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走れけに~

Author:走れけに~
まだ若かりし頃、世界を代表する公認会計士を目指して、1990年に単身NYへとやってきたのがつい昨日のことのようです。仕事(会計士)への情熱は在米17年の間にすっかりと醒めてしまい、余生をどうやって楽しく送るかが今の最高関心事であります。そこで出会ったのが、まさにフルマラソンの世界なのであります。誰に褒められる訳でもなく、貶される訳でもなく、怒られる訳でもなく、全て自己完結な世界なのであります。走って何が楽しいのか、とよく聞かれます。兎に角無条件に楽しいのです。楽しいものに理由・説明など必要ないのです。何はともあれ、走れけに~!

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数日前に昔働いていた事務所の秘書と話をしたのだが、部門は違うけれど何度も一緒に働いたこともある人が発作を起こして亡くなられたという。51歳だった。合掌。
考えてみれば、会計士の仕事はいつも何らかのプレッシャーに追われている。税務申告書(自分は一切タッチしない領域にしている)の締め切り、会計監査済財務諸表の提出・日本の親会社への報告(年々締め切りが早くなっている)、請求書の作成・送付、そしてその回収(会計事務所にとっての唯一の収入源!)、新規顧客の開拓、そしてノルマの達成!
亡くなった人は明らかにプレッシャーが重なり、そして働きすぎたことからの過労死としか考えられないのだけれど、アメリカの会計事務所で突然死するのは決して少なくはないことである(かといって頻繁ってこともないけれど)。身近なところで(日本人会計士)3人くらいは突然亡くなったし(一人はプレッシャーに負けて自分で…)、NYに来る前には他の事務所で若いシニアクラスが連日の徹夜作業で立て続けに2人突然亡くなったことを聞いていた。自分はもともと仕事に関しては怠ける習性が昔から備わっていたようで、残業をしたり、週末出勤したり、とか間違っても自ら進んでやろう、なんてことは決して思わない人間である(因みに徹夜で仕事をしたのは、社会人になってから多分10回はない)。だから、決して過労死なんてものが自分に起こることはありえない。仕事のために貴重な人生を犠牲にするわけにはいかないのだ。自分には他にやりたいことがあるのだ。人生を楽しみたいのだ。人生を楽しむ前に亡くなるのは父親だけで御終いにしたい。これから年を取るにつれ、ますます周りで亡くなられる人も多くなってくるだろう。1日でも長く生きる、これが自分に今与えられた使命なのである!
さて、そんな人生を楽しむ一環として始めたマラソンであるが、日曜はいよいよ秋のマラソンの第1弾レースである。場所はニューハンプシャー州のキーンという田舎町(だと思う)。ここのレースは3年前に師匠が女子総合優勝を成し遂げた由緒正しいレースである。レースの評判は頗る良く、自分の苦手な上り坂も少ない(22マイルという一番きつい地点で急激な上り坂があるようだ…)し、寧ろ下り坂が続く本来はPRコースである。といっても最近の体重増を考えると、サブ4できれば御の字である。寧ろNYCMに向けて、弾みになるレースになればいいかなと思う。参加人数が少ないのが難点と言えば難点かもしれないが、自分は小規模のレースも大好きである(前後に誰もいなくなると寂しいという説もあるけれど、一人ぼっちで何も考える必要も無くーただ走るだけー精神的に至福なるひとときを楽しむことができるのだ)。まずは第一弾、結果を恐れることなく楽しむ(そもそも速く走ろうが遅かろうが、誰にも褒められることもないし貶されることもない。そこには自分しかないのである。自己完結、これこそ市民マラソンの最大の魅力であり醍醐味なのである!そして、それを少しでも応援してくれる、支えてくれる人がいるならば、人はそれ以上何を求めると言うのだろうか?)それだけが今回の目標なのである。大体、ど田舎ののんびりとした小さな町でのマラソン大会でそんなに急いでどこに行くと言うのか。マラソンも人生ものんびりと、ゆっくりと、のほほんと行こうではないか!
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火曜日の夜、TVジャパンにて、EU拡大に伴うポーランドからイギリスへの出稼ぎ労働者のドキュメンタリーをやっていた(日本ではちょっと前に放映したものかな?)。欧羅巴経済がEUの拡大に伴い、労働市場の自由化、開放化を実現したことは正であろうが、本ドキュメンタリーはその負の部分に焦点を当てていた。同じEUとはいえ、国毎の賃金格差たるや余りにも大きい。番組でのポーランドとイギリスとでは一般に4倍以上、職業によっては10倍もの格差を生み、所謂負け組の国では、労働市場、産業の空洞化が深刻になっている。当然同じ仕事をするのであれば、賃金が大きいほうがいいわけで、ポーランドなどからは連日高賃金を求めて、他のEU諸国へ出稼ぎにでる労働者が後を絶たないというわけだ。ドキュメンタリーでは、ポーランドの子供2人を持つ夫婦が子供の学費稼ぎ、そしてより豊かな生活を求めて、子供をポーランドに置いて(連れて行っては、生活するだけで精一杯になってしまう)、夫婦で夢を求めてイギリスのエジンバラへ向かう。その夫婦は奇遇にも自分と同じ42歳。人生の冒険をするには、ギリギリの年齢かもしれない。しかも小さな子供がいたら尚更だ。イギリスに向かっても、そこで好条件の仕事に必ずしも恵まれるか、といったら答えは明らかにNOである。より高い賃金をもらえる機会にありつけても、それで本当に家族は幸せになれるのか、答えはわからない。そんなリスキーなことをしてでも、この夫婦にはそれ以外に選択の余地は無いのか?ポーランドで例え低賃金でも家族と一緒に毎日過ごすことのほうが幸せではないのか?ポーランドではきちんとした職業に就き、毎日子供の笑顔に囲まれ、そして仲間もいる。でもイギリスではレストランの皿洗いや庭掃除といった仕事にしかありつけないのだ。番組を見続けていて、とてもせつない気持ちになった。自分だったらどうするのだろう。家族は大切だが、そのために自分の人生を棒に振ることにどんな意義があると言うのか。子供にとっては、例えお金なんか無くても、親がいつも一緒にそばにいることが大切なのに違いないのだ。親と暫く離れなくてはならなくなったときの子供の悲しそうな顔、そして親を悲しませないように必死になって我慢している姿が今も脳裏から離れない。
一方、今の自分は極めて幸せだと思う。幸いにも今現在は経済的には恵まれているほうだし、毎日好きなことをすることも出来る。人間は毎日に慣れてしまうと、自分がどんな位置に置かれているのか、忘れがちな動物である。自分も一昔前の無職の時代には10円というお金がなくて生活に苦しんだこともある。電車に乗るお金も無く専門学校に通うことすら出来ない時期があったこと、電車賃を調達できてもご飯を外で食べるお金が無く友達におごってもらったこと、教科書も買えず友達にもらったこと、…。しかし良く生きていたなあ…。その頃は今に見ていろ、俺だって、の気持ちが凄く強くて生きている実感があったものだ。NYに着てからも、現地採用ならではのギリギリの生活(1日の可処分所得が$10ぐらいしかなかった。しかも思いっきり自転車操業!)が続いた。いつから今のような贅沢な生活になってしまったのか良くわからないのだけど(でも今でも普段の生活では車のガソリン代以外では毎日$1すらも使っていないのだけど…)、ポーランドの夫婦を見て思いっきりショックを受け、そしてまた大反省をした自分だったのである。
9月23日日曜は、女王様ハーフマラソンに出場した。レースに出るのは、6月の日本の日レース以来であり、久しぶりなので非常に楽しみだった。女王様レースは、NYCの女王様区で唯一行われるNYRRのレースで、毎年5月に行われていたのが今年から9月に変更されたものである。以前は5月の中旬に行われていて自分の誕生日にレースが行われることもあったし(そのときのT シャツはデザインはとても悪いけれど自分にとっては大切な記念品である)、普段の中央公園でのマンネリ化したレースとは違う雰囲気で行われるため、毎年参加するようにしていたものである。このレースは、女王様区といっても、白石橋の麓をぐるぐる回るだけで(女王様区は本当は物凄く広い区であるが、走るのはほんの一部に過ぎない)、昨年までは1周6.5マイルを2周していたのだが、今年から13マイルを1周するコースへと変更された。以前のコースも坂だらけのイメージが強かったけど、今回1周となってその印象が更に加速された気がする。スタートは何と朝の7時(皆言っているけど、1時間早くない?)!マンハッタンからのシャトルバスは何と4時から運行していたらしいし、自分もあさ4時前には起きて4時半ちょっとに家を出た(お陰で5時過ぎには現地へ無事到着)。ここは車でいく場合、路駐しかないので、スペースの確保のために早く出ようとしたのだ。案の定、スペースは比較的簡単に見つかり(だってレースの2時間前だし辺りは真っ暗である)、真っ暗なまま簡易トイレに入り(当然電気はない)、ゼッケン・Tシャツをもらい(ここにも明かりはなかった)、朝になるまでの時間を公園で延々に待ち続けた。一つだけ良かったのは、白石橋のところなので、海(川?)の側だし、朝焼けが綺麗だったことか?でも昔はよかったなぁ。必ず、ランニングウェアの安売りやさんが出店を構えていたし、ゴールのあとも飲み物がもっと充実していた(水・ゲーターレードだけではなかった)。最近のNYRRのレースはケチになったと思うのは自分だけか…。
レース前、馬次郎さん・日本からの出張で来られたPON先生、そしてオケさんに遭遇。折角だったので、かなり前から一緒にスタートさせてもらった。
レースは7時丁度にスタートした。最近のNYRRのレースはスタートがごった返して、いきなりやる気を失くしてしまうことも多いけど、女王様はそうじゃなかった。いきなり一番前に並ぶことすら出来たくらいだ(勿論そのような無謀な試みはしていない)。今回の反省点は以下のよう。
(1) レース数日前の練習は控えめに!今回は、ハーフということもあって、余り調整というものを考えていなかった。そのため、金曜も土曜も普段どおりの練習をしてしまった。が、流石に脚にきていたようだ。特に女王様は大変Hillyなコースになっており、途中で歩くことはなかったけど、最後の数マイルは地獄だった。辛い中でも歩くことがなくなったのは、一つの成長の証かな、とポジティブには考えているけど…。
(2) 体重を落とせ!朝久しぶりにレース用のWestchesterのユニフォームを着ようと思ったら、ピチピチでキツイ事に気づいた。特にお腹周りが酷い。早速ダボダボのTシャツに変更し誤魔化すことにした。フルマラソンで1キロ体重を落とすと3分速くなるというが、逆に言うと1キロ増えることによって3分遅くなると言うことでもある。2年前の体重に比べると明らかに体重は10キロ以上増えているし、この春先と比べても明らかに5キロ以上多い。走っていて、明らかに重いのだ…。膝への負担、腰への負担、そしてNYCMでの目標タイムを考えたらすぐにでも痩せたいのだけど、これがなかなか…。これは春先からの課題なのだけれど、未だに実行されない最重要事項である!
(3) ペース配分を考えろ!フルマラソンでは如何に我慢できるかが勝負の分かれ目である。一方ハーフは結構最後まで押し切れることも無くはない(調子がよければ)。でも今回は甘かった。最初の飛ばしすぎが全てであった。やはり、自分のペースをしっかりと自覚して走らねば地獄をみることになる。スタートでもっと遅くしていたら、こんな酷い結果にならなかったかもしれないと思うと残念だけど、そうしたのは全て自分の責任。この失敗を次の成功(一体いつになったら?)に繋げればいい。何とも能天気な自分である。
さて、月曜の夜、TVジャパンでプロフェッショナルを見た。今回の生物学者は面白かった。思いこみを捨て思いつきを拾う、高い山こそゆっくり登れ、空振りは思い切り振り切れ。その全てが共感できた。そして戻れる原点を持っているのがプロである、という彼の言葉が気に入った。自分の原点とはまさに会計なのだ。確かに会計の研究をしているときが一番楽しくもある(暗いけど…)。更には、プロではないけれどランニングについての自分にとっての原点は日常のジョギングを積み重ねることになるのかな。たとえ、すぐにいい結果が出なくても腐らずに、地道に続けていこう、と思った。そう、しかもゆっくりと楽しくね。
昨日(水曜)は、スカースデールの黄先生のところに行ってきた。鍼をしてもらいに。うちの近所では昔から腕がいいといわれているので、それを信じて。鍼は昔クイーンズのフラッシングの外れにあるとこに行って以来だ(人につれてってもらった)。そこはよかったのだが(その時は右手が痺れていたが、そこの鍼で治った)、何しろ中国語しか喋らない(娘さんと見られる人がいれば英語で通訳してくれる)し、そもそも場所をよく覚えていないのでもう行けない。そこは薬(これが思いっきり謎の薬草をくれて、これを煎じて飲むというもの。死ぬほど不味い…)つきでしかも安かった。黄先生はスカースデールだけあって、料金は高めだ。でも自分には選択の余地はない。結果はどうだったか…。まだ痛いし痺れもある。でも昨日までの苦痛に比べればずっとましである。昨日までは本当に痛かったし辛かったから。1週間経ってもまだ駄目だったら又来てと言われた。きっと治ると信じている今日この頃である。
人間、健康が一番だ。健康でなければ好きなことを好きなだけやることもできない。確かにランニングには直接影響はないわけだけど、憂鬱な気持ちでやらねばならなかったことは事実である。年を取ると確実に身体にはガタがくる。特に人生の半分をとうに過ぎてしまった自分にとっては、毎日毎日どんどん衰えてくる。如何に自分の身体のコンディションを維持していくか(良くなるなんてことあるのかぁ…)がこれからの課題だ。若い頃なんて健康の大切なんて全く考えていなかった。暴飲暴食なんて当たり前、健康にいいことなんて全くやっていなかったけど、不健康なことだったら幾らでも何でもやっていた自分だ。勿論、そのときのツケが今になってどわぁ~とやってきているのだろう。健康の大切さを知っていたら、今のようなことにはなっていなかっただろうなぁ、と少し後悔はしてみるものの、過ぎ去ってしまった時間を取り戻すことなんてできないのだ。諦めて前に進もうではないか。
昨日、鍼をやった後、ある会計士の大先輩と夕食を共にした。自分のキャリアプランを相談させてもらったのだが、相手は流石は会計士としてだけでなく人生の大先輩でもある。自分の甘さを指摘され、今のままでもうちょっと我慢して頑張れ、と言われてしまった。自分の描いたばら色の人生プランはいずこへ…。今日、先方からメールにて素晴らしい言葉を頂いた。大先輩曰く、”皆それぞれ色々な生き方が有ります、この国の良いところはその生き方を型にはめようとする社会的な環境で無いと言うことかもしれません。又人生いくら考えても答えが出ない事も多くある時には思い切って清水の寺から飛び降りる事も大切です。だからと言って飛び降りなくても良いのが人生です。これからの人生少しずつ自分のプライオリテーの置き所を自分の人生に向け始められてはと思います。”
土曜日にNYに戻り、日曜には元気にロッキーズ・ランを楽しんだ自分であったけれど、時差ぼけは消えていなかった。日曜は6時に起きたからダイジョウブかなと思っていたのに、月・火曜とも3時起床。水曜に至っては、2時には起きていた。といってもベッドに横になったままなのではあるけど…。
左肩から左手に至るまでの痛み・極度の痺れは、そろそろ限界だ。この痛みのせいで、月・火曜は走る気力すらも起きなくなってしまったのだけど、流石に3日連続休養は拙いなと思って、今朝は4時半ぐらいから1時間走ってみた。走っている間は痛みは特にないのだ。4時半はまだ外はめちゃくちゃに寒いもんだから、その寒さで手が悴んでしまったのでなんとも言えないのだけれど、手が痺れても腕の痛みは大したことなかった。でもこの痛みがもしレース中に出てしまったら…と考えると、流石の自分も怖気づいてしまい、遂に今日医者に行くことを決心した。どうなるかわからないけど、早く治して走りに、仕事に、集中できるようにしたい。でないと、今までの努力が無駄になってしまうような気がして…。
走りそのものは、真っ暗な中で走ったからかもしれないけど、頗る順調なのである。今日の1時間弱のランニングにしても、普段よりちょっと速く走ってみたけれど(暗いと速く感じるんだけど…)全然苦しくならないし、上り坂も力強く上ることが出来るようになってきた(ような気がする)し、下りもバタバタでなくスムーズに出来るようになってきた(ような気がする)。今朝はヘッドランプを点けずに走ってみたけど、これはやはり危ない。前が見えないし(道路の穴でケガをするのも嫌だけど、動物の死骸を踏むのが一番嫌だ!)、時折すれ違う車は自分の存在など知る由もないから、一瞬引かれそうにもなった…。今度から気をつけよう。
てなわけで、身体の痛みとは別にランニングは普通にできることがわかった。今月の走行距離は320キロを目標としよう(あと104キロ)。アメリカはマイル表示だし、月間200マイル(=320キロ)というときりがいいし。それは未知の世界だけど頑張ってみよう。痛みがひどくなって、ちょっと弱気になっていた自分だけど、またチャレンジ精神が蘇ってきた(ような気がする)今日この頃なのである。
毎日蒸し暑く耐え難かったくらいの日本ではあったが、とても楽しく充実した休暇となった。ブラジル人だらけだった行きとは大きく異なり、日本人だらけのJALの夜行便に乗る寸前ですら、このまま日本に居たい、でも帰らなくてはならない、そんな心の葛藤を抱えながらも、帰ってきてしまった…。自分は一体何がしたいのだろう…。
蒸し暑い日本にあっても、ランニングは快調であった。上野公園・不忍池もしくは皇居でほぼ毎日飽きることなく走り続けることが出来た。日本の一生懸命な実に直向なランナー達に刺激を受けた。老若男女皆ランニングを楽しんでいた。NYの片田舎で一人で走っていると、ふと忘れがちな走ることへの純粋なまでの気持ちを呼び起こせたことは確かな財産となった。
帰国当日の皇居ランでは、中毒患者のBlue3さんと遭遇。彼の所属する南○連合の人たちと混じって楽しいLSD。若いアメリカ人はNYしかも同じスカースデール出身のご近所さんで親近感を感じた。走り長柄のおしゃべりがいつの間にかローカルになってしまっていた。何か世界って狭いなぁ…。でも自分が完全にNYの住人になってきてしまっている、日本から離れすぎてしまっている、ふと寂しさも覚えた…。
Blue3さんとはその後、築地にて中栄のカレーを食べに。相変わらず、美味い!ヤッパリ日本は最高だ!そして日本は連休だらけである。自分が帰ってきた週末も3連休である(らしい)。今後も3連休が立て続けにあるのだそうだ。自分もその流れに乗りたいなぁ…。でも超多忙のBlue3さんには関係ないらしく、皇居ラン、築地グルメツアーの後、仕事へと向った(流石は仕事のサボり魔の自分とは違う)。
気がついたら、あと1ヵ月半でNYCMである。その間にもハーフ2回、フル2回のレースがあるけれども、あくまでも本気レースはNYCMのみである。今年は例年とは全く比べ物にならないくらいに練習が積めているので楽しみである。一つだけ不安要素がある。以前から左肩から左手にかけて痺れ、耐え難い痛みが時々起きていたが、日本に行ってからこれが更に悪化したような気がする。幸いにも走っている間はその痛みが発生していないので、走っていればいいだけの話なのだけど、普段は左手が使えなくなってしまった(一時的に、左腕が激しく鈍く痛み、左手の感覚がほぼ麻痺してしまうのだ…)。どうしよう…。でも泣こうが喚こうが、これが現実であり、しっかりと自分で受け止めようとも思っている。確かに辛い。でも自分以上に肉体的、精神的に辛い思いをしている人だって世の中にはごまんといるのだ。甘えてはいけない。強い人間になりたいと思う、何もないNYに戻ってきてしまった今日この頃の自分なのである。
サンパウロから来たブラジル人だらけで超満員のJALに乗った自分は何とか無事に日本に辿り着いたのだが、日本は真夏のままであった。自分の近所では寒くて紅葉になりかけている木々もあるというのにこの違いは何なのか。到着した土曜、日曜は地獄のようであった。天気の悪くなった月曜ですら蒸し暑いことには変わりなく(日本では皆涼しいと感じているのかな)、早朝のランニングは自分にとっては汗びっしょりで多少辛いものがあったので1時間でやめた。日曜は三回忌の前に、皇居まで行き(走って)、2周だけしてそのまま帰ってきたが、シューズまでがびっしょり濡れてしまう有様。日本のランニングは過酷なのである。でも皇居は相変わらず素晴らしい。そこらじゅうでランナーで溢れている皇居であった。皆ランニングを心の底から楽しんでいる雰囲気である。すれ違うランナーと時折挨拶を交わす。日本語での挨拶(おはようございます)は何て気持ちの良い響きの良い言葉なのであろうか。1時間で止めた月曜の朝は上野公園・不忍池にて。こちらは、皇居と多少趣が異なる。やはり場所柄なのか、ランニング・ウォーキングに勤しむ人も多いが、そこらじゅうホームレスの群れが散らばっている。歩きタバコをしている人も多く(ランニングの格好をしている人が何で吸っているの?)、多少空気の悪い中を走る必要がある。普段スカースデールの高級住宅街(静かで人通りも少ないし緑も多いので意外と涼しい)、大自然に囲まれたロッキーズ(文句なしに近所では最高のランニングの場所)、フラットで穴場のブロンクス河公園道、等に慣れてしまっていると、偉い違いだ。朝から酔っぱらっている(ように見える)人や歩きたばこの輩を避けて走るのは結構疲れるのである。でもこれも生まれ育った地元なので何の文句もないのだけれど。寧ろ人間味があっていいかな…。
あれからもう6年が経過した。自分の人生を変えてしまった2001年9月11日からである。日本では他人事なのか、ニュースで特にこのことには触れられていないような気がする(時差の関係もあるから夜あるいは明日には大々的にニュースにでもなるのであろうか?)。あれだけテロとの戦いに対する国際貢献をすべきだ、などと口走っているのに、やはりどうでもいいのだろう。自分の心は、未だにあの日のままで止まっている。人生やるせないのだ。短い人生をせいぜい楽しみたい、それだけで毎日生きながらえている自分なのだ。ところで日本は本当に天然の平和ボケが蔓延している、と感じている。平和ボケという現象(?)は、日本しか通用しない(日本人しか持ち合わせていない)もので、通訳・翻訳泣かせの日本語の一つである。勿論、ぴったしの英語やその他の言語は存在せず、これを長い言葉で説明するしかないのだけれど、そもそもこの摩訶不思議さを理解しうる外国人はいないので、ただ単に日本人は不思議な人たちと思われてお終いである。
この短い日本滞在で自分の今後の方向性がだんだん明確になってきたような気がする(昨日頑固な兄にはぐれかされそうにはなったけど、何とか目処がついた)。でも過度の保守的考えの家内には理解されそうもないので、その実現には更なる紆余曲折がありそうだな、と考えてしまう今日この頃なのである。しかし、日本の平日に仕事もせずただブラブラするのは非常に楽しい。完全にドロップアウトしてしまった自分だけど、この精神的余裕は、まさに自分が求めていたもの。大切にしたい。
今日9月5日は、長女の12歳の誕生日であると共に、地元の学校が一斉に新学年を迎える日でもあった。学校が飛びっきり好きな長女は、何日も前から待ちきれなかった様子で、いつもは寝坊がちにもかかわらず、今日は朝6時半には起きてしまったほどだ。私たちの地元では7年生からミドルスクール(中学校)に入り、今まで2校に分かれていた子供たちは7年生から1校に集結して同じ学校に通うことになる。勉強も大変になるが、スポーツを奨励していることから本人は楽しみで朝から興奮していた。自分なんか勉強大嫌い・仕事大嫌い・出来るなら家でじっとしていたいような三拍子の揃った人間だけど、偉い違いだな、と思うと同時に、子供の成長の早さを思い知った。以前も書いたような気がするけど、本当はテニスをやりたいらしいのだが、テニスのチームは強いらしく選手に選ばれる可能性は全くないようなので、自分はゴルフを薦めているのだけれど(女子ゴルフ部すらあるかどうかわからないくらい誰もやりたがらないらしい。どうしてなんだ?)、とりあえずはT&F(陸上)をやるのだそうだ。因みに、これは自分のマラソン中毒の影響を受けてではない。でも悪い気はしないものである(長女は走りたいらしい!)。
一方、次女は今日からキンダーガーテンである。日本では幼稚園と訳されているけれど、少なくともアメリカでのそれは日本の幼稚園ではない。遊びの要素もあるけれど、勉強もするし宿題も当然ある’学校’である。2ヶ月以上の夏休みで怠け癖のついた次女は、昼過ぎにぐったりと疲れて帰ってきたようである。これから大変だろうけど、とにかく楽しんでくれればいいなぁというのが親としての偽りのない気持ちである(成績なんかどうでもいいから友達と仲良くやって欲しいなぁ)。でもでもそんなこんなで、勝手に成長し続けている子供たちに比べ、親はますます衰退し続けているようだ。昨晩は2人分以上の夕食を食べてしまい、後悔しているが未だにお腹部分が重い。朝も走る気すら起きなかった(水曜はWTCの練習があるし、まぁいいかっ)。仕事もやる気が全く起きない。今は明後日から1週間行く日本のことで頭が一杯なのである。あれをしたい、これをしたい、色々と願望はあるけれど、グウタラのままで貴重な1週間が終わってしまいそうな気がする。(果たして今回も皇居ランとか出来るだろうか…)
次女のクラスに8月からNYに家族で赴任してきた日本人がいるとの報告が家内からあった。家族全員、全くのゼロ英語らしいが、新鮮でいいなぁ。これからの日々の中で、白い画用紙にどんな色で書き上げていくのだろう…。自分も昔はそんな新鮮な気持ちでNYの生活を楽しんでいたはずだ。そのときの気持ちを忘れないで、また毎日を過ごしていこう。そう思った。

いよいよ9月となった。秋のマラソン大会に向けてこれから本格的に走りこみが開始すると思うと幾分興奮を抑えられない。地元の高校のトラックはランナーで一杯だ。しかし、暑かった夏にどれだけ走れたかで、もう勝負はついているような気がする。本気レースとして位置づけているNYCマラソンまでもう2ヶ月しかないし、前哨戦として出場するレースにはあと1ヶ月もない。5月のファーゴマラソンにて首尾よくPRを達成できた自分だったけれど、NYCMでのPR・目標を達成するにはそのままでは到底実力が足りない。5月・8月と何とか月間300キロを達成できたけれども、7月は日本出張や怠け癖が出て、走りをサボってしまった。マラソンの練習には継続ということが最も大切なのだと思う。走ったり走らなかったりでは、なかなか速くもならないだろう。それどころか、現状の脚力を維持することすら出来やしない。以前は簡単に走れていたこともあったのに、あの頃の脚力なんてもう戻ってこない。コツコツと努力して何ヵ月後かに漸くほんのちょっとだけ成長できた自分が実感できる(かもしれない)、これがマラソン練習の本質だ。一方、幾ら頑張っても速くなるかどうかその保証など一切ないのである。でも少しでも希望があるならば努力したい、それが人間でもある。
さて、久しぶりの3連休とあって、練習に打ち込んでみようか、という気になった自分である。しかも天気・気温ともほぼパーフェクトなのでこれで走らなかったらいつ走るのだ、と思っていた。1日(土曜)はロッキーズへLSDに。9月からロッキーズの駐車場は朝7時からお金を取られる。寝坊気味の自分は、当然7時に間に合うはずもなく、路駐をしてから雄大なるハドソン河を眺めて帰ろうと思っていた。師匠夫婦と会えるかな、という淡い期待も含めて…。自分は一人で走るときには音楽を聴きながら走るようにしている。何も聞こえないはずなんだけど、走りながら後ろで何らかの気配を感じた。後ろを振り向くと師匠夫婦がいるではないか。漸く追いついたとおっしゃっていたが、あっという間に追いついたというのが真実である。自分は恐らく1マイル11分以下のペースでチンタラ走っていた(LSDだから)。一方、師匠夫婦は9分はおろか8分台のスピードである(これでもゆっくりペースなのである)。師匠夫婦はこの日Oさんとご一緒だったが、流石はエリートランナーたちである。自分とは全く実力が違う。フルマラソンでサブ3レベルとサブ4レベルととはこんなにも違うのかと思い知った。1時間も違うと練習での余裕度が全く異なるのである。こちらは息も絶え絶えに暫くはついていけたが、30分でギブアップ…。自分はそれなりに走りこんできたので、もうちょっといけるかもと思っていたけど、ランニングの世界は甘くない。まだまだ修行が足りないのである。これからも精進を続けて少しでも近付こう、これを知れたことがこの日の最大の収穫であった。ところで師匠夫婦らは、あのペースで3時間以上走ったらしいが、思わず絶句…。
翌2日(日曜)は、地元のスカ高のトラックで距離走に挑んだ。モノの本には、走りこみ時期にはLSDと距離走のコンビネーションが毎週必要と書かれているし、それを先週から始めたからである。ここでも継続がキーワードである。無謀にも前日の疲れを引きづったまま、いきなり辛い。目標は75周、即ち30キロである。マラソン練習において、30キロを余裕で走る練習を繰り返すことが、永遠のテーマとなるらしい。ペースはレースに比べれば遅くても良い。その代わり、最後まで余力を持って走りきるスタミナを作るのが目的だ。トラックで走るのは苦手だ。景色は変らないし、ロッキーズと違って脚には決して優しくない。同じ2-3時間走るのも、ロッキーズのように起伏があったり景色が綺麗だったり下が土だったりする方が遥かに走りやすい。トラックをグルグル回るのは精神てきに辛く修行そのものである。でも、一定のペースを維持する練習が出来るのはトラックでしか出来そうもないしなぁ…。因みに、75周の目標は暑さであっけなく50周で挫折。トラックの弱点はもう一つあった。暑さを遮るものがないことである。ロッキーズであれば、自然に囲まれ、木陰で涼しさをも覚えるのだけれど、トラックは敢えて日陰になる部分を極力減らしているのだろうか、直射日光を思いっきり浴びながら走ることになるのだ(まあ、これも自然の恵みといえばそうでもある)。40周ぐらいから遂に飽き始めてしまい、しかも熱中症にでもなったら馬鹿なので、50周だけしっかりと走りきることを決め、無事ゴール。20キロまではペースを全く落とさずにしっかりと走りきる自信は既にあるのだけれど、これではフルマラソンの半分にもならない。修行はまだまだ続く。
3連休の最後はロッキーズでまたLSDということも考えたけど、かなり脚にきているような気がしていたので、大人しくBRP(ブロンクス河公園道)へ。兎に角、3日間走る切ることが自分には大切なのである。ここは基本的にフラットだし、殆どが自然に囲まれているので、暑さを感じずに走れるからだ。それ以外にもう一つの目的があった。以前にも書いたような気がするが、ずっと北上していったところに、ケンシコダムがあって、そこには9・11のメモリアル(ウェストチェスターに住まれていて亡くなられた方の)がある。自分は今週末から日本なので、今年の11日はNYにいないのだ。今でもあの日のことは鮮明に思い出す。マンハッタンに行く度、あの瞬間を思い出す。一生消えることのない、心の苦しみ。惜しくも亡くなられた人のためにも平和を誓い、生き続けていきたいのだ。その思いを新たにするためにも日本に行く前に、祈りを捧げたかったのだ。…帰り道、2号室さん・ドラえもんさんに会った。あんなに速いランナーでも毎日ハードなトレーニングを続けている。しかも自分よりも遥かに長くペースを速くして。自分の努力などちっぽけなものである。エリートランナーからしたら、練習とはみなされない程度である。でも自分なりに頑張る。それを再認識した3連休だったのである。

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