は待ってくれない。あの時に戻りたいと思うけど、そんなこと出来るわけない。1日1日を大切に生きよう、今日はそんなことを柄にもなく感傷的に、しみじみと感じた雨のNYなのである…。
最近、ブログの更新が遅くなった。最近自分としては忙しいのだ(珍しい!)。どうせ、読者も限られているのでここで告白しておくが、只今人生の岐路に立たされている。といっても大げさなことではないのだけど、転職するか、独立するか、それとも現状維持か…。自分は転職を何回も繰り返してきた(言わば、転職の達人である!別に自慢できることではない…)。会計事務所4ヵ所、一般事業会社2ヶ所(長期出向を含む)である。もうそろそろ落ち着く場所で自分の趣味を満喫したいな(勿論、先立つのはいつも’お金’であるが…)、と思っていたところへ、ある日系企業からお誘いがきた(絶妙のタイミング!)。給与やポジションには特に不満はない。不満があるとしたら、残業(…)の可能性と場所が家から遠いことか。昔から自分は残業や休日出勤という言葉に敏感である。9-5という言葉に昔から惹かれているが、そのような魅力ある仕事環境で働いたためしがない。会計士だから仕方ないのだけど、平日は午前様(クライアントとのノミニケーションも含む)、土日も出勤(クライアントからのコンタクトもないので、実は一番効率的に仕事が捗る)が10年以上続いた。昔は、会計士といえば冬のビジーシーズンだけだったのが、年がら年中忙しくなってきた。そしてポジションが上になるにつれて責任・プレッシャーも増えてきた。9・11も起きた。仕事が物凄く虚しいものに思えるようになった。マンハッタンから逃げるように、その職場を離れ、一般企業に入った。メーカーといえば、給料は安いものの、いいヒトが多く(事実、対人関係で悩むことはなかった)、働きやすいといえば働きやすい。ポジションも最終的には会社のNo2まで上げてくれた(400人もの従業員のほぼ頂点に立つというのは責任は重いけれども、やりがいは抜群である)。でも如何せん、給与が安すぎる。アップをお願いしたが、自分の希望にはならなかった。残念ながら、そこも4年で辞めた。そして小規模の会計事務所に戻った。雰囲気は抜群である。BIG4と違って、仕事のプレッシャーはゼロ、口コミのみでクライアントも順調に増え続けているので、営業努力をする必要もない。そしてプロフェッショナル・ファームでの最大のプレッシャー、タイムシート(これってやったことのあるヒトしかその苦しみはわかるまい…)も楽勝である(だれもモニターしていない)。でもそのぬるま湯生活にも飽きてきた。このままでは自分は他に何も出来ないダメ人間になってしまうのでは…。
そんな悩み(他のヒトの抱えている悩みに比べたら小さな悩みではある)の中、憧れの企業からふとお誘いがきた。更には、ある会計士の大先輩に相談したら、お前は今すぐにでも独立するべきだと進言された。今がチャンスなのだと言われた。45歳、50歳になってから独立をするというのは困難を伴うだろう。準備、そして実際に立ち上げてから軌道に乗るまで数年は要するだろう。50歳で独立し60歳台で引退するとしたら、充実した仕事なんて10年しかないではないか、それで会計士人生は終わるのだぞ、と。何だか人生って短いなぁ。あれだけ苦労して取得した会計士の資格って一体何だったのだろう…。
自分は人生をのほほんと、そしてまったりと過ごしてみたい。ビジネスに突っ走るヒトを見ていると、お金と引き換えに人間として大事なものを失ってしまっていると思うのだ(別にそれはそれで尊いことでもあるけれど)。彼らは、毎日24時間、休む間もなく、プレッシャーに追い込まれている。自分が本当にやりたいこと・欲しいものは何なのか、少なくとも自分にとってはお金は人生において必要最低限のものに過ぎない。もっとゆっくりとした人生を楽しみたいだけなのだ。プレッシャーという言葉を感じることもなく、のんびりと時間が通り過ぎるのを待つ、これこそが自分の求めるものである。
そんなわけで、今自分の今後について悩んでいる最中(小さな脳みその中で)。NYCM前に悩みは解消しておきたいのだけれど、簡単には解消できそうもないな。でも来月一杯までには何らかの結論を出すつもりである。それでも生きているって本当に楽しい…。
あの楽しかった時間から早くも1週間が経ってしまった。詳細はNYマラソン中毒患者の会の掲示板やムキちゃんの日記に全て出ているので、重ならないようにブログを書かねば、と思っていたのだが、そこには全てが書かれてしまっているので、自分が書けることが極めて少なくなってしまった…。どうしようかな、と思っていたら今日はもう日曜日。光陰矢のごとしである。まあ新鮮味に欠けるだろうけど、いつものように徒然なるままに書いていこう。(勝手に読み流して!)
先週末は、お雪・内乃助師匠夫婦とシャカリキさんと自分の4人でメイン州の山砂漠島の中にあるバーハーバー(何かカタカナだと滑稽にも見えるけど整然としたバランスの良い地名だ…)までロブスターを食べに行ってきた、じゃなくて山砂漠島マラソンにて走ってきた。自分にとっては2週間前のニューハンプシャー州でのクラレンス・デマー・マラソン以来である。山砂漠島は、偉大なる自然の塊であるが(でっかい島に人口は1万人。でも観光客は年間400万人この地を訪れると言われている。嘗ては主婦のカリスマとも呼ばれた、マーサ・スチュアートの本拠でもある)、想像以上に良いところであった。先週は、山砂漠島で何が起きるかわくわくしていたものだ。今でもあの2泊3日が夢のようで、大人の合宿は大成功で終わったのである。が、その成功の裏側には正ちゃんや2号室さん・ドラえもんさんからの事前情報があった。ヒト・仲間との繋がり、その有難さをしみじみと味わった旅でもあったのである。
土曜日は朝3時起き。中毒患者の正ちゃん情報によれば、NYから山砂漠島までは12時間かかるという。多少割り引いても10時間はかかるのではないか。ゼッケンを取りに行くのは、土曜の午後5時までであったから、余裕を持って、お雪・内乃助師匠の家を午前4時に出ることにしたのである(Mapquestによれば8時間ドライブと書いてある。もしこれを信じたならば、出発は朝6時過ぎでも十分だったはず。でも私たちは仲間を信じた。8時間ではない。12時間なのだと!これが旅の始まりから私たちを幸せな気持ちにさせてくれることになるとは…)。実は、その前日・前々日と週末にフルマラソンのレースにでるランナーらしからぬ行為をしていた自分であった。木曜は、昔働いていた事務所の上司と食事をする約束をしていて、食事の後帰ればいいのに、久しぶりに一緒にPちゃんへ行き、それでまた帰ればいいのに、酔い覚ましをしに、更にもう1件自分ひとりで寄ってしまったのだ…。更には、カラオケまで付き合わされてしまい、結局朝の4時まで起きていた(ことだけ覚えている。4次会ではジュースだけを飲んでいたのは覚えているが、眠たくてどうやって運転できたのか不思議だ…。因みに、酔いは完全に覚めていたので、酔払い運転ではないのだけど、居眠り運転になりかけていたことだけは白状する。反省…)。金曜はこれまた次の日に3時起きがわかっているのに、仕事人間の自分は(?)クライアントのパーティーに参加してしまった。でも5時スタートだったので、遅くても8時には終わるだろう、とタカをくくっていたのが失敗だった。結局10時近くまでのパーティーであった…。目覚ましがなくても自然と5時に起きれる自分ではあるが、3時起きは辛いし、しかも数時間しか眠れないなんて地獄だ。結局木曜も金曜も数時間しか寝ることが出来ず、超寝不足状態で土曜の朝を迎えることとなってしまったのである。(反省:レース前の1週間、せめて2-3日前は平穏無事な生活を送るようにする!)
てなわけで、約束の4時には師匠との待ち合わせの場所に到着した。これからいよいよ12時間のドライブが始まる。NYからコネティカット。そしてマサチューセッツ、一瞬ニューハンプシャー。そしてメインへと続くのだけど、メインに入ってからもまだ遠い。道中、北に走り続けるにつれ、木々が紅葉になっていく。NYでは紅葉はまだ始まったばかりだ。でもメインではかなり進んでいるところも多かった。一方、ドライブの方はといえば、進んでも進んでも、なかなか到着しない。でも着実に近づいている。マラソンも一緒。26.2マイルの距離は、一歩一歩の積み重ねに過ぎないのだ。そうゆっくりと、でも着実に…。
途中、2号室さん・ドラえもんさんの貴重なアドバイスが大変役に立った。島に向かう途中に、掘っ立て小屋があって、そこの大釜で活きたロブスターを茹でてくれるところがある。煙突があって、煙が出ているから直ぐ分かると。一瞬通り過ぎてしまったけれど(まさかこんなところ…)、すかさず直ぐ引き返してその掘っ立て小屋に入った。皆、お腹を空かしていた。何せ朝4時に出発し、車の中で朝食を取ってはいるが、正ちゃんのいう12時間ドライブにもそろそろ飽きが来て、更には昼を丁度越えたところだ(正ちゃんはどこかで買い物をしていたのでしょうか?何故か8時間ちょいで到着!)。でも正ちゃんには感謝しなければいけない。正ちゃんが12時間と教えてくれたから朝4時出発にしたのだ。そうでなければ、6時出発にしようとしていた私たちである。そうしたら、昼ごはんはどこかのファーストフードで何てことになっていたかもしれない。そうしたら、旅の初っ端から最高のロブスターにありつけなかったかもしれない。そう、人生なんて何が幸いするか分からないのである。生まれて初めて食べる、ロブスターのかぶりつき。しかもポン酢付き(お雪さんは、ポン酢を既に準備していた。1本のポン酢がこれ程役に立つとは。日本人の大発明に感謝!)。兎に角、美味い!本物は違う。そう思った。因みに、日本人は、かに味噌が大好きだが、ロブスターにも当然味噌が存在する。アメリカ人はこの部分を食べれないと思っているヒトも多いらしいが、実際美味しいし食べれる。味覚センスのないアメリカ人に騙されてはいけない!
その後、無事ゼッケンをもらいに行き、ホテル(モーテル)へと向かう。実に絶好のローケーション。バーハーバーのメインストリートに近く、しかもレースのスタート地点から僅か30秒!前夜ディナーまで時間があったので、島内にあるアカディア国立公園へ足を延ばすこととした。ここはアメリカにおいてミシシッピ川の東での最初の国立公園である。大西洋に沿って、山、森、湖、池、海を有する。正ちゃんに教えてもらったキャディラック山の頂上に立てば、360度その自然環境を一望することができる。まさにここは山砂漠島なのである。しかも紅葉が始まった季節に私たちはやってきた。自然に感謝。そしてこの地を最初に開拓してくれたヒトに大感謝である!実は、この国立公園では運がいいとオーロラが見えることがあるらしい(帰ってきてから知った…。勿論今の季節では無理でしょうけど…)。キャディラック山に登る前も、国立公園を車で1周し、この公園の素晴らしさを堪能した(こんな素晴らしいところに来るなんて想像していなかったからビックリだ。マラソンとロブスターしか考えていなかった自分は少しは反省すべきだ。事前の調査が旅をより楽しいものにする!)
さて、田舎のマラソンといえば何と言っても前夜のパスタディナーが最大の楽しみの一つである。お雪さんの日記などによってわかるけど、シーフードパスタは言うに及ばず、全て美味しい。46州制覇の師匠が絶賛するのだから、美味しいのである!しかし、ここで余りの美味しさにどんどん豚のように食べ続けてしまった自分に翌日不幸が訪れることまでは予想していなかった。食べ過ぎたのである…。
さて、レース当日。シャカリキさんが炊飯器を持参し、4人で暖かいご飯を頂く。こんな田舎に来てまで、暖かいご飯を頂けるとは。何と言う幸せ。ここでも食い意地のはる自分は余分に食べてしまったようだ。ここでも失敗!
レースは8時から。スタート20分前までホテルでゆっくりなんて初めての経験である。たまにはこういうのもいい。因みにNYCマラソンだと、スタートの5時間以上前からドタバタすることになるからえらい違いである。個人的には両方好きではあるけど。レースは、Hillyだというのは始からわかっていたし、2週間前にフルを既に走っているし、3週間後に本番のNYCがあるし、景色がきっといいだろう、と思っていたから無理することは全く考えていなかった。こんな条件でサブ4が達成できれば幸せだけど、別にサブ4を達成したところで、何のご褒美もない。ただ、3人には迷惑をかけないように、でもレースを楽しむことだけを考えた。だから、最初の数マイルは9分。その後ペースが上がればいいけど折角大自然の中を走るのだから、自分も自然に逆らわずあくまでも、なるがままに走りを任せた感じだ。案の定、ペースは全く上がらない。寒い。坂がキツイ…。でも紅葉が綺麗。途中ふくらはぎが多少痛んだけど、ゆっくり走り続ける分には支障はないから、これもなるように任せた。木曜からの暴飲暴食が祟ったのか、左手の痺れ・痛みを和らげるようにアドヴィルを飲んでから走ったせいか、胃が痛い。痛みそのものはガマンしうるものだけど、痛みを庇うせいか、呼吸が乱れがち。自然とペースも上がらない。自分は全く気にしなかった。ハーフも久しぶりに2時間の大台を超え2時間2分くらい(途中でストップウォッチがおかしくなって、ラップの計測を諦めた)だったので、サブ4の次の目標の4時間4分4秒というぞろ目も諦めた。このマラソンは自然が素晴らしいだけではない。森を抜け、大西洋から輝く太陽(ずっと曇っていた)がランナーを照らし始めた時の自然の偉大さ(横を走っていたランナーはほぼ全てその太陽の余りの美しさに、走ることを忘れるかのように声を上げていた。自分も思わず声を上げてしまった…)、地元の方々の応援の有難さ(人数は少ないけれども、とても心がこもっていて、一人一人の応援が心に染み入った)が、タイムをちょっとでも気にしていた自分が恥ずかしかった。自然を慈しみ、感謝せよ。レースは楽しめ。後半はタイムなど全く気にならなかった。最近は26.2マイルという距離がより身近になってきたような気がする。確かに長い。でも十分マネージしうる距離である。辛くて歩きたくなることは全くないといったら嘘になってしまうのだろうけど、でもあっという間にゴールに辿り着いてしまう。例え亀のようにゆっくりな自分でも、一歩一歩確実に歩んでいれば、いつかはきっとゴールに辿り着く。結果は、2週間前よりも30分遅い4時間15分弱。3人を待たせてしまったことは申し訳ない。お雪師匠は、自分のゴール後待っていてくれた。3人よりも約1時間も遅いゴール。シャカリキさんはあの何コースで3時間20分。凄い!師匠夫婦も楽々3時間20分台だ(お雪さんはいつものように年代別1位!)。それは自分のように嬉しい。仲間のタイムが自分ごとのように嬉しく感じられる。マラソンとは何というスポーツなのだろう。マラソンには敵という存在はないのだ。一人一人が勝者であり、賞賛されるべき存在となりうる。さて、自分に振り返ろう。自分の場合、タイムは遅いけれども、ゴールするということに速い遅いは関係ないと思う。ゴールすることにこそ意義があると思える。自分はNYCマラソンではHGのタイムを更新したい。そして、いつかは聖なるボストンに出たい。それまでは、タイムもある程度意識した走りも大切だ。でも一生涯ランナーでいたい。自分はそちらの方が強い願いだ。故障をせず、楽しく走る。そのことを意識させてくれた山砂漠島マラソンに深く感謝したいと思う。
レース終了後は、メインストリートの散策。そして、生涯忘れらぬロブスターアイスクリームとの出会いがあった。一見幾らなんでもここまで、って感じかもしれないけれど、一回味わってみたら忽ち虜になってしまう。将来、山砂漠島に戻ったら、このアイスをまた食べに来るであろう。不思議な味だけど、でもまた食べたくなる味なのである。
夜はお決まりの宴会。今回は地元の変ったビールづくし。ブルーベリー味に始まり(結構美味い)、謎のビールだらけ(満足)。そして、近くのChineseでテイクアウトしたロブスターチャーハンとシーフードビーフン。この3日間はロブスターやシーフード尽くしであった。普段はこんなにシーフードは食べない。でも肉も最近は嫌いな自分である。一体何を食べているんだろ…。
月曜の朝は、キャディラック山にてご来光を見た。富士山のご来光も素晴らしかったけど、アメリカではじめて見る美しいご来光。又もや、自然に感謝する自分であった。その後は。国立公園内で5キロのリカバリーラン。冗談池の周りを1周した。贅沢な時間。人間には時々こんな贅沢とも言える時間が必要だと思う。仕事ばかりしていても、人間何が得られるというのか。お金、名誉は得られるだろう。でもそれで人間の価値は決まらないし、生きている喜びなんか得られるはずもない。仕事を休んでまで、山砂漠島に来てよかった。そんな単純なこと。でもこの単純んあ平凡な幸せはなかなか得られるものではない。今回の大人の合宿を企画して頂いた師匠夫婦。どうもありがとうございました。
追記:日曜・月曜が寒かったせいか、土曜日よりも紅葉が益々きれいになっていた。ますますメイン州が好きになってしまった自分であった。そして何と言っても大人の合宿は楽しすぎる。こんな大人になってまで、まるで子供のようにハシャゲルなんてまるで夢のようであった!
昨日行われたシカゴマラソンにて、とても悲しい出来事が発生した。シカゴマラソン史上最高気温の31度を記録し、250人ものランナーが倒れ、49人が病院に運ばれ、そして1人のランナーが亡くなった。報道によれば、更に5人が今現在も危機状態にあるという。レースはスタートしてから3時間半後にはキャンセルとなり、参加した3万5千人以上のランナーのうち、何と1万人以上がゴールすることができなかった。
楽しいはずのマラソン大会で死ぬ。こんな悲しいことはない。この暑さの中で何故大会を行ったのか、と疑問に思う輩も当然いてもおかしくないが、どんな天候でも大会は実施せざるを得ないのが現実だ。4万人近くの参加者のうち、大多数はこの日をターゲットに最低でも半年に及ぶトレーニングを積んできたのだ。そして、シカゴ以外の場所から(海外も含めて)多くのランナーが押し寄せてくるのだ。ランナーは、自分自身でリスクを判断している。またそのリスクに対処できるように練習をしてきている。
このような悲劇はいつ自分自身に降りかかるかもわからない。特に自分は糖尿病持ちであり、心臓に負担がかかると生命の危険性があることを承知している。だからこそ、トレーニングを積んでそうならないように、少しでも心拍機能を高めていかなくてはならないのだ。でも無論、自分はそれをハンディキャップだと思っていない。自分よりももっと大変なランナーは五万といるのを知っているからだ。日曜日にロッキーズで3時間半LSDをしたが、片足を義足で直向にトレーニングしているランナーと途中すれ違った。全然辛そうじゃなかった。笑いながら走っていた。そしてNYCMともなれば、車椅子、目が不自由、義足、…のランナーたちが、この日のために練習をつみ、この晴れ舞台のために頑張って走るのだ。そう、共走である。自分は糖尿病ごときで泣き言を言っていてはいけないのだ。
土曜日に医者に行った。2週間前に受けた糖尿病検査の結果を受けて、また来て欲しいと言われたのである。いつもは電話で済んでいたのに何でだろうと思っていた。糖尿病自体は良くコントロールされているね、と言われた。でも、腎機能が弱っていると言われた。下手すると将来人工透析を受けなくてはならない。でも今はまだ問題のない範囲だからと言っていた(その先生によると、糖尿病がもとで透析ともなれば、平均寿命はせいぜい5年だそうである…)。最近、暴飲暴食を繰り返していたからコレステロールもとても気になっていた。やはり芳しくはなかった…。でも物凄く異常というわけでもなかった。食事療法を本格的にといわれることを物凄く恐れていたけど(大好物のとんかつ、カツ丼が食べれなくなってしまったら…)、コレステロール値を抑える薬を処方してくれた(一応、食べても良いみたい)。今後は、薬と運動でダイジョウブ、と太鼓判を押された。
自分が今日生きているのは、ランニングのお陰だ。3年前にマラソンをきちんとやってみようと思わなかったら恐らくは今日の自分はいない。毎日が暴飲暴食、タバコ、夜更かし、の連続、そして24時間いつもだるく、めまいがし、太りすぎて歩くのも辛い状態(じっと座っていることもできなかったので、毎日生きているのすら苦痛であった…)。あのときのヤブ医者に言われた言葉は一生忘れない、このままではあんたすぐ死ぬよ…。それに比べたら、今回のよくコントロールされているね、という今の医者のコメントがちょっと恥ずかしい気もするけど、自分でマラソンを始めるという何となくの決断が、物凄く正しい決断だったようで大変うれしい。
シカゴでの死亡事故はとても悲しい。これが契機となって、もしマラソンブームが下火になってしまったらもっと悲しい。実際、マラソンほど安全なスポーツはないのだ。やっていて楽しい・素晴らしいと思えるスポーツは他にはなかなか見つからないだろう。今回の事故は大変に不幸なことだったけど(物凄いショックであったことも事実である)、亡くなられたランナーのためにも自分らは走り続けるべきではないのか、そう思えた今日この頃なのである。
東京マラソンの当選通知がやってきた!とは言っても、海外在住者の応募は相変わらず少ないものだから、多分全員当選なんだろうと言われている。日本で応募した人は約5倍の確率であったのでえらい違いだ(日本の友達は見事に落選してしまった。折角東京マラソンに備えてCW-Xを買ったのにね…)。東京マラソンは本来的には、国際的に開かれた一大マラソン大会にするのが趣旨であろう。でも宣伝が足りなさ過ぎるものだから、例えば米国では余程の親日派でもないと、この大イベントの存在には気がつかないと思う。米国で最も購読者が多いRunner's World誌でも宣伝を掲載していた月もあったけれど、認知度が低すぎる。継続しないと…。あるいは米国での最も大きいマラソンサイト(www.marathonguide.com)にも色々な海外のマラソン大会が掲載されているけど、そこにすら東京マラソンはないのである。自分は東京マラソンには国際的にきちんと認知されるマラソンになって欲しいし、世界で一番のマラソンになる素養は十分備わっていると思う(日本人だから日本びいきである!)。役所仕事ではいつまで経ってもダメだろうけど…。
さてそんなことで、来年の2月17日の東京マラソンには2年連続で出ることが出来そうだ(取りあえず、12000円は払ってしまったし…)。前回は大雨の中大変だったけど、今回は良い天気になるといいな。自分は雨の中のレースには正直慣れていない。自分が出るレースは事前の予報がどうであれ、大抵晴れてしまうのだ。そう、晴れ男なのである(自称)。でも前回の東京マラソンでは見事に外れた。前後、レース終了後はこれ以上ないだろうという絶好の天気だったのに…。でも楽しかった。東京のど真ん中を走るのはとても気持ちのよいものだ。自分の生まれ育った場所だから、一歩一歩が楽しかった。自分は日暮里出身だから浅草を通った時は感動であった。雷門もそうだけど、自分の中学校時代通った塾のあった場所も通り過ぎた。そこにはもうその塾はなかったようだけど、その頃の楽しい思い出(不思議と勉強は嫌いじゃなくて、寧ろ楽しいものだった。今とはえらい違いだけど…)が思い出された。最近凄く思うのだけれど、子供の頃の思い出がこれだけ自分の人生に大きく影響を与えるとは思わなかった。大人になると面白いこともあるけれど、矢張り子供の頃の楽しさには敵わない。何かあると、あの頃はよかったなぁ…、と思うばかりの毎日なのである(勿論、辛い後悔の思い出もあるが、それが人生なのかな…)。
先月に日本に帰った時も、泊った弟の家(いつの間にか、東京での定宿となってしまっている。何しろ場所はいいし、何かと便利だし…)は上野桜木なものだから(自分の通った中学校のすぐ近く)、走っていても中学校の時の思い出ばかりが脳裏に浮かぶ。ジョギングをする時は、必ず通り過ぎる場所がある。高校のとき付き合っていた彼女の家だ(彼女の実家は文房具屋を今でも営んでいる)。中学校の時は、ある時点までずっと意識はしていなかった。学年でも一番人気だったから、自分にはお呼びではないと思っていたからだ。でも中3の2学期の最後になって他の女の子を通じて告白されたものだ。正直ビックリだった。何で俺?だと思った。返事は卒業式までしなかった(だって、きっと夢を見ていると思っていたから)。人生の分岐点は高校の選択だった。その当時、東京の都立高校は学校群制度があって、学校群を選んで受験し、実際にどの高校になるかは勝手に決められていた(どうやって割り振るのかは知らないが、その後の自分の人生は確実に曲がった。結果的には良い方向だったのだろうけど…)。自分は他の私立を希望し、そっちが受かってしまったため私立を選んでしまった。彼女も同じ学校群を受けていたけれど、同じ学校群で違う高校に行くのは嫌だったから、余り何も考えずその私立を選んだ(皮肉なことに都立の発表日の前日までに、私立は入学金や授業料を振り込まなくてはならなかったのだ)。さて、都立発表当日。合格して割り振られたのは彼女と同じ高校だった…。もし私立に行かず、同じ高校に行っていたらその後の自分の人生はどうなっていたのだろうか、と考えると正直怖い。高校が違うと結局すれ違うことも多く、長くは続かなかった。でも、もし…。
別に、ジョギングの時に彼女にバッタリ出会ってしまったら、ということは考えてはいない。第一結婚しているだろうし、実家にはいないだろう。自分は別にどうしようとか考えていない。ただただ、彼女が幸せな楽しい人生を送っていてくれればそれでいいのだ。まだ会計士の勉強をしていた頃、たまたま地下鉄で出会ったことがあった。自分は無職。彼女はOL。無職の自分に言う言葉はなかった。何もない自分。でもその時何でもっと喋らなかったのか、今でも後悔だ(でもその後悔も決して辛いものではなくて自分にとってはとても大切な思い出なのであるけど…)。人生は後悔と挫折の連続だ。でもそんな人生でも、思い出は大切だし、それを励みに人間は行き続けることが出来る。そして、自分のまだ見えない未来に向って一歩ずつ進んでいくことが出来る。過去に拘るのは決して好きではないが、過去があるから今の自分、未来の自分があるのだし、思い出はそっと心に留めておきたい。自分の辿ってきた人生に感謝しながら…。
そんなことで、自分にとっての東京マラソンは自分の人生そのものなのである。出場できる限り死ぬまで出場したいレースなのである。だから、2月の仕事のビジーシーズンなのに、休暇を取ってまで行く価値のあるこだわりのレースなのである。そこに自分の人生の原点があるのだから…。
週末ニューハンプシャー州のキ~ンという町に出かけた。クラレンス・デマー・マラソンに出場するためである。NYから北に向かって200マイル(320キロ)のところにある、キ~ン・ステート大学以外には何があるの?というくらい何もない町である(人口約2万3千人中約6千人、つまり4人に1人は学生である。その代わり自然には恵まれている)。うっかり前泊のホテルを取り忘れていた自分は直前に慌てて取ろうとしたものの、どこも一杯。そこで仕方なく、途中のマサチューセッツ州の緑野原というこれまた何もなさそうな小さな町に泊まることとした(キ~ンへはここから車で40分)。NYからは、コネチカット、マサチューセッツ、バーモント、そしてニューハンプシャーに行くのだが、余りにも殺風景な場所の連続なので、州の違いに気がつかないぐらいである。レースの前日にどうせ早く着いても何もすることのなさそうなことがわかっていたから、夕方ゆっくりと現地へ向かうこととした。地方巡業の時には、いつも食事(特にレース当日の朝食をどうするか)が最大の課題となる。今回は時間的にも余裕があったから、大道によって、夕食と朝食の買出しをしに行った(結果的には大成功!)。夕食は、何故かとんかつ(本当はパスタがいいのだろうけど、普段食べれないとんかつにしてしまった…)とポテトサラダとご飯。味噌汁を買うのを忘れたがまあ気にしない。ご飯の量が余りにも多かったが、カーボローディングの名目の下、全部平らげてしまった。また体重が…。翌日のレースは8時スタートであるが、ゴール地点からスタート地点までバスで行くため、6時にはゴール地点に行かなくてはならず、余裕を持って4時に起床。朝食は、大道で買ったおにぎり4つ。以前、朝食べ過ぎてレース途中で気持ち悪くなった経験から程々にしておいた。結果的には、レース途中でのエネルギー切れはなかったようなので良かったと思う。
さて、自分が今回出場したクラレンス・デマー・マラソンは、毎年数百人しか出場しない本当に小さなマラソン大会である。前日に別の場所でニュー・ハンプシャー・マラソンがあるからなのか(でもこれも更に輪をかけて小さいマラソン)、とにかく人が少ない。ニューハンプシャー州は一昔前は、織物、靴製造、中小機械販売で栄えた時期もあったようだが、今は何もないのが実態だ。でも人口の約80%がクリスチャンであり、その真面目で質素な人柄、場所柄か、昔の良きアメリカを何とか維持しているようでもある。
さて、レース当日。予定通り、5時過ぎにはホテルを出発した。チェックアウトすると、何か高いような気がしたので、確認したらやはりレートを間違えて入力していた。アメリカは、言った者勝ちの国である。僅か$10ではあったが、自分の主張が通ってよかった。さて、こんな朝っぱらは辺りは真っ暗。当然のことなのか、ハイウェイには車など走っていないし、しかも電灯なんてない。つまり、自分の車のヘッドライトが全てである。しかも霧が発生していて前が良く見えない。いつもはスピード野郎の自分も流石に怖気づいて、ゆっくりと走った。そのうち、自分を猛スピードで抜かして行く輩が来たので、その車についていく。出口も一緒。もしかして、と思ったら案の定同じマラソンに出る輩であった。こんな朝からこんな田舎で車で出かける人なんて流石にいなかった。同輩のナビにより迷うこともなく現地に到着し、ゼッケンを受け取る。自分の名前がリストされていて一安心。Tシャツのデザインが非常に悪いというかダサい。流石は田舎のレース。そういうところが、いいのである。さて、時間になったのでスタート地点へ向かうバスに乗り込む。今日は本当に寒い。昼間の最高気温(70度弱になる予定だった)から半袖シャツでやろうかな、と思っていたのは直ちに却下した。寒さに強いアメリカ人ですら、身体をブルブル言わしていた。ましてや自分なんて…。そこで今回は長袖そして手袋着用。レース中汗を余りかくこともなく、かといって寒くもなく丁度良かった。
もう10月になるからニューハンプシャー辺りでは紅葉がかなり進んでいるのではという淡い期待もあったが未だであった。まだまだこれからというNY辺りと余り変わらない。それが唯一残念だったことだったけど、紅葉は2週間後のメイン州で大いに期待しようと思う。自分の家の裏庭ですら綺麗な紅葉が見れるので余り気にはしないのだけれど…。
スタートはただ単に線が引いてあるだけである。ぼ~っとしていたら、スタートになってしまった。今日の目標はニコニコ完走(何しろ5月以来フルは走っていない)。タイム的には体重のせいでとてもじゃないが狙えないだろう。でも目標タイムもなしで走るのは勿体無いので、取りあえず、自分の時計のターゲットを3:49:59としておいた。自分の時計は、ターゲットを設定すると、目標に対してどのくらい進んでいるかあるいは遅れているかわかる仕組みになっている。大抵の場合、人間は目標をどうしても高いところにおいてしまいがちだ。ターゲットを高く設定するのは自分の自由だけれど、余り高いとそのペースをキープしようとプレッシャーばかりが先立ち、余り上手く行かない(少なくとも自分にとって)。今回はプレッシャーにならないように、既に達成済みのサブ3:50を仮の目標とした。別に達成できなくてもいいし、レースを楽しむ、これだけでいいと思っていた。いつものように、カメラを携えて走る写真家になろうと思い、最初の数マイルはゆっくりと。余り写真スポットになるところはないなぁ…、と感じながらも途中時折立ち止まり、風景をおさめていた。始めは下り基調だったなのか、なかなかスピードは落ちない。ペースは目標通り。3マイルぐらいで、あれ、もしかしてこのままちゃんと走ったら目標達成できちゃうのかな?と思ってしまった。途中で駄目だったら、そこからゆっくりすればいいだけかな(どうせ楽しむだけだし)。きっと22マイルの急な坂まで持ちこたえないかもしれないし、そこまで頑張ろうかな、なんて思ってしまい方針変更。自分は普段のペースを守るけど、意外にもどんどん前のランナーを抜かすことが出来た。小さなマラソン大会だからそんなに前後がいるわけではない。だから、一人一人次の目標ランナーを抜かしにかかる。でも決してペースアップしないように心がけて。一人一人着実にコツコツと前を抜かすのってとても気持ちの良いものだ。5月のファーゴもそうだった。ハーフまでは思いっきり体力を温存していたから、ハーフ以降は抜かす一方。先週の女王様ハーフみたいに後半どんどん抜かされていくのって本当にしんどいし、レースの楽しみが半減する。でも今日は、3マイルくらいからどんどん抜かせていく。先週より遥かにいいやこれは。3時間50分で行くためには前半1時間55分以内でないと難しい。後半での落ち込みを考えたら理想は1時間50分だろうけど、目標を1時間52分とした。そうこう考えているうちに、又一人又一人抜いていき、ハーフに到達。この大会は小さすぎて、チップなんか使わないから、ハーフでのタイムは自分で計るしかない。自分の時計で1時間51分台後半。目標通り。このあと、杉の並木道があって、写真を撮りたかったスポットだったのだけどここで立ち止まったら勿体無く思えてしまって、レース続行(写真は2週間後までガマン。そのとき思いっきり撮ってみよう)。このレースは、一切道路を閉鎖していない。でも横切らなくてはいけないところだけは、警察が車を止めてくれている。評判どおり、そのトラフィックコントロールは抜群。一度も危なくて嫌だと思うことはなかった。警察に感謝!途中、ゴルフ場の横を走る。ランナーが横を走っていても平然とゴルフを続ける輩。自分も昔はあっちの人だったのに。でも全く後悔していないから不思議だ。1箇所、テーグランドのすぐ横を通り、テーショットがフックしたら簡単に道路に出るし、ランナーに当たったらどうするのかなぁ、と少し心配だったけど、1球だけ、危なかったようだ。自分が通ったすぐ横の木にボールが当たる音がした…。途中、20マイルぐらいだったか、公園みたいなところに入る。結構な上り坂があった。あれ、22マイルだったのでは…、と戸惑っていたが何とか普通に凌げた。きっとロッキーズでの練習が利いたかな。マラソンの壁は30キロから35キロでやってくる。ファーゴの時には壁は一切感じなかった。ここでも最後まで壁らしい壁を感じることはなかった。自分は走りたいのに、前に進まない。また駄目だった、でも次のマラソンで頑張ればいいや、という一種の諦め・挫折、そして後悔…。そこを乗り越えることがフルマラソンの醍醐味である。他のスポーツではなかなか味わうことの出来ないもの。これを乗り越えられた時、人はマラソン中毒に落ちていく。苦しい、辛いってわかっていても、これを何度も味わってみたくなる。壁が無いに越したことは無いのだけど、壁の無いマラソンは、肉の無い焼肉屋みたいなものか…。残念ながら(?)壁は余り感じなかったけど、唯一辛かったのは、22マイルでの急な上り坂であった。どんなものだろうと思って走っていたら、いきなり出てきた!本当に上るの?という坂だった。折角ここまで順調に来ていたのだけれど(というかこの坂を予想して、数分の貯金をしてきたのだけど…)、これで一気にペースダウンだな、これはと思ってしまった。大げさかもしれないけれど、梯子でも使って上りたくなってしまうくらいの坂であった。距離は短い(距離が短いだけにより勾配が激しいのである。でも上が見えている。でもその先にもあったらもう駄目だ…)。元気そうだったアメリカ人も突然歩き出すもの、何とか駆け上ろうと頑張るもの、様々だった。自分も歩いてみちゃおうかな、とも思ったけど、折角ここまできているのだから、と行ける所まで行ってみようの気持ちであった。坂の途中、一瞬だけなだらかになるのだけど、そこでも止まりそうだった。あと一息。坂を上り終えたランナーが右に下りていく。あそこまで行けば、あとは下りだ!最後の一頑張り!無事乗り越えられた。あれだけの上りだったので、その後の下りもかなり急だ。結構脚に堪える。このマイルでは10分かからないといいな、と思ってラップを見たら9分10秒ちょいだったので合格だ!あとはゴールまでスムーズに行くはず。でも流石に、あの坂でのダメージはあったようで、スピードが出るわけではなかった。でも、今までのペースには戻したいな、と思いながら走り続けたのであった。走行しているうちに、26マイルまでたどり着いた。あとは0.2マイルを残すのみ。無事に戻ってこれた。無事に走り続けられた。嬉しさから涙がこぼれる。応援など皆無に近かったレースだけれど(それでも所々で暖かい地元の応援を受け、元気をもらえた)、ゴール付近になると応援も増えた。最後のストレッチは大学構内で真っ直ぐの道。支えてくれたボランティア、大会関係者、仲間全ての人に感謝をし、また応えるべく、気持ちよく笑顔でそしてグリコでゴールした。マラソンって本当に楽しい!(何枚かの写真は後日アップします)

ラップは以下の通り(括弧は仮目標との乖離)。
1. 8.48.48 (+1)
2. 8.58.70 (+13)
3. 8.40.11 (+7)
4. 8.32.18 (-6) この辺から調子が出てきてしまった。
5. 8.15.84 (-37)
6. 8.15.73 (-1.08)
7. 7.59.68 (-1.55) 速過ぎだったので以降意識的に抑える事にした。
8. 8.18.17 (-2.23)
9. 8.21.00 (-2.49)
10. 8.27.33 (-3.08)
11. 8.41.53 (-3.13)
12. 8.53.94 (-3.06)
13. 8.21.89 (-3.31)
14. 8.33.37 (-3.44)
15. 8.27.25 (-4.03)
16. 8.24.86 (-4.25)
17. 8.53.16 (-4.18)
18. 8.45.18 (-4.20)
19. 8.53.26 (-4.13)
20. 8.42.77 (-4.17)
21. 8.55.21 (-4.08)
22. 8.48.61 (-4.06)
23. 9.12.53 (-3.41) 噂の急な坂を良く凌げた!
24. 8.43.13 (-3.44)
25. 9.05.12 (-3.25) 何で遅かったかは不明…。
26. 8.46.87 (-3.25)
+0.2. 1.45.27 (-3.27) 
公式記録3時間46分33秒(PR)、212人中70位(男子151人中54位、年代別19位)。下り基調だったとはいえ、自分なりに納得のいったレースでした。

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